2015年12月30日水曜日

十.韓国編-Ⅱ凍る河-3



十.韓国編-Ⅱ凍る河-3

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初めての方は、1からお読み下さい。


「こいつらは何を見せても俺を信じないみたいだな、俺を北朝鮮のスパイか、何かと思ってるんだな」
 体格の良い大男が僕の腕を、ぐっとつかみ、テントの中へ連れて行こうとする。皆、手に機関銃を持っている。重そうな弾のいっぱい出そうなやつだ。
「うーん、あそこへ連れて行かれたら何をされるか分からんなぁ」
と、次第に僕は恐怖にかられ、「うーん」と唸り声をあげる。
 すると、少し賢そうな顔をした兵隊が、ばっと僕のカメラを取り上げると、カパッとケースをあけ、中からフィルムを取り出した。そして、「行け!」と僕の背中を強く叩いた。
「助かった!」
と、僕はゆっくりと歩きだすが、後ろを振り向くと、カービン銃を下げた兵隊が大勢立ったまま、睨んでいた。風が冷たく、荒涼とした風景の中、ひんやりと流れる。
「撃つなよ、撃つなよ・・・・・」
と、背中で呟きながら、何事もなかったようななにくわぬ顔を装い、ゆっくり、ゆっくりと歩いて行く。だいぶん歩いたところで、チラッと後ろを振り向くと、彼らはテントの方へ引きあげていた。
「助かった!」
 ほっと、肩を降ろすと、冷たい風が頬をさすった。
 寒風吹きすさぶ寒い日が続いた。大寒波が訪れた。バチバチと氷(ひょう)が降った。マイナス二十度はあろう日が続いた。空気が冷たく、瞼が凍りつくようであった。羽毛服の襟を立てて街を歩く。何かぶ厚く凍っていた。その上で子供らがソリに乗って遊んでいた。
 韓国人は寒さを知らぬようであった。きっとあのニンニクや唐辛子の食事のせいで、身体がポカポカと暖まるのだろう。
 寒くて堪らぬ僕は、なんとかこの寒さから逃れようと、食堂へ駆け込む。
 店の中はストーブをごんごん焚いて、窓ガラスが白くなっていた。家族連れが多い下町の小さな食堂である。
 壁に貼ってある、訳の分からん記号みたいな文字を指さし、
「あれとあれをくれ」
と注文すると、しばらくして親父がスパゲッティミートソースみたいなものを持って来た。良く見ると、麺はうどんみたいなやつだ。上に掛かっている紅いのはなんだろう?と口に入れてみると、
「うわぁー」
辛いのなんの、唐辛子をぬりつぶして味をつけたものだった。口から火が出るかと思った。
「こりゃ、こんなもんばっかり食ってりゃ寒かねぇや」
と胸を撫ぜ降ろして、マッカリ(韓国の焼酎)を、くいっ、と飲みほすと、再び街へ出た。
 さぁー、と冷たい冷気が頬をさすった。氷がいつのまにか雪に変り、あたり一面、真っ白である。雪が音を吸い、世界が停止したような清閑さが広がる。クリスマスが近かった。僕はふと、故郷を思い出し、襟を立て、太い太い雪の筋が降りる仁川の街を歩いて行った。

2015年12月28日月曜日

十.韓国編-Ⅱ凍る河-2

十.韓国編-Ⅱ凍る河-2

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 また、この国の女性らはたいそう男性を大事にする。部屋へ上る時は、靴下を脱がせ、湯で足の指一本一本を丁寧に洗ってくれ、どんな用事を言いつけても「はい、はい」と、よく言う事を聞く。
 床屋へ行けば、親父が散髪する間。若い娘らが両脇から手や足の指の爪を切ってくれ、それが終ると右から、左から腕や足を持ってマッサージしてくれる。これで三百円ぐらいだから何度も行きたくなるのも人情というものである。
 こうして僕はセンスのない親父に刈り上げにされながらも幾度も床屋ののれんをくぐり、完璧な刈り上げになって街や郊外へとカメラを下げて歩き廻った。
 ある日、街よりかなり離れた所で、索漠とした風景の良い所があった。
「うむ、いい景色だ」
と言いながらカメラのシャッターをさかんに押していると、ファインダーの中に人が走って来る。
「ん?」
と目を上げると、カーキ色の軍服を着た兵隊が、タッタッと走って来る。
「しまった!此処は軍事場か」
と、思うが、もう遅い。
 息を切らして駆けて来た兵隊にすっかり周りを取り囲まれてしまった。皆、真四角の顔をして目がつり上がっている。彼らが韓国語で「ワワワワ」と唾気を飛ばしながら叫ぶが何を言っているのか、さっぱり分らん。彼らは僕が言葉が分かると思っているのだ。首を傾げて「わからない」と両手をあげてジェスチャーすると、小柄な男が人をかき分けて来て、
「キャニュー スピーク イングリッシュ?(英語、分かりますか?)」
と言ってきたので、これで助かる、と思った僕は力強く、
「イエス!」
と答えるが反応がない。彼の知っている英語はそれだけだったのである。慌てて、サイフから証明書を取り出して見せると、一人が見て、その隣の奴に手渡す。そいつがまた、隣に手渡していたが、日本語と英語で書かれたものを彼らが分かるはずはなかった。後(あと)、何枚かの証明書を見せるが、皆、納得しない。僕を睨みつけている。
 僕はだんだん冷や汗が出てきた。

2015年12月25日金曜日

十.韓国編-Ⅱ凍る河-1

十.韓国編-Ⅱ凍る河-1

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仁川の街で顔を売った僕は、怖いもの知らずで街を歩いた。時折、チンピラが頭を下げて行き、すっかりいい気分で、デパートの中や下街をうろついた。街にはしゃれた韓国ギャルが多かった。
 タクシーで船と遊郭しか往復したことがないある男が街へ買い物に出かけると、道ゆく若い女性が皆、パンパンに見えてしょうがない、皆、服が透けてヌードに見える、と言っていた。かなりの重症である。
 僕は韓国ぎょうざが好きでクラウンビールという、たいそうな名の酔うと頭痛のするビールを飲みながらよく食っていた。
 ある時、見知らぬ老人が、
「先生、先生」
と言って僕に話しかけてくる。髭を生やしていたら先生に見えるのかな、と、何の先生かも聞かず気を良くして話を聞いていると、その老人は、
「先生、就職を世話して下さい」
と言う。
「就職?」
と、聞き返すと、
「ええ、日本で就職を世話して下さい」
と、真剣な顔をして言っていた。この爺さん、この歳で日本まで来て苦労したいのか、と呆れてしまうが、韓国人は日本といえば、この世のパラダイスか何か、と思っている人が多く、日本へ行けさえすればリッチに幸せに暮らせる、と思っているらしい。特に韓国ギャルの憧れは強く、日本人と結婚するのが夢だと言う女性が多いという。
 そういえば、この国は貧富の差が激しいのか、若い女性でも、全く別の世界に住んでいるように見えた。僕は遊郭の女達しか知らなかったが、街を闊歩する女性らは明らかに渋谷あたりを歩いている日本のギャルと変わりなかった。テレビで女子大生にインタビューしていたが、皆、清楚な感じのお嬢さんという感じで、
「ボーイフレンドは?」
とインタビューするアナウンサーに
「わぁわぁ」
と顔を赤くして逃げ廻っていた。
彼女らはテレビを見ている、僕の隣に座っている遊郭の娘らと、そう歳は変りなかった。
 このお嬢さん方はほとんどがクリスチャンである。上層の人達はクリスチャンが多いから、この国は風俗にうるさいのだろう。それじゃ、私は何を信じたらいいの?と女郎の女達も言いたくなるものである。

2015年12月23日水曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-9

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-9

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もうひとつの僕の楽しみは遊郭に屯(たむろ)するポン引きらをからかう事であった。例の僕が転(こか)した男はポン引き仲間の嫌われものだったらしく、彼を転した日本人、といって僕はポン引き仲間では有名になっていた。皆、僕を尊敬しているようだった。
「奴はあなたに復讐する、と言っていたが、警察につかまってしまった。前科があるから二、三年は出れまい」
と言っていた。
「奴が居なくなって、商売がし易くなった」とも言っていた。
 こうして僕はポン引きらに
「ワダサン、ワダサン」
と慕われ、遊郭の廊下をドテラを羽織り威張って歩いた。
そして、よく女将と彼らと奥の部屋でコタツに入り、ミカンを食いながらテレビを見ていた。韓国放送は、前放送が終ると、日本でいうところの国旗掲揚の時、国歌とともに戦車や兵隊が次々と行進する。その時、ポン引きの男らは全員立ち上がり、拳を振って一斉に国歌を歌いだす。大声張りあげ熱気ムンムンである。僕はドテラに包まってコタツの中に丸くなって彼らの歌声を聞いていた。毎晩寝る前にあんなに興奮したら眠れまいに・・・・と思うのだが、それにしても韓国の教育というか、愛国心というか、すごいものである。戦前の日本みたいだな、と思ったりもした。

2015年12月21日月曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-8

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-8

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丁度、その遊郭に同じ船の者が来ていて、
「あれは、船(うち)の和田の声に良く似てる」
と言い、女に、
「向うの部屋で『アハハハ』と、笑っているのは日本人じゃないか?」
と尋ねると、
「いや、あそこに居るのは台湾人」
と答える。
「ふーん」
と彼は言っていたが、また聞こえるあの声は、やはり和田に違いないと、
「あれは、船の仲間だ、ちょっと行って来る」
と立ち上がると、女はズボンを握り、
「いや、やめた方がいい、あの台湾人は人相の悪い大男だ」
と真剣に止める。
「どんな人相だった?」
「長髪で髭を伸ばして大きい顔だった」
「そりゃ、間違いない、和田だ」
と、確信を持った彼は、僕の部屋へ入って来たので、
「やぁー偶然だなぁー」
と、僕ら二人はワイワイ言いながら一杯飲み始めた。すると、それを聞きつけた女将が、
「あなた、ニッポン人か?」
と血相を変えてやって来た。
「いや、俺は日本の船に乗っている台湾人」
「そうか・・・?」
「それにしても、あなた、ニッポン語うまいネ」
「わたし、パパさん台湾人、ママさん日本人ね」
「んん・・・・・・・・?」
傍に居るおっさんは二人が何を言ってるのか、さっぱり分からずポカーンとしている。
 金は先に払っている。今さらばれては大変だ。それにしても、日本語で台湾人、と言って信じる方もおかしい、とは思わないか!?
 こうして僕は何軒か、建物を選び、宿を変えた。とにかく、裏びた所が好きなのだ。それに性格の悪い僕は彼女らの身の上話を聞くのを楽しみにしていた。
「うむ、うむ」
と頷きながら聞いてやると、彼女らはカタコトの日本語で涙を拭き拭き、身の上話を語った。薄幸な女が多かった。親から売られた話、恋人に裏切られた話、などなどといろいろだった。田舎の寒村の娘が多かった。

2015年12月18日金曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-7

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-7

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「こりゃ、何か?」 
と女に尋ねると、 
「ここに、スル」 
と言う。 
「冗談じゃねぇ、こんなもので出来るか!」 
と怒鳴りちらし、カーンと洗面器を蹴飛ばす。すると、女は 
「デキルヨ!」 
と叫ぶと、パッとスカートと下着を脱ぎ捨て、前かがみになり、大きく足を広げ、ジョゴジョゴと迫力満点の音を立てて放水しだした。目の前をキラキラとした一本の筋が流れた。金属の洗面器がパンパンと鳴った。部屋が狭く密閉しているからか、その音は甲高く響いた。僕は放心状態で、飛ぶ一本の筋を眺めた。 
 それは金子光晴が『洗面器』という詩の前書きに、嫖客の前の前で、しゃぼりしゃぼりとさびしい音を立てて尿をすると書いた、広東の女の風情とは天と地ほどの差があった。 

       洗面器のなかの 
       さびしい星よ。 
       くれてゆく岬(タンジョン)の 
       雨の碇泊(とまり)。 

・・・と詩人は歌ったが、僕の場合は、洗面器のなかのけたたましい音よ、だった。 
「うーん」 
声が出なかった。完敗である。 
「勝てんなぁー」 
と、呟くと、しょうがないので、痩せた骨の触る女を引き寄せた。 
そして、どうという事もなく当り前に金を払うと、女と女将が、あの時あんなに高く見えた赤壁の前に立って手を振り、いつまでも僕を見送った。 
その後、僕はこの勧告の遊郭の裏びた雰囲気が気に入って、時々、遊びに出掛けるようになった。女、というよりも建物などの雰囲気の良い所を選んで行った。 
日本人と言えば、ぼられる事は間違いなかった。そこで僕は台湾人、というふれ込みで遊郭ののれんをくぐった。 
「ワタシは台湾人だ、台湾人だ」 
と日本語で何度も言い、 
「台湾人だから安くせよ!」 
と、また日本語で叫ぶ。 
こうして台湾人の客は、部屋でワイワイ言って女と日本語で喋りまくり、 
「ワハハハ」 などと、気分のいいもんである。

2015年12月16日水曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-6

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-6

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 女将が「ワワワワ」と叫ぶと、僕を取り巻いていた女、小僧らは、ザァーと波が引くように奥へ消えて行った。
「いやぁ、とんだ目にあった」
と服を直していると、さっきまで目を三角にして「ワァワァ」行って僕をつかんで離さなかった女が、急にニヤニヤして僕の腕を持って甘えた声を出している。現金なもんだ。
 しかし、僕はまだ諦めてはいなかった。チラッチラッと戸の方を見ると、さっきは慌てて気づかなかったが、鍵といっても錠を降ろしているだけである。
「うむ、あれなら簡単に外に出れるなぁ」
と、観察していると、女将が、
「悪かった、悪かった、まぁ奥で茶でも飲んでくれ」
と言うので、女に案内され窓のない小さい一戸建ての部屋に入る。床にオンドルが敷いてあった。
 コタツの中に入って煙草を吸い、じぃーっと女の顔を見る。
 俺をカフェーだと言って騙した女、鬼のような顔をして叫んだ女、髪を振り乱して俺をつかんで離さなかった女。
「うむー、こういう女を抱く気にはなれんなぁ」
と煙草の煙の向うで揺れる女を眺めては、煙を吐いていた。
「よし、隙をついて逃げてやれ」
と、再び決心を固めた僕は、作戦を練ると、
「おい、茶をもう一杯くれ!」
と、女に言う。
女は外へ出て行くが、しっかりと鍵を掛けていき、その時、僕の靴を持って行ってるような気がした。
「うむ、なかなかやるなぁ・・・」
 あの靴はゾックだから惜しくもない、裸足で逃げれば良い、靴など何処ででも売っているわい。
 女が茶を持って入って来た。湯気が立っているウーロン茶のような茶色い茶をすすりながら、さて、どうしたもんか?と案を練る。そうだ!便所へ行く、と言ってそのままずらかればいい、うむ、これでいい。
「おい!便所は何処か?便所へ行く」
と、女に言うと、女はしばらく考えていたが、すぐ、戸を開け、
「ワワワワワ」
と、叫んだ。そして、戸が開いたかと思うと、昔の金属(かね)の洗面器を小僧がほったり投げた。・・カランカランと転がる洗面器。デュマイでビールを入れられた、あの洗面器だ。

2015年12月14日月曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-5

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-5

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と言って指さすと、そこには、しっかり“加工加茶コカコーラ”と書かれた赤い看板がかかっていた。

「うむー」
と思っているところへ女は僕の手を引いて木戸の内へと入る。そして、門を潜ったとたん、女はバタンと戸を閉めると、ガチャガチャと素早く錠を掛け、「アワワワワ」と大声の韓国語で叫んだ。すると、奥から「わぁー」と女やら小僧やらが出て来た。来るやいなや、僕が来ている羽毛服をバッとつかんだ。
「こりゃいかん!」
と、とっさに思うが、その時すでに数人の女やら小僧やらが、僕の羽毛服をしっかりと握りしめていた。羽毛だから握り易いのか、ぐっとつかんでいる。
「いやぁ!」


「くぅー」
と身体を振るが取れない。虫かなんかにくっつかれてる感じだ。真赤な羽毛服を着て髭を生やした男を数人の女、小僧らが輪になって必死につかむ。

悲痛の声を上げる。男なら殴り投げ飛ばすところだが、女、子供を殴るわけにはいかない。
「むぅー」
と、必死の力を振りしぼり二メートル程の赤壁に飛びつく。クライマーだ、この位の壁は登れる。
 が、彼女らは、ぐっ、と握った手を離さない。壁にぶら下った僕を、女達がつかまえて引きずり降ろそうとする。
「うむー」
 まるで、地獄に引きずり込まれていくようだ。羅生門である。天気は悪い。どんよりとしたグレーの雲が掛かっている。
 壁にぶら下って息をする。
「ゼーゼー」
下の方でも
「ゼーゼー」

と吐く息が聞こえる。

 彼女らは吸いついたように離れない。羽毛のつかみごこちが良いのか、スイス製の羽毛服が引き破れそうだ。
「まてよ?この三万円はする羽毛服を引き破るよりゃ、女郎屋代の方が安い。せいぜい一万円だ。」
と、素早く頭の中で計算した僕は、女郎屋代よりは羽毛服代を取って、パッ、と塀から手を離す。そして、
「わかった、わかった」
と、手を振り、女将らしい女に、
「わかったから、もうやめさせろ」
と言った。

2015年12月11日金曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-4

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-4


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それを、二、三度繰り返すとゲイトには誰も居なくなった。誰も居なくなったゲイトを、ポケットに手を突っ込んで口笛を吹きながら歩く。
「いやぁ、さっぱりした、さっぱりした。」
と、僕はご機嫌である。しょっぴかれた奴らは当分は出れまい。その頃には俺の船も港を出るだろう。「やっぱり俺は頭がいい」と髭を撫でながら歩いていると、今度は女が直接営業に出やがった。
 少し歳をくった痩せた女だった。長いショールを頭からかぶり、薄いカーディガンを胸元でかき合わせているのが、寒々しさをそそった。
 僕はやはり知らぬ顔をしてスタスタと歩いてゆく。小雪の舞う寒い日だった。河はまだ凍ってはいなかった。
 二時間も経っただろうか、相変わらず女は呆れるほどの忍耐強さでついて来た。乾いた肌に痛いほどの風が埃っぽい街のあらゆるものに吹きつけている。
 後ろを振り向くと、女が寒そうに手をこすりながら身体を丸めている。足には薄いサンダルを履いていた。
「サムイヨー。オナカスイタヨー。」
と、女は日本語で言い続けた。
 僕はだんだん「かわいそうだなぁ・・・」と思い始め、
「女郎屋へ行くつもりはない」
と言って彼女に小銭を握らせようとするが、
「お金はいらない」
と言う。
「何か暖まるものが食べたい。あなたと食べたい。」
と、いじらしい事を言うので、さすがの僕もほろりとなり、
「それじゃ何か奢るわ。」
と言って、食べ物屋に入りかけると、女は、
「私の知っているオイシイところあるよ」
と言って歩き始めた。おとなしくて薄幸そうな女だと思った。
 下街の高い壁のある露地へ出た。
「此処!」
と、女が指さしたので見ると、二メートルほどの高さの、昔ながらの赤レンガの壁があり、鉄格子のような開き戸がついていた。いかにも、あやしげな構えである。
「此処は女郎屋じゃないんか?」
と言うと、
「ちがうよー、あそこ見てよ」

2015年12月9日水曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-3

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-3


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韓国語でポン引きが捲し立てるが、さっぱり分らん。それに、うるさい。文句を言われる筋合いはない。「向うへ行け!」と手で追い払うようにすると、彼が殴りかかってきた。
 その彼の胸ぐらを「はっ!」とつかみ、足払いを掛けると、彼はバタッと転げた。さらに上乗りになり、得意な柔道の首締めを掛けて「どうだ!」と言って彼を突き離すと、彼は「ゼーゼー」と息をしていた。その場はそれで良かったが、困った!仕返しがあるかも知れない。街へ行けなくなってしまった。人数でかかってきたら堪らない。
「うむー」と考えた末、船から警察へ電話して、「ゲイトの所にポン引きが居て街へ出れない」と通報する。韓国ではポン引きはごはっと、即、逮捕である。
 この国は女郎屋がゴロゴロ有るくせに、表向きは風俗に厳しいのだ。テレビにはキスシーンもでない。むろんポルノ雑誌もない。エロ本を韓国に持ち込むと逮捕される。
 船が韓国の港に着くと、船内に貼ってあるヌード写真を外さなければならないし、図書室にあるヌード写真の載る雑誌等は皆、何処かへ隠す。それほど風俗にうるさい国なのだ。
 エージェント氏いわく、
「韓国は朴大統領下、国民一体となって清い国を創っている。」
 なんで、そんなに清い国が女郎屋だらけでポン引きがうろうろしているのか、と言いたくなるもんだ。
 さっそく、警察へ通報すると双眼鏡で船からゲイトを覗く。
「来た、来た」
 パトカーが乗りつけると、バッと蜘蛛のように散るポン引き。何人かが捕まりパトカーに引きずり込まれる。
 また、いっときすると、パラパラと人数の減ったポン引きが集まって来る。ぼそぼそと何か話しているようだった。
 だいぶん揃ったところへ、また警察へ電話する。バッと逃げるポン引き、それを追う警官。手に木刀を持っている。

2015年12月7日月曜日

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-2

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-2


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 とにかく安いので、あまり文句は言えないが、本当に何でも安い国である。 
 船の荷役も岸壁にクレーンがあるが、クレーンは動かずに荷役人夫が船底から荷を運び出していた。クレーンを動かすよりは、人夫の人件費の方が安いのだそうだ。おかげで、出航は遅れ、長い長い停泊となった。 
 ある時、骨董品を買おうと、十万円程エージェント(代理店)に両替えしてもらったら、皆五百ウォン札でくれた。すごい札の量である。サイフに入りきれない札束をGパンのポケットや胸のポケットにねじ込んで歩いていると、風がビューと吹き、ポケットの札束がパァーと宙を舞った。空一面に舞う札束。「きれいだなぁー」と花びらのように風に飛び、流れる札束を見ては、一瞬の出来事にぽやーっとしていると、何処から集まって来たか、韓国人がわぁわぁ言いながら、僕の札束を拾っていた。車が止り、一時、通りがパニックになった。「はっ!」として、札束を拾うが、ごわごわになって両手に抱えきれない程の札束を数えてみると、だいぶん少なくなっていた。 
 仁川の波止場のゲイト(門)の所にポン引きがたむろしていた。かなりの金になるらしく、ゲイトを出る外国人を皆、車に引きずり込もうとする。 
 七十歳近い船医の爺さんがゲイトでポン引きに抱え上げられ車にほうり込まれ、遊郭で捨てられたらしいが、役に立たぬ爺さんは孫のような女と茶を飲んで金を払って帰ったという。 
 僕はこのうるさいポン引きに頭を焼いていた。ゲイトを出ると、わぁわぁハエのように寄ってくるポン引きを睨みつけて街へ出るが、ある時ハイエナのようにしぶといポン引きが一人、街をゆく僕をつけ廻した。 
「うるさいから、あっちへ行け!」 
と言うが、行かない。ついて来るのは勝手だからと、ほっておいたら、今度はそのポン引きが僕に文句を言い出した。彼は僕が遊郭へ行くもんだ、と思ってついて来て、僕が遊郭へ入った時、ドサクサにまぎれて、そこの女将に「客を連れて来た」と言って、金をもらうつもりだったのだろう。それが、僕が一向に遊郭へ行く気配がないので、頭にきたのだ。

2015年12月4日金曜日

十. 韓国編 Ⅰ人々の中で-1

十.韓国編-Ⅰ人々の中で-1


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韓国の下町の風景が好きである。寒々とした中、着膨れした年寄りが立ち、子供らが元気良く遊ぶ。夕方ともなれば、各家々が七輪を出して家の前でバタバタと扇ぎ、街は靄が掛かったようにぼやける。土塀造りの家々がうっすらとベールに包まれる。瓦(かわら)瓦(がわら)の屋根が見え、コートの襟を立てて労働者が家路へと急ぐ。何か、ざわざわとした人間臭さを感じさせる街である。
 僕は良く仁川の下町をうろうろとした。下町の雰囲気が好きなのだ。この国ばかりは顔立ちが似ているので、じろじろ人に見られたりする事もなく、何処へでも歩いて行けた。何も喋らなきゃ分らないし、格好ももともとリッチじゃない。
 それでも交番の前を通りかかると何処からか、ひょい、と手が伸びてきて、襟首をひっつかまえられ、交番の中へ引きずり込まれる。警官が早口の韓国語でベラベラと怒鳴りちらすが、向うは僕が分かる、と思って喋っているのだろうが、僕には雑音にしか聞こえなかった。
 身分証明書を見せると透かして見ていたが、何も処分はされなかった。迷惑な話である。韓国では長髪が禁止なのだ。それが容疑らしいが、中学校じゃないぜ、ほんまに。
 僕は骨董品が大変好きで、韓国での骨董屋廻りを楽しみにしていた。偽物が多かったが、忠実(まめ)に歩けば戦争のどさくさに中国から渡って来た掘り出しものがあった。が、良い品物を見つけても値切るのが大変で、店の親父と知恵比べとなり、何度も騙されかかって、「こりゃアラブ人と変わらんわい」と、ますます韓国人に警戒心を増すようになった。
 骨董品ではないが、既製の品物はコピーが多く、ズボンを買ったらチャックにはYYKと書いてあり、スポーツウェアを買えばアダダスと英語で書かれてあった。実に紛らわしい。
 登山用具店を見つけたので、羽毛服を買うと、鶏の毛みたいなものが入っていた。ハーケンやザイルも買ったが怖くて使ってない。

2015年12月2日水曜日

九.オーストラリア編 Ⅱ 原始人の島-2

九.オーストラリア編 Ⅱ 原始人の島-2



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が、今回は爆竹をならすわけにはいかない。彼らの視線を外し、澄して歩いて行く。砂煙がいやらしい。
すると、彼らの方から、猿人の若い男が、
「ワダ!ワダ!」
と叫び、駆けて来た。俺の名を呼びながら駆けて来た。一瞬、全身に水をかぶったような寒気が襲い、
「何故?俺の名を呼びながら駆けて来るのか?俺りゃ、猿人なんぞに知り合いは居ないぞ!」
と、突然の気味悪さと、不思議さとで、何が何だか分らなくなり、慌てて駆け出す。
 後ろを振り向くと、男がさらに追い駆けて来る。慌てて後ろを振り向き、振り向きながら何が何だかわからず、とにかく駆ける。砂塵が舞う。
 幾らか走ると、後ろの男も諦めたか、歩行を緩め、止ったが、僕はまるでミステリーゾーンの世界にでも迷い込んだように気味悪くなった。
 あの時、猿人が叫んだ「ワダ!」という言葉は、本当に僕の名を呼んだのか、それとも原地語に何か意味のある言葉があるのだろか、訳の分からぬ事ばかり起る、島の太陽は幾つも霞み、砂風ばかり吹きまくっていた。

