このブログは一つの物語です。
山へ行き、テントを張って皆んなで食事をした後テントを畳み、再び登行しようとする時、食パン一斤をザックに入れそこなった僕は、
「ほい!中野、持っとれ」
と中野に手渡すと、三十キロは有るザックを担ぎ、傾斜四十度はあろう坂道をふうふう言いながら登る。汗が落ち、喉が乾く。ふと真後ろから登って来る中野を見ると口をもぐもぐやっていて、手にたった一枚残っている食パンのナイロン袋を握っていた。
「あやつは・・・この坂を登りながらあの食パン一斤を食ってしまったのか、朝飯食ったばかりというのに信じられん。しかし、水も飲まずにこんな坂を登りながらよく食パン一斤も食えるなぁ」
と彼の強靭な食欲と体力にほとほと感服した僕は何も言えず、ふうふう坂を登って行った。
後、仕事をやめた彼がアルジェリアの砂漠へ油送パイプ工事の出稼ぎに何年か行くというので、ある日、彼のアパートを訪ね
「おい!お前、むこうへ行ったら生きて帰れんかも知れないから、焼肉を食わしてやろう」
と言うと
「いやぁ今、土方から帰って弁当二つ食って腹いっぱいや、もう何も食えん、今度にしよう」と言いひっくり返ると、ドドのようにゴロゴロと寝返りをうつ。
「俺りゃ、なんでも思った時にしないと気が済まねえから、今度逢った時は気が変わってるかも知れんから、今度はなしだな」と僕が言うと「行く行く」と言ってついて来た。
何処に行こうか?と迷ったが、どうせ中野のことだ、味はどうでもいいからと、当時、流行(はやって)いた“焼肉食いほうだい”という店へ入る。この店は名前の通り、一定の金額で幾ら食っても良い、という店である。店は混雑して鉄板からジャージャーと焼ける肉の煙が蔓延していた。
驚いたことに食うわ食うわ、弁当二つ食った後とは思えず、なにか分けの分からぬ肉をばