2012年1月23日月曜日

蒼 い 海

インド洋は透き通り、大きくうねる。太平洋にはない優しさがある。

グリーン、グリーンの海、海原である。

人に顔があるように、海にもそれぞれ顔があった。

太平洋は明るく陽性でブルー一色。大西洋は暗く、陰鬱な雰囲気の漂う濃紺。

インド洋は、すべからく濃いグリーン。グリーンの波が大きくうねり、起伏をもって漂う大きな草原のような海である。

ミクロネシアの珊瑚礁の海は薄い黄緑。キラキラと太陽の光が海中の奥深くまで透き通る。海というより清涼飲料水に近い特別の液体を思わせる。


この十種十色の海原の上に、また十種十色の雲が浮かぶ。

南方の雲は、すべて縮れ雲でソフトクリームのように頭がぐにゃぐにゃになっている。

下方がスポッと、水平線に平行に切れ、小さな縮れ雲が、幾つも幾つも、同じ間隔を持って、水平線の彼方まで続いている。

入道雲と呼ばれる積乱雲は白いが、水分をたっぷりと含み重そうに今にも落ちて来そうな雲は、虫歯のように黒い。


この雲から落ちてくる壮烈な雨はスコールと呼ばれ、小指程の太い雨の玉をボトボト落とし始める。

ビューと風が吹く。風が突風に変わり、かなり激しく吹いてくると、一面、真っ暗となる。

天の電燈すべてを消したような日中の暗黒。ザァーッともの凄い勢いで雨が降りだす。

大粒の雨がバチバチと顔に当たり、デッキ一面、洪水のような水びたしとなる。

これが、ほんの数分も過ぎると、カラッと陽が照り太陽が見え、天の電源が入る。


スコールぐらいは可愛いもので、嵐となれば地獄絵巻となる。

空一面、グレーの雲が覆い、その後方に真っ黒い雲が浮かび、雲の奥深くから稲妻が走る。

ピカッ、と光る稲妻はゴールドのギダギダの光を四方八方へ走らせ、海に、ドーンーと放電する。

まさしく、天が割れた、と思わせる程の天の切れ具合い。


水平線に虹が掛かる。虹の端というものを見たくて、少年の頃、自転車に乗って丘を駆けた覚えがある。

実際に水平線や地平線に虹が掛かると、水面や地面の下に、まだ続きの光を隠しているんじゃないか?と思える程、くっきりと水平線に真半分で仕切られる。

水面下の虹は別の世界が所有しているのか。


海々の朝焼け、夕焼けもまた、十色である。十色どころか、毎日の気候、気温、湿度によって刻々と変化する。

朝焼けはブルー、夕焼けはオレンジが主体となる。

絵具やネオンでは見た事もない、とうてい人間が創り出せないであろう色合いが、次から次へと演出される。

朝、夕焼けとも約二時間、この大ドラマは毎日、演出される。

昔の人は夕焼けの奥に極楽浄土や桃源郷を見たという。

僕も缶ビールを飲みながら、刻々と変化するこの絶景を眺めていると、あの色彩の奥深くに別世界があるのでは・・・というような錯覚におそわれてくる。

何もなければ、あんなに美しい色彩が出てくるはずがない。


陽が沈むと、星がぐわー、と群棲する。南半球のあらゆる星座が集まり大パノラマとなる。

星がデカイのだ。光星が多く、キラキラと空いっばいに輝く。
これも、また人間が創り得ない最高の輝きである。

宇宙が近いのを間近に感じる大気の透き通る闇の中、オールスターキャスト星座、宇宙の大演出である。


星を眺めるのに飽きたら、海を眺める。夜の海は音を吸い込み、波が声を出す。

船体が切る波の音と、潮がうねる波の音とがぶつかり合い、独特のシンフォニーとなって、吸い込まれるような、海の中より響いてくる。

海面には夜光虫がキラキラと光り、船体の切る波にのまれ、消えてはまた光る。海一面、キラキラの海蛍。

空を仰げば何億光年先からの鋭い光。

自然の演じる光や色や、ささやきは毎晩毎夜、僕に語りかけ、決して飽きることのない海上の日々であった。



27今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


 この北さん、学生山岳部で鳴らした猛者で、ある山行の時、時間に遅れ走って来る仲間を列車に乗せようと、列車のデッキから駅のホームへ片足を踏ん張り、押し止めようとする駅員を振り切りしばらく列車を止めたという男である。


この男、かなり古めかしい登山用具を持っていて、山伏のような格好をして山へ行く。登攀具もかなり時代遅れで、消耗も激しかった。下降器といってザイルを伝って空中を下降する時に使う登攀具があるが、彼のは型も古く消耗しきっていたので摩擦抵抗が少なく「サァー」とザイルを滑り落ちるように下降して来る。あまり危ないので僕が「北さん、下降器買ったらどうかい?三千円位で有るよ。酒飲む金があったら僕と同じのを買ったらいい、命にかかわる問題やから」と言うと「もったいねぇ 飲んだほうがいい」と舌を出す。可愛くない男である。
 ある時、この宴会続きのうちのクラブで、真面目に登攀をしようではないかと、ドキッとするような鋭い意見があがり、岩壁に取り付く前夜は酒は飲まない、飲んだらあかん、という難しい規則が創られた。
 僕らは真面目にこの規則を守っていたが、ある山行の時酒飲みの北さんが同行するという。さて、北さんがこの規則を守れるかどうかにその夜の課題があった。「北さん、規則やから今夜は飲んだらあかんぜ、我慢出来るかい?眠れるかい?」と皆んなが心配して言うと、「わかっとる、わかっとる、一晩ぐらい飲まんでも死にゃせん!」と自信ありげに言うので、僕らは夜間車を飛ばし宮崎へと向かった。途中、腹がすいてきたので何処かで飯を食おうかということになった。丁度、大衆食堂らしき店が開いていたので僕らは店へ入り、親子丼やその他、各自めいめいのものを頼んで食っていると北さんが店の中をうろうろし始め、「ほぉー正中ってのはこんな字を書くのかぁ 知らなかった!」と腕組みをして感心していた。僕は、また飲みたくなったのじゃねぇか?と、じろっ、と彼を睨むが確かに彼の言ったように“焼酎”を“正中”と書いていた。僕も、ほぉー地方によって漢字が違うんだなぁーと感心しながら親子丼を食っていた。
そして皆んな食い終わり、各自めいめい代金を払っていると北さんが突然、「ちょっと三分程、車で待ってもらえんかのぉ」と言うので僕は酒を飲むのだなぁと彼を睨みつけ、何か言おうとすると、彼は子供のようななんとも情けない顔になっていた。その顔を見ると僕らも何も言えず、彼の方を見ようとせず黙って店を出た。道路反対車線の車の中から、僕らは店のガラスに透けて見える北さんをじーっと見ていると、彼はコップに注がれた正中を一分でぐいっと飲み干し、二分目でさらに二杯目をぐいっと飲み干し、後、一分で車まで走って来た。「ああ、悪い 悪い、待たしたのぉ」と息を切らしながら言う彼の顔は生き生きと輝いて紅潮していた。




ワタの旅と冒険-23(花の都で-2)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1

 カルチェラタンは賑わっていた。夜の一時二時まで人の通りが絶えず、ジプシーの街頭芸人らが道の真ん中でアクロバットをしていた。行き交う人々が皆、酔い、マドリッドとは異なる華やかさがあった。高級な華やかさである。どの店へ入っても高そうに見えた。
 中心街の映画館に日本の「愛のコリーダ」という映画が上映されていた。昔の「安部定」の話である。“ノオ、カット”という事だったので、日本に帰ったら話の種になる、と思い見る事にするが、内容はポルノ映画と変らず、大した映像性は感じなかった。ただ、男根を切り落す最後の場面が強烈だった。その強烈、残酷な場面が終り、パッと電気がつくと、鑑賞していたフランス人らの視線が、バッと僕に来た。その眼は決して日本人尊敬の眼差しではなかった。残酷な人種を見る眼付きであった。いたたまれず映画館を出ると、ふうーと、夜の街はしっとりと濡れそぼっていた。
 カルチェラタンを飲みちらかし、セーヌーに反吐を吐き、日本の歌を歌い、宮殿や教会の芝生にひっくり返る。名所は一晩中、明りがつき、数々のライトが建物を照らし続けている。白い宮殿が、さらに白く見え、暗闇の中に浮き立っていた。酔った僕は、いつまでも、こうしていたい幸福な気分に誘われ、幾度も幾度も大きく息をした。セーヌーの水は光り、きらめいていた。
 こうして、生活は完全に夜型になり、昼近くまで薄汚いホテルに寝、ゴソゴソと起き出してはスーパーへ買い物に行き、街へ出かける、というパターンが続いた。
 街は何処へ行っても絵になった。何処へ行っても飽きなかった。パリに世界中の画家が集るのも無理はない、と思った。街をモーター付き自転車に乗ったパリジェンヌが髪をなびかせ、コートの襟を立て、さっそうと通勤する。
 シャモニーは、もう凄い雪であろう。アルプスが懐かしい。針峰郡は白い雲に覆われ、美しいシャモニーの街は、クリスマスの様に雪が降っているだろう。パリのカフェーでコーヒーを飲みながら、アルプスの山々に想いをはせる。
 サハラから北極圏、南と北の地の果てからヨーロッパの街々と、すべてが懐かしいものになっていた。時間の経過を感じさせられた。アルプスの山々を除けば、すべての目的が達せられた。日本へ帰る時期が迫っていた。長い長い休暇が終り、再び息をつく暇もなく、また世界へと飛び出そうとする。パプア・ニューギニアが故郷のように思えた。
 帰国するべく航空会社のリザーブを取ると、朝九時の出発であった。問題は、朝早く起きられるか、にあった。長らく夜型の生活をしていたので、とても早く起きる自信はない。「困ったなぁー」と思っていたが、とりあえずホテルを引き払い航空ターミナルへ行き、此処で良い方法を思いつく。荷を輸送するコンベアーのトンネルの中へ潜り込んで寝るのだ。早朝にコンベアーが動く、それで眼を覚ます、というわけである。
 翌日早朝、案の定、コンベアーの始動と同時に、コテッと床に落された。これで飛行機に間に合う、安心、安心、とカフェーでコーヒーを飲み、ゆたぁーと時間待ちをしていた。ところが、ところがである。いよいよ搭乗のアナウンスが始まり、いよいよとコインロッカーに昨日預けておいたザックを取りに行くと、「おかしいなぁ…?」幾らキーを回してもロッカーが開かない。番号を確かめてみるが間違いない。ガチガチとキーを回してロッカーを揺さぶるが段々、頭に血が昇ってくる。
「くそっ!ボロロッカーめ!」
と、真赤に逆上すると、ザーッと後ろへ走り、ザーッと駆けてきて、飛び蹴りをする。
「ガーン!」
 もの凄い音とともに、ロッカーがグラッと揺れる。回りに居た人々らはびっくりして見ている。さらに、ガチャガチャ、とキーを回して、ぐらぐらロッカーを揺らしていると、ガードマンが走って来た。僕を気違いか、何か、と思ってわめいていたが、
「ロッカーの荷が出ない!」
と、ロッカーを叩きながら叫ぶと、何処からか合鍵を持ってきてロッカーを開けてくれた。
 こうして何とか、かんとか搭乗に間に合い僕はパリを飛び立つ事が出来た。
 長かった旅の終りである。よく走り、よく廻り、眠る間も惜しんで見てきたものは、僕の目の中に宿り、目下、飛びかう雲の隙間に余韻を残した。短いようで長かった日々、次から次へと蓄積された思い出が、若い僕の脳裏に染み込んで行く。今は、温泉と刺身とキリンビールを持ち持ち、生れ育った日本へと向う。空は青く、飛行機の羽に雲は掛からず、まっ青な海が何処までも続くブルー一色の世界であった。

セーヌ川





2012年1月15日日曜日

ワタの旅と冒険-22(花の都で)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1

 落ち葉を踏みしめ踏みしめ、シャンゼリゼ通りを歩く。晩秋のパリ。しばらくの滞在となるので安いホテルを探すことにする。

シャンデリ通り

 ヨーロッパのホテルやレストランは星の数でランク付けされていた。超一流ホテルが五ツ星、一流が四ツ星、それから三ツ星、二ツ星、一ツ星となる。二ツ星あたりでは、ベッドのスプリングが古過ぎたり、エレベーターが出前箱みたいに狭かったりするが、僕は一ツ星で値段を交渉してみるが折り合わぬ。眠って意識不明になれば……という哲学が、どうしても頭から離れないのであった。
 ようやく、サンポール寺院の裏あたりの、わりと“街中”に黒人やアラブ人専用の安いホテルを見つけた。星はついていない。一ツ星以下というわけか。一泊、六百円位で、洋画のスパイ映画に出てくるような暗い螺旋階段を登ると、狭い独房のような部屋があった。小さな明り取りの窓が上の方についてはいるが、まあ、窓と呼べる感じではなかった。なにしろ煙草の煙が全然でないのだから。部屋の中にはベッドが一つ、それに洗面台がついていた。
 市場へ行ってチーズや果物を買って来て、腹が満ちたら、此処を拠点にパリの街を巡り歩いた。ときは十一月の終りである。この頃がいちばんいい。深秋の冷たいパリから観光客は皆、引き揚げているし、パリの住人は夏の長いバカンスで遊びすぎて、「しもうた!」と思ったりしながら一生懸命、仕事をしている。だから街はしみじみとして静かである。
 さっそく、ルーブルへ通いつめると、やはり日本人が多い。彼らは僕を認めると目を避けた。話しかけてもらいたくないらしいが、誰が話しかけるもんかい。また、日本人と思われてなかったかも知れない。
 メトロ(地下鉄)に乗ろうと地下道を歩いていると、大勢の人の流れの中から、小さく色の浅黒い東洋人が僕のあとをついて来た。人ごみの中、ぴったり僕の傍に寄り添ってニコニコしながら僕の顔を見上げていた。気味が悪いので、
「パアズン?(何か用か?)」
と尋ねると、
「ベトナム」
と、彼は嬉しそうに答えた。彼はパリの街に僕を見て同胞と思ったのだ。・・・失礼な奴だ。
「ノオ、ジャパニーズ(俺りゃ日本人じゃ)」
と答えると、彼はふいに裏切られたような目をして、大きく両手を上げて去って行った。

 パリを含めヨーロッパ地方はトイレは有料になっている。有料ならまだ良いが、トイレのない国もある。「トイレ!トイレ!」と言って公園に駆け込むが広い公園の中、トイレはない。幾ら探してもない。堪えきれず花壇の中にゴソゴソと入り込んで行くと、そこが公衆トイレになっていた。大都会の中、公園もなく、ビルが立ち並ぶ所で、やむをえず、ビルとビルの隙間一メートル位の所へ入り、しゃがみこむと眼の前を人や車が行き過ぎて行く。なかなかの快感である。
 さて、パリのトイレはというと、奇麗に掃除され、入口に金髪のおばさんが座っている。机の上の皿に各自、思い思いのコインを入れていくわけだが、おばさんが、よそを向いている隙に、そのコインを握り「ジャラジャラ」と皿へ落す。すると、振り向いたおばさんは
「メルシ!(あんがとう!)」
と、笑顔いっぱいに僕を見上げる。
「うむ」
と僕は満足そうに髭を撫でながらトイレを出る。
 ある時、あんまり足が臭いので石鹸を買ってきてトイレの洗面台に足を上げジャブジャブと洗っていると
「オゥーノオ!」
と、まん丸に太った赤ら顔のおばはんが両手を上げて叫びながら僕の腰のベルトをつかみ引っぱる。おばはんに引っぱられながらも、さらに、もう片方の足を上げジャブジャブと洗おうとすると、「こりゃ、いかん」と思ったか、おばはん、ベルトから手を離すと、今夜はモップを握ってきた。顔は真赤だ。
 足を洗い終えた僕は靴下を履くと、さっとトイレを駆け上る。むろん料金を払う暇はない。気持ちもない。後ろでフランス語で罵る声が聞こえていた。
 この頃になるとアラブの生活が身についたか、また旅の疲れか、多少いらだっていた。カフェーで金をよけい取られたような気がして店の中で日本語で文句を言う。親父も負けてはおらずフランス語で言い返す。ワイワイ言って、結局、親父が降りるが店を出る時にやはり、「ジャポネ……」と罵っていた。




2012年1月4日水曜日

新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。
今年はワタの旅と冒険、少しピッチを上げて掲載したいと思っています。
よろしくお願いします。