2015年11月30日月曜日

九.オーストラリア編 Ⅱ 原始人の島-1


九.オーストラリア編 Ⅱ 原始人の島-1


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 オーストラリア、ダーウィン市をぐーっと廻り込んだカーペンタリア湾に浮ぶ孤島、グレートアイランド島。かつてのオーストラリア現地人の保護地区である。
アフリカ、ニューギニアと、黒人をいろいろ見て来たが、此処の原住民は黒人ではなかった。黒源人に近く、色の黒さは並の黒さではなく、焦げたように茶色っぽく、髪は白髪に近いグレーで、長髪にしていた。顔は、昔映画で見た「猿の惑星」に出てくるあの猿人の顔そのものである。猫背で背中が曲り、手足が異様に長く、人間の姿には程遠いものである。
 こういう顔にじーっと見られると怖いものであるが、向うの方も東洋人である僕が珍しいらしく、興味げに、じーっと見る。そんなに見つめられたら、恐いというのに・・・。
 風が強く、砂煙が立つ、バラックの立ち並ぶ道を歩くと、猿人らが、立ち止まって見る。回りから視線が集まる。
 彼らに見つめられると、故郷の野生猿を放し飼いしている高崎山へロッククライミングの練習へ行く時を思い出す。小道の両脇に何十匹もの猿が陣取って僕らの通路を塞ぎ、ボスらしい大猿が前方で、じーっと僕らを睨みつける。僕らは、なるべくうつむき彼らと眼を合わせぬようにして歩いてゆく。眼を合わせると、大猿が「キー」と言って襲って来るのだ。そういう時、僕らはすかさず持っていた爆竹を投げる。パン!パン!パン!と激しい音が山に響くと、猿どもは天と地がひっくり返ったように目ん玉をくるくる廻し、慌てふためき手足をバタバタさせて山奥に逃げまくる。

2015年11月27日金曜日

九.オーストラリア編 Ⅰ(ブリスベーンの星座-2)

九.オーストラリア編 Ⅰ(ブリスベーンの星座-2)


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初めての方は、1からお読み下さい。

彼女らは、とかく日本の事を聞きたがり、トウキョウへ行きたい、としきりに言っていた。
「一緒に踊らないか?」
と娘らが誘うが、自分より遥かにデカイ女と踊りなど踊る気もせず、しきりに断るが、断りながら彼女の豊満なバストに目をやっていた。押し潰されそうだ。
 オーストラリアの若者は非常に建設的で明るく、気候のせいであろうか、日本人のようにジメジメしたところがない。ジャパニーズがムーン(月)なら、さしずめ、オーストラリアンはサン(太陽)であろうか。
 明るい若者らと接するうちに、僕もすっかり打ち解け、ワァワァ言って太陽の子らに近づいた。彼女らは、大きく口を開けてよく笑い、真白い歯をキラキラと輝かせていた。
 夜も更けた通りを、若者らとメロディを口ずさみながら歩く。凄い星だ。夜空が完璧に開放されている。快ち良い風が何処からともなく吹き寄せる。道は広く何も居ず、未来の国に降り立ったような不思議な気分にさせられる広大な街の一夜である。

2015年11月25日水曜日

九. オーストラリア編 Ⅰ(ブリスベーンの星座-1)

九.オーストラリア編 Ⅰ(ブリスベーンの星座-1)


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初めての方は、1からお読み下さい。

ブリスベーンの街は道路が広く六車線はある。横断歩道がないのは道路の広さのわりに車が少ないからであろう。建物はほとんどがペッチャンコで一階建てが多く、歩く人々もゆったりとしている。
 海岸線はアフリカのモザンビークを思わせる白い砂浜が何処までも続き、大洋からの厚い波を打ち寄せている。空はコバルトブルー、何処までも澄み渡っている。
 オーストラリアに来て街の大きさのわりに人通りの少ないのに驚くが、ゆったりとした国全体がリゾート地のような錯覚におそわれる楽園のような国である。
 僕はさっきからビールが飲みたいのだが、なかなかビールに巡り合わぬ、カフェーがないのだ。むろん歓楽街のような所も見あたらぬ、薄暗い街を歩いていると、野犬に襲われるような気がしてくる。都会の中ではあるが、道路がとてつもなく広いので、暗い。草原を歩いているようだ。
 やっと、ネオンらしきものを見つけ、狭い階段を下ってゆくと、地下はダンスホールになっていた。若い女性らが踊っている。発育の良い身体つきで皆、僕より背が高く、横幅があった。その女性らが、派手に踊っている最中、とても奥のカウンターまで辿りつけそうにない。それでも、ビール飲みたさに意を決して歩き出すが、彼女らの発育の良さには圧倒されてしまう。
 ブルーやレッドの照明のチカッチカッとする中、僕の頭より遥か上で揺れるバストを斜めに見ながら、
「何を食ったら、あんなにデカクなれるのか、マトンか?」
と、ぶつぶつ言いながら彼女らの中を潜り、ようやくカウンターまで辿り着く。
 オーストラリアンが大きいことは知っていたが、僕より若い娘があんなにデカイとは知らなかった。パプア人の倍はあろう。栄養の良いもんである。
 楽しく踊る彼女らを眺めてはビールを飲んでいると、
「ハーイ」
と体格の良い二人連れの女の娘が話しかけて来た。二人とも金髪で胸がはちきれそうだ。紅く血色の良い顔はピチピチとして、“生きている”と、身体中で表していた。眩しい姿である。

2015年11月23日月曜日

八.スマトラと南十字星-5

八.スマトラと南十字星-5


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 以前、香港へ行った時、香港は岸壁は少なく船はほとんど沖荷役であった。荷役はジャンクという小さい帆船が幾度も来て行うが、このジャンクは大抵、家族で営んでいるが、あるジャンクの家族に利発そうで、とても奇麗な娘がいた。彼女は日本人と変りなく、僕より少し年下ぐらいで、日本の女子大生といった顔立ちの髪の長い娘であった。その娘が作業服を着て、顔を埃で汚し、荷にまみれながら働いていた。夜中じゅうである。
「可愛い娘だなぁ…」と、前々から思っていた僕はワッチ(見張り)の時、いつも彼女の廻りをうろうろとしていた。冬であった。風が冷たく凍えるようであった。「寒かろうに…
と、白い息を吐きながら働く彼女を不憫に思い、熱いミルクコーヒーを作って彼女のところへ持って行ってあげた
「寒いだろう…」
と言って、彼女に湯気の上るカップを差し出すと、彼女は、くゎっと眼を見開き、何ともいえないような眼をして僕の顔をみつめ、さっと僕の前から走り去った。
 その後、彼女は僕を避けるようになってしまい、お互い何も言葉を交す事はなかったが、僕はあの時の彼女の眼が忘れられなかった。
 彼女も年頃の娘である。日本では奇麗に着飾って花も恥らいもある年頃なのに、汚い格好をして埃にまみれて労働する時、たいして歳も変わらぬ男性からコーヒーを差し出され、自分が哀れみを受けている、と感じたのであろうか、彼女は恥かしさと、情けなさで胸がいっぱいになったのだろうか、あの時の彼女の眼は、僕がかつて見た事のない複雑な人間の感情を表していた。
 女性である。女性で生きる、ということが僕ら男が思ってもいないほど複雑である、ということを香港の娘の眼を思い出し、目の前に居るスマトラの娘を眺めながら、生ぬるい風に吹かれ、籐椅子に深々と座って考えていた。南十字星が良く見える、ジャングルに包まれた女達の館、中庭の光景であった。

2015年11月20日金曜日

八.スマトラと南十字星-4

八.スマトラと南十字星-4


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「あなた、あなた」
と、あなた、しか知らないあなたどもにもみくちゃにされ、車を降り
「こりゃ、すげぇ。女だらけだ」
と、相棒に言うと、相棒は、
「これだけ女ばかりだと気味悪いなぁ…」
と呟いていた。太った娘や小さい娘や、いろんな娘が僕の手を引く。歳は若い。結局、一番力の強そうな女に引っぱられ、相棒は?と見れば大柄な女が抱えるようにして連れて行っていた。
 僕が案内された部屋は狭く、散らかっていた。奥を覗くと、四・五歳の子供らが、二・三人居るので、
「うぁ、子供と一緒に暮らしているのか」
と、子供らの遊ぶ姿を見たら、急に色気もクソもなくなり女に金を渡して部屋を出た。生活がかかっているから強引なはずだ。
 表に出ると、今度は一番若そうな娘を選び、これなら子供はいまい、と部屋へ行き、いろいろと聞いてみることにした。
 此処の女達は皆、出稼ぎで、周囲の小島から来ているという。彼女もその一人で、此処でお金を貯めて、故郷へ帰って結婚すると言っていた。
「ふーん」という感じで便所へ行くと、裏は真暗で柵の向うはジャングルになっていた。何か?獣の気配がするようで、ゆっくりしゃがんでいられなかった。
 彼女らは明るくよく笑った。悲愴な感じはひとつもなかった。皆お金を貯めて田舎へ帰って結婚する、という目的があるらしく、何々さんは二年で幾ら貯めて結婚したとか、しきりに言っていた。日本の季節労働者みたいだが、結婚するのにそんなにお金はいらぬはずであるが、何か特別の儀式があるのか?それとも、この地方は女が男を養っていく土地柄だろうか?日本では到底考えられぬ事である。
 僕は世界中廻ったが、日本の若い娘ほど恵まれている娘はないだろう、と思う。皆、奇麗な服を着飾って旨いものを食って満ちたりた顔をしている。

2015年11月18日水曜日

八.スマトラと南十字星-3

八.スマトラと南十字星-3


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「汚いなぁ…」
 それでも冷たいビールが飲めるとあって待ったかいがあった。よくぞ氷を見つけてきた、とニヤニヤしている小僧に小銭をあげ、良い子だ、良い子だと頭を撫でていると、後ろでパッシューン、ゴボゴボと音がするので慌てて振り向くと、女がビールを洗面器の氷の塊に注いでいた。
「ああ、あ…あ…」
 僕は連れとは行動しない主義だが、船の仲間に、つい誘われてタラップ近くまで車を乗りつけたポン引きの運転する車に乗って遊郭へと向った。
 街を過ぎ、真暗なジャングルをドロンコの道を転げながら走って行く。熱帯特有の濃い緑の広い葉が窓ガラスを叩く。「ギャッ」、「グウェッ」とえたいの知れぬ動物の鳴き声がする。
「何処へ行くつもりだろう?」
とだんだん不安になってくる。
 運ちゃんが、このあたりはハリマオー(スマトラのトラ)が出るから、と言ってスピードを上げ、ガタガタと車を揺らして突っ走る。
「おい、女と遊ぶのも命がけだなぁ」
と、友人に声をかけると、彼は青くなっていた。
 真暗いジャングルをぬけると、目の錯覚か?赤や青のネオンが見えた。驚く事にこのジャングルの山奥に電気がある。自家発電であろうか?闇のジャングルから、一気にチカチカ輝くネオンを見て、目がぼわーと霞んでくる。悪い夢を見ているようだ。
 国境線にあるような黄と黒の遮断機があり、運転手の顔を確認すると、「ギィー」といって台が上る。中には木造の家々がぎっしりと並び、一軒一軒の家の前に椅子が置かれ、女らが涼んでいた。売店も幾つかあった。
「へぇ!?街のようになってんだなぁ」
と思わず感心してしまう。男は居ない。女は百人近く居るという。ハリマオーの薄暗いジャングルに比べると、パラダイスだ。世の中、いろんな世界があるもんだなぁ、とほとほと感心していると、車に女達がむらがって来た。ひさしぶりの客らしい。

2015年11月16日月曜日

八.スマトラと南十字星-2

八.スマトラと南十字星-2


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 デュマイの街は、東南アジア特有の騒めきがある。この街には輪タクが走っていた。客を一輪車の座席に乗せて自転車を漕ぐわけだが、この一輪車、前に人が乗り、後ろに麦わら帽をかぶったおっさんが自転車を漕ぐもんだから、乗ってみると、実に怖い。対向車線などないこの街は、前から車が、ヴォーン、と走って来る。
「わぁー」「わわわ」
 ブォー、グォーと、目の前から車が向って来る。こんなぶっそうなものに乗れるもんかと、
「おい、親父、降りろ!俺が運転してやる」
と、親父を前の座席に乗せてペダルを廻すが、ペダルが重い。重心が前にあるのでハンドルが切りにくいのだ。ふらふら、ぐにゃっと運転すると前からどんどん車が向って来る。
「うひゃー」「うぇー」
 今度は親父が前で叫ぶ。どうだ、人の気持ちが分かったろ!とペダルを踏み続ける。
 鼻髭を生やした東洋人が、現地のおっさんを乗せて輪タクを走らせているので、街の人が、なんだろう?と、不思議がって皆んな見ているが、
「いやぁ、なかなかの市内観光、運動にもなる」
と、僕はすっかりごきげんである。
 この街では実にいろんな物を食った。訳の分からぬ料理は油っこく、こくのある味をしていた。
 街のポン引きに誘われるまま、つい、入ってしまった納屋のような女郎屋で、
「暑い暑い。おい、ビールを持って来い」
と、藤の団扇で扇ぎながら叫ぶと、イカリソースの瓶みたいな瓶に、また訳の分からん文字を書いたビールを持って来た。ぬるい、というより熱かった。
「こんな、ぬるいビールは飲めん、冷たいやつはないんか!」
と、また叫ぶと、
「ワワワワ」
と店の女が小僧に何か言う。
 しばらくして、小僧が走って帰って来たので見てみると、金属の洗面器の中に氷が一塊入っていた。懐かしい、子どもの頃、かき氷屋で見た氷の塊だ。よく見ると、中に藁やら何やらようけ入っている。

2015年11月13日金曜日

八. スマトラと南十字星-1

八.スマトラと南十字星-1


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インドネシアのスマトラ島南東にデュマイという街がある。僕はこの街と日本とを往復する事になった。
 岩壁の対岸には蟹喰い猿と名づけた手の長い猿がバチャバチャと水の中に入り、蟹を取ってはムシャムシャと食っていた。
 この蟹喰い猿、蟹ばかり食っていれば良いものを船に忍び込んでは食い物を漁る。頭にきた僕らは猿が入って来たのを確かめると、タラップを上げて彼らを追い廻す。逃げる猿を追って船内をぐるぐる廻ると、猿はついに岸壁に張ったロープを伝って逃げようとする。が、素早く仲間が岸壁へ先廻りする。こうして船にも岸にも行けなくなった猿にロープをプラーンと緩めて縄跳びの縄みたいにたるませてから、プーンとロープを跳ね上げると、猿はロープにつかまったまま止っていて、それからボチャーンと海に浸かる。猿はロープにしがみつく。海に落ちるか、ロープに振られるか、だ。ビューン、バチャーン、根性、根性。
 動物愛護の人が聞いたら怒られるような話である。が、そういう僕らも彼らに食べ物をやったりしてけっこう可愛がっていた。
 また、別に猿ばかり苛めて喜んでいたわけではない。現地でアルマジロという蟻喰いを買った僕は可愛がっていつも連れて歩いていた。長い尾っぽで、眠る時はまん丸のゴムマリみたいになる奴で、とても可愛いもんだった。こいつは蟻しか食わず、蟻の傍へ行っては自分の身体の半分はあろう長い舌をベロンと出しては蟻を食う。のたぁり、のたぁりと歩くぶきっちょな姿は原始以来、進化を忘れたのんびり生物の姿であった。
 こののんびりさんの航海中の餌の確保が大変で、出航前に慌てて蟻を集めて廻るが、めんどくさいので現地のガキにこずかいをやっては集めさせていた。蟻こそいい迷惑だと逃げ廻っていた。飼い主に似た、のん気な僕のペットであった。

2015年11月11日水曜日

七. ニューオリンズ、ジャズの嵐

七.ニューオリンズ、ジャズの嵐


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パナマをぬけると、一気にカリブ海。透き通る透き通るエメラルドグリーンの海。陽は眩しく、風は軽い。
 メキシコ湾を北上すると、ジャズの街、ルイ・アームストロングの街、ニューオリンズである。ミシシッピ河を逆昇れば、木炭船が行き来する。長い煙突の突き出た箱のような船である。
 憧れの街には、客馬車が走り、白馬がカッポカッポとひづめを立てている。長いシルクハットをかぶった白髪のブラックマンが黒いスーツを着て馬を引いて行く。街は南部の薫りがあり、道ゆく人ものんびりとして、アメリカ独特の雰囲気が漂っている。
 薄暗くなりかけると、何処からかジャズの音が聞こえてくる。ペットの響きに惹かれるまま歩いて行くと、古い木造の西部劇そのままの酒場があった。長いカウンターに腰かけ「ワン・ビアー」と、五十セント銅貨をパチンと置けば、すぅーと細長いカウンターの上をコップに注がれたビールが走ってくる。泡が丁度良い量だ。後ろの座席で黒人らがトランプをしている。店員もすべて黒人である。
 ステージで白髪のオールドマンが身体をくねらせペットを鳴らす。目を閉じ、酔うようにペットを吹き鳴らす。僕もしだいに酔いが廻り、身体を揺さぶる。老人の額に汗が滲み、サックスが加わり、ベースが加わり、しだいに調子が出てくる。あたりはもう完全に暗くなり、あちらこちらとジャズの音色が響いてくる。店を出れば、隣、その隣と、すべての店で生演奏となり、心地良い音が重なり合い、目がうつろとなる。
「こりゃ、いいで、今夜は最高!」
と、すっかり、ごきげんで、乗った気分で肩を揺らして人波に混ざると、酒場の前で、黒人の子供らがタップダンスを踊っている。全員つなぎのジーンズを履き、飛び跳ねたり、宙返ったりと、快適に踊っている。リズムは酒場から流れるジャズの生演奏。逆さに置かれたシルクハットにコインが投げられ拍手が響く。汗びっしょりの子供らだ。
 店に入るたびに、ムッと熱気がする。モヤモヤとむせる煙草の煙の奥で、熱演するジャズマンたち。年老いた肉体のどこからあのパワーが出るのか、と思う程、ペットをサックスを吹きあげる。ビンビン響く熱演の連続で熱気が飛び交い肌に染み、一種独特、妖気なムードが漂う酒場の空間である。
 百年、逆昇った、開拓アメリカ、南部の世界へと迷い込み、理屈もなにもない、熱気だけの世界に酔いしれる。ニューオリンズの蒸し暑い夜であった。

2015年11月9日月曜日

六. 運河を越えて

六.運河を越えて


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カナダ、アメリカの西海岸を廻り終えた後、僕の乗る船は、パナマ運河へとさしかかる。
 米空母、ミドウェーが船体すれすれに運河を航行する。巨大なビルディングのように運河に聳え立つ空母。次から次と、真黒い潜水艦が浮上する。第七艦隊の大パレードである。
 ようやく、僕らの船が岩壁に長いロープを投げると、インデオがウィンチへと掛ける。ぐぐっと船体が揺れ、巨大な水路へと引きずり込まれる。
 水路の喫水を調整しながら水門を出ると、湖のように透き通る美しい運河を進む。青々と茂る樹木、水の上に森があり、森の下に河が流れる。樹木や草、すべてのものが水の中から生え茂っている。キラキラと陽に照らされ、眩しい眩しい光景である。
 パナマの街は東南アジアのようにざわめき、騒がしい雰囲気が漂っていた。日本の漁船らが給油のため、よく滞在するこの街は、歩けば日本語で声をかけられる。
「あなた、スケベーヨ」
「あなた、あなた」
 陽が暑く照り、額からぼたぼたと汗が落ちる。市場へオームを買いに行こうとするが、ポン引きや女らがむらがってくるのだ。日本語の流暢そうな女に
「オームは何処で売ってるか?」
と尋ねるが、
「オームはスケベーよ、あなた!」
と、全然話にならない。スケベーしか知らないようである。
 ようやく、見つけた市場は大混雑で子供が、四、五匹のオームをカゴに入れて売っていた。
「ハウ、マッチ?(幾らだ?)」
と、尋ねると、回りからワイワイ言って人が集まって来て「幾ら、幾ら」と指を曲げる。お前らに聞いてるんじゃねぇ、この子に聞いてるんだ!
「何か喋れるか?」
と子供に尋ねると、
「ヤーヤー、セニョール、何でも喋るよ!」
と答え、オームに向って、
「セニョリーター、セニョリーター」
と言ってみる。すると、赤じゃ青じゃ黄色じゃと、尻尾が長くて派手なオームは、目ん玉をくりくりさせながら、
「ギャーグァー」
と、ジャングル語で叫ぶ。
 何も喋れねぇじゃねぇか。

まぁ、気長に教えれば何か喋りだすだろうと、オームを抱きかかえ船へ帰ろうとすれば、原始人のオームが急に日本語で喋りだす。
「あなた、何するか?」
「あなた、何処行くか?」
「あなた、スケベーよ」
 何処へ行こうが、何をしようが、俺の勝手だ。ほっといてくれ!

2015年11月6日金曜日

五.アラスカの夏-4

五.アラスカの夏-4


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ようやく着いた港へ降りると、何事もなかった様に象の鼻のような機械から、船倉へチップが流し込まれていた。喫水は下り、船体はだいぶん沈んでいた。皆に見送られながら船のタラップを昇っていくが、足が重く、この地に未練が残った。
 幾日かして、忙しい出航準備をなんとなく惰性で終えると、ぼんやりと岸を眺めていた。すると、車が近づき、止まったかと思うと、人が近づいてきた。キャッシーと友人の女の娘だ。隣町から駆けつけてくれたのだ。「見送りに来た」と言い、船内で食べてくれ、とサーモンの燻製を持って来てくれた。彼女の顔は赤く紅潮していた。僕にサーモンの燻製を手渡すと、
「今度、いつ来るか?」
と、尋ねた。目が大きく見開いていた。そのくるくると動く瞳を見ると、何も言えず、
「来年、雪が溶けたらだ」
と、嘘を言ってしまう。
 スタンバイの汽笛が鳴った。僕はおもわず彼女を抱きしめる。髪からは、やはり甘酸っぱい薫りがした。急に何か、込みあげるものがあり、もう、こういう事はよそう、と静かに思った。再び彼女を強く抱きしめると、「グット、バイ」と、言って彼女の手を握った。息が熱かった。彼女も、「グット、ラック」と言って僕の腕を強く握った。ゴールドのキラキラとする髪が潮風になびき、何本かの金筋が青い海を背に舞った。
 タラップを下る彼女の背に陽が射し、時折、振り返っては手を振る姿が何時までも、僕の前から小さくならなかった。
 キャッシーの立つ小さな岩壁を僕の船は離れてゆく。もう、おそらく逢う事のないキャッシーに幾度も手を振る。あの夢のような数日間を振り返り、振り返り、「さらば、アラスカ、さらばキャッシー」と呟いた。
 風が冷たく、アラスカの夏は終わろうとしていた。




2015年11月4日水曜日

五.アラスカの夏-3

五.アラスカの夏-3


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心地良い夕暮れ、僕は彼女と幾度も踊った。カセットテープから流れるディスコ調のリズムは若い僕らを酔わせた。あたりが暗くなりかけると、キャンプファイヤーの炎がバチバチと燃えあがり、見た事もない星座が幾つも輝いていた。
 彼女の長い髪からは甘酸っぱい薫りが流れた。田舎で育った彼女は都会の事を良く知らぬようであり、日本の事を話すと珍しそうに聞いていた。僕の英語がまずいのか、よく白い歯を出して笑っていた。
 翌日、僕らは長いカナディアンカヌーに乗り込むと、湖へと出かけた。水は滑らかだった。水面すれすれに浮ぶカヌーに乗って滑るように水を切って進んだ。僕はごきげんだった。目の前にキャッシーが居る。グリーンのダウンベストを着てカヌーを漕ぐ彼女の背にやさしい陽差しが射込んでいる。湖の奥へ奥へと入って行くと、水の色は深いブルーからコバルトブルーへと変わり、森から飛び立つ大きな鳥が幾匹も頭上を横切って行った。肌に染み通るような滑らかい涼しさが僕らを襲った。
 遊び疲れた僕らは、夕食の準備に取りかかる。誰かが奏でるギターの音がナレーションとなり、黄昏の湖畔にゆっくりと流れていた。
 すっかりキャッシーを気に入ってしまった僕は、このままこういう時間が何時までも続く事を望んだ。船に帰りたくなかった。このまま、このアラスカの地で生活したいなどとも思った。
 キャッシーが、「また、この街へ船で来る事があるか?」と、尋ねた。製材の過程で溜った木材のチップを、たまたま僕の乗る船が何年かに一度取りに来た街である。万が一にももう来る事はあるまい。
 キャッシーと離れたくない、と暗闇で彼女を抱きしめると、チャプチャプというさざ波の音だけが聞こえ、空には星が輝いていた。
 幾日か、皆で楽しく過ごしたバカンスは終わり、行きに乗って来た車へと乗り込むと、湖畔の曲りくねった道を通り、街へと向かった。皆、遊びくたびれて、ぐたっとなっていた。僕は流れる黄色い針葉樹と、チラッ、チラッと樹木の隙間から見える光る湖を、ぼんやり目を開けて眺めていた。

2015年11月2日月曜日

五.アラスカの夏-2

五.アラスカの夏-2


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「こりゃ、とんでもない車に乗ってしもうた」と、後悔するが後の祭りだ。他の人らは酔っているのか、慣れているのか、歌を歌いながら酔っぱらって運転する運転手のことなど、おかまいなしである。それどころか、女の娘が後ろの座席から運転する男に抱きついたり、髪の毛を引っ張ったりしている。
目がくらくらして酔いが廻ってきた。だんだん心地良い気分になると、このどうしようもない状態から逃れられない事を悟り、
「もう、どうにでもなりやがれ、俺りゃ運が悪かったんだ。こんな奇麗な所で死ねて本望じゃねえか!」
と、完全に開きなおってしまう。開きなおってヤケクソになると、急に元気になり、ワァワァ言って女の娘に抱きついたりしていた。
 眠っていたのか・・・・・・眼を覚ますとキラキラと輝く湖のほとりに横たわっていた。寝ている僕を覗き込むように、金髪の娘が
「食事ですよ」
と、声をかけた。
 だいぶん飲んだようだ。頭がくらくらする。痛む頭を押さえながら起き上がると、彼ら4人の他に若い男女が7、8人は居た。焚火をしてサーモンを焼いていた。
 湖畔であった。樹皮の付いたままのログハウスがあった。太いアラスカ杉を重ねて創った本物のログハウスで、こげ茶色の樹皮がびっしりと付き、防風のためであろうか、樹木と樹木の隙間に黄緑の苔をさし込んである。傍には手製のブランコが、やはり樹皮を付けたままの樹木で創られていた。
 湖畔から涼しい風が吹き、波がチャプ、チャプと、揺れていた。
「なんて、気持ち良い所なんだ・・・・・・」
と、先程の恐怖とは打って変った静かな湖畔に茫然と立っている僕に、髪の長い女の娘がバーベキューを持って来てくれ、「これから皆でダンスをする、一緒に踊らないか」と誘った。目がブルーで金髪の奇麗な娘である。ジーンズが良く似合うスリムなスタイルをしていて、名をキャッシーと言った。

2015年10月30日金曜日

五. アラスカの夏-1

五.アラスカの夏-1


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 アラスカの夏は暖かく、半袖でも充分である。フィヨルドの田舎の岩壁。船がやっと一艘、着くぐらいである。
 若い金髪のねえちゃんが、ヘルメットをかぶり、ジーンズのつなぎを着て、カッコ良くブルドーザーを動かす。産業が少なく、人口も少ないので、人々はあらゆる仕事についている。港の近くにはサケの缶詰向上があり、若い工員らがラフな格好をして働いていた。
 この付近はサケの宝庫で、三十センチはあるサーモンが幾らでも釣れる。道を歩いていたら小学生ぐらいの子供が橋の上からサーモンを釣り上げては河に戻していた。贅沢な釣りをするもんだ、と橋の下を眺めてみると、浅い河にサーモンが重なり、きらめいていた。日本の釣りファンが見たら、眼に涙を浮かべる光景である。子供に竿を借りて釣ってみると、三十センチはあろうピチピチしたサーモンが幾匹も上った。
 しばらく、休憩がとれたのでカメラを下げてブラブラと歩いてゆく。すると、
「ヤッホー」
と、車が止まり、車高の高いバンの車の窓から若い男女四人が顔を出して、
「ジャパニーズ、乗れ 乗れ」
と、手を振る。
 何処へ行くのか知らぬが、時間は充分にある。何処へでも行ってやろうじゃねえか、と車に乗り込む。彼らも休暇でこれから遊びに行くと言う。四人とも僕と同じ歳ぐらいで男は髭を蓄えていた。後ろの座席から三リットルはあろうワインのビンが廻って来た。「飲め飲め」と言うのだ。「まさか?」と思ったが、運転手も片手ハンドルでビンを握るとガブガブと口に流し込んでいた。
 大昔、氷河が磨ったであろう、切り立った河岸の曲りくねった道を車が走る。ガードレールなどはない。運転手が酔っぱらってきた。だんだん後ろを向いて大声を張り上げたり、ハンドルをぐらぐら揺らしたり、車を蛇行させながら運転しだし、とうとう飲みほしたワインのビンを窓から投げ捨てると、ガシャン、と後ろの方で音がする。

2015年10月28日水曜日

四.大アマゾン-3

四.大アマゾン-3


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ジャングルの樹木は土の上からではなく、水の上から生えていた。ごわごわとした大きな葉は一枚一枚が濃い緑で、覆い茂る葉の間には、いたるところからツタが伸びくねっていた。赤や青、黄色の尻尾が長くて派手な鳥がバタバタと飛び立ち、気味悪い程の密林の静閑さの中に何時までも翼の音の余韻を残した。うっすらとジャングルにモヤがかかり、薄暗くなり始める頃、僕とインデオは夕陽に、紅く染まるアマゾン河面を背に、河上一路、マナウスへと向った。
 マナウス、ジャングルの中のオアシス、人の住む街。薄暗くうっそうとした何が居るか分からぬジャングルに比べると別世界である。
 インデオの娘がビールを注ぐ赤いネオンの下、深い椅子に腰掛け風に吹かれる。何か訳の分からぬ白身の魚や、エビや貝など、淡水物とは思えぬ深みのある味を楽しみながら、海のようにさざ波のうち寄せるアマゾンの岸辺を楽しむ。路上では子供らが長い夜を楽しみ裸で遊び、カフェーの中えはインデオらがトランプをしていた。
 すっかり、良い気分になった僕はふらふらと、涼しいマナウスの街を歩いて行くと、よく整備された広い道には、人通りはなく、並木が青々と茂っていた。道路脇の緑の芝生の上にブランコがあったので、
「懐かしいなぁ」
と、ブランコに乗り、ギィギィと揺らすと、少年の頃に戻ったようである。気持ち良い肌触り、心地良い風が吹きぬける。日本の早秋の薫りがした。
 子供の頃歌った童謡を口ずさむと、気分が良いのか、気候が良いのか、声が透き通り、さらに気持ち良くなった僕は声を大きくして幾度も歌った。自分で自分の歌に酔っているようでもあった。
 何か?声がするので、ふと前方を見ると、公園の前は、役所か軍隊の寮なのか、高い塀が並び、門衛の兵隊が立っていた。そいつが僕の方を見て、手ぶりで「あっちへ行け!」と言っていた。人がせっかく気持ち良く歌っているのに知った事か、と日本語で「うるせぇ!」と叫ぶと、かまわず無視して歌い続けた。
 そして、ブランコの上から見えたり、見えなくなったりする門衛を、潰れそうな瞼を開けて見ていると、そいつはサッとしゃがみ込み銃の弾込め装置をガシャンガシャンと鳴らしてから、ピタッと僕に向けて照準を合わせた。「はっ!?」ブランコの揺れに合わせて、ザァーと血の気が引いていくのが分った。アフリカの警官の件もある。何をされるか分ったもんじゃない。パッと慌ててブランコから飛び降りると、一目散に駆ける。彼らは振り向かぬ。「撃たれるかもしれない。」と、背中に汗が滲んだ。早く射程距離を離れたい一心に、かなりのスピードで走った。
 一生に一度、出るか、出ないかの好記録を出した僕は、大樹に持たれかかると、「ゼーゼー」と大きく息をした。良い気持ちで飲んだビールがボタボタと流れ落ちた。頬を生ぬるい風がさわった。

2015年10月26日月曜日

四.大アマゾン-2

四.大アマゾン-2


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 四昼夜目に、河の流れが緩やかになり、広い河水留りの河岸に白い建物が見えてきた。マナウスだ。よくも、こんなジャングルの奥地に街を創ったものだ。機材はどうやって運んで来たのだろうか、と、立ち並ぶ建造物を見ては感心してしまう。
 マナウスの街は昔、アマゾンの奥地からゴムを引き出してくる波止場で、当時を忍んでか、道路脇にはゴムが敷きつめてあった。
 大型船がマナウスに入ったのは初めてらしく、僕の乗った船がマナウスに入港した事を、現地のテレビで大きく報道すると、これを見たマナウス近くに住む日本人移住者たちが船を見学に来た。
 僕がワッチ(当直)で立っていると、田舎臭い小柄なお婆さんらが二、三人でやって来て
「兄ちゃんは、何処の生まれだべ」
とか、
「何時までいるべ」
とか言っていたが、東北弁とポルトガル語が混じっていて何を言っているのか、訳が分からなかった。お婆ちゃんらは宮城や福島など、ほとんどが東北出身の人で、陽に焼けた顔にモンペを履き、いかにも元気そうに陽焼けした顔をほころばせながら笑っていた。
「あんた、此処はいい所べぇ、日本に有るものは何でも揃うべぇ。土地も耕した分だけ自分のものになでょ。兄ちゃんも移住したらいいべぇ」
と、しきりに僕を勧めていたが、お婆ちゃんたちは、「日本に有るものは、何でも揃う」と、言っていたが、それは、お婆ちゃん達が居た時代の事で、たぶん、カップヌードルなんかはないだろう。
 マナウスの街に降りると、色の浅黒いインデオが歩いていた。髪は真黒で男も女も三ツ組をしていた。魚市場へゆくと、ピラニヤや一メートルはあるらい魚のようなグロテスクな怪魚がいっぱい並んでいた。思ったよりは狭い街で、歩くとすぐ突き当りとなり、湖のようなアマゾンの河留りはどす黒い色をしていて、波止場で釣りを楽しむインデオもいた。
 僕は小さなボートに乗り込むと、アマゾンの奥地へと進んだ。案内のインデオは無口に船を走らせ、モーターボートは快適に河を逆昇って行く。


2015年10月23日金曜日

四. 大アマゾン-1

四.大アマゾン-1


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 僕を乗せた船は大アマゾンの河口に近づく。巨大なブルドーザーを南米大陸の中間地点、マナウスまで運ぶためだ。雨期を狙っての航行である。上流から流れ出る水流に逆らって大アマゾンを逆昇ろうとする。大型船、初めてのチャレンジであるらしい。
大西洋のコバルトグリーンの海面に真黒い色が流出していた。河口が近い。ザァーと、たいした抵抗もなく黒い水流に乗り込むと、うっすらと島らしい影は見えるが、水平線も見える。さすがに広い。海のようだ。水平線がギザギザになっている。
 河口で河を逆昇るための水先案内人を乗せるため錨を打って止まっていると、サーッサーッと水すましのようにカヌーがいっぱい近づいてきて、パパイヤなどの果物を持ってくる。僕らは船からドラム缶やバケツを下げては、品物を受け取る。
 一昼夜、昇りつめると大草原が見えてきた。今度は地平線が見える。広大なサバンナ地帯で緑が青々しい。しばらくすると、そのサバンナ地帯に富士山のような三角すいの山が雄々と聳え立つ。美しい山。絵画か、何かを見ているような錯覚に襲われてくる。
 エンジンをフル回転してさらに河を逆昇る。風呂に入ろうとして間違って海水バルブを開けると、茶色っぽい色のついた水がザーッと流れ出た。アマゾンの水だ。慌ててバルブを閉めるが、洗面器の中には水だけではなく、土砂や貝殻のようなものも含まれていた。上流の、さらに上流のアンデスの山奥から、雨で掘られ流出する石や貝。アマゾンは吐き出すようにアンデスの土砂流をも押し流していたのだ。
 さらに一昼夜すると、ずいぶん河が狭まってきた。濃い緑のジャングルが間近となり、「グワッ、ギャッ」と、鳥や獣の声が聞こえてくる。河から見るジャングルは密度が濃く、グリーンの葉やツタの間隔が狭く、濃い緑ばかりで光は漏れてない。
 狭い水路を通ると、ジャングルも間近となり、獣の気配が感じられ、バタバタと、総天然色のオームが飛びかったりする。中州が沢山あるので、蛇行、蛇行と蛇のように河がくねり、つらなり、暗いジャングルの隙間をぬって航行するが、再び大河に出ると、河の色が濃くなってくる。

2015年10月21日水曜日

三.蒼い波-2

三.蒼い波-2



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 水平線に虹が掛かる。虹の端というものを見たくて、少年の頃、自転車に乗って丘を駆けた覚えがある。実際に水平線や地平線に虹が掛かると、水面や地面の下にまだ光を隠しているんじゃないか?と思える程、水平線の下に続きがあるように、くっきりと水平線に真半分で表れる。水面下の虹は別の世界が所有しているように思われる。
 海に顔があるように……各々、海々の朝焼け、夕焼けもまた、十色である。十色どころか、毎日の気候、気温、湿度によって大幅に変化する。むろん、各海洋によって大きな特徴はあるが……。
 朝焼けはブルー、夕焼けはオレンジが主体となる。次から次と変化する色合いは、それは美しいもので、絶景である。絵具やネオンでは見た事もない、とうてい人間が創り出せないであろう色合いが、次から次と演出される。朝、夕焼けとも約二時間、この大ドラマは毎日、演出される。
 昔の人が夕焼けの奥に極楽浄土や桃源郷を見たというのも当然で、神秘的で奥深いものである。
 僕も缶ビールを飲みながら、刻々と変化するこの絶景を眺めていると、あの色彩の奥深くに別世界があるのでは…というような錯覚におそわれてくる。何もなければ、あんなに美しい色彩が出てくるはずがない。それ程、この世のものとは思われぬ色彩が雲の中に滲み、きらめく。
 陽が沈むと、星がぐわー、と群棲する。南半球のあらゆる星座が集まり大パノラマとなる。星がデカイのだ。光星が多く、キラキラと空いっぱいに輝く。これも、また人間が創り得ない最高の輝きである。宇宙が近いのを間近に感じる大気の透き通る闇の中、オールキャスター星座、宇宙の大演出である。
 星を眺めるのに飽きたら、海を眺める。夜の海は音を吸い込み波が声を出す。船体が切る波の音と、潮がうねる波の音とがぶつかり合い、独特のシンホニーとなって、吸い込まれるような、海の中より響いてくる。
 海面には夜光虫がキラキラと光り、船体の切る波に飲まれ、消えてはまた光る。海一面、キラキラの海蛍。
 空を仰げば何億光年先からの鋭い光。自然の演じる光や色や、ささやきは毎晩毎夜、僕に語りかけ、決して飽きることのない海上の日々であった。

2015年10月19日月曜日

三. 蒼い波-1

三.蒼い波-1


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 インド洋は透き通り、大きくうねる。太平洋にはない、やさしさがある。グリーン、グリーンの海、海原である。
 人に顔があるように、海にもそれぞれ顔がある。太平洋は明るく陽性でブルー一色。大西洋は暗く、陰鬱な雰囲気の漂う濃紺。インド洋は、すべからく濃いグリーンで、グリーンの波が大きくうねり、起伏をもって漂う大きな草原のような海である。ミクロネシアの珊瑚礁の海は薄い黄緑で、キラキラと太陽の光が海中の奥深くまで透き通り、海というより清涼飲料水に近い特別の液体を思わせる。
 この十種十色の海原の上に、また十種十色の雲が浮かぶ。南方の雲は、すべて縮れ雲でソフトクリームのように頭がぐにゃぐにゃになっている。下方がスポッと、水平線に平行に切れ、小さな縮れ雲が、幾つも幾つも、同じ感覚をもって、水平線の彼方まで続いている。
 入道雲と呼ばれる積乱雲は白いが、水分をたっぷりと含み重そうに今にも落ちて来そうな雲は、虫歯のように黒い。この雲から落ちてくる壮烈な雨はスコールと呼ばれ、小指程の太い雨の玉をボトボト落とす。スコールが来る時は、ビューと風が吹く。風が突風に変り、かなり激しく吹いてくると、一面、真っ暗となる。点の電燈すべてを消したような日中の停電となると、ザァーと、もの凄い勢いで雨が降りだす。大粒の雨がバチバチと当り、あたり一面、洪水のような水びたしとなる。これが、ほんの数分も過ぎると、カラッと陽が照り太陽が見え、天の電源が入る。
 スコールぐらいは可愛いもので、嵐となれば地獄絵巻となる。空一面、グレーの雲が覆い、その高方に真黒い雲が浮び、雲の奥深くから稲妻が走る。ピカッ、と光る稲妻はゴールドのギザギザの光を四方八方へ走らせ、海に、ドーン!と放電する。まさしく、天が割れた、と思わせる程の天の切れ具合い。

2015年10月16日金曜日

ワタの旅と冒険-2 アフリカ偏(Ⅶ カンフーの先生-2)

ワタの旅と冒険-2 アフリカ偏(Ⅶ カンフーの先生-2)


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「場所は、その空地でどうだ」
。とも言った「いやぁー、こりゃまいった事になった」
まずい事になった、と思う、が、とっさに彼の肩を叩くと、
「いやぁチャンピオン、ユーア ストロング、ナンバーワン(あんたは強い、あんたが一番)」
と、出来る限りの誉め言葉を並べ、酒場の親父にビールをどんどん持って来い、ウィスキーを持って来い、食いものを持って来いと怒鳴り、飲めや食えやの大盤振舞いをした。食って飲んでりゃ気分は上昇してくる。僕は酔う暇もなく、彼にビールを注ぎ、幾度も彼の肩を叩いて「チャンピオン」「チャンピオン」を連発した。
 彼もしだいに、うちとけ「フレンド、フレンド」と僕の肩を叩いて大ご機嫌である。
 こうして難を逃れた僕は、チャンピオンと即席の友情を交し、彼の試合を見る約束をした。
 唯一の体育館は熱気で蒸していた。何処からか集って来た人々で満杯となり、「ワァーワァー」と、歓声が飛び交っていた。
 前座の少年ボクシングが始まっていた。小学生ぐらいの子供が真剣に殴り合っている。日本の子供相撲みたいなものと思われる。
 チャンピオンがリングに上ると、歓声はさらに大きく渦を巻きチャンピオンベルトを付けたチャンピオンがリングを廻るとムンムンとした熱気が館内いっぱいに漂った。
 ノックアウトで勝ったチャンピオンに、さらに歓声は飛び交い、リングに物が投げ入れられ、「うぉー」と、もの凄い歓声である。館内は沸きに沸き、汗が流れた。
 暑く、熱気が感じられ、バイタリティあふれる西アフリカ、自然、人々、すべてのものにアフリカの匂いがした。原色に近い大陸、それが西アフリカの魅力である。東や南にはない激しさ、荒々しさが漂う濃い濃い色彩の塊のような西アフリカ。すべてが眩しく輝き、地球上に残された、地球の色を持ったエキゾチックな大陸であった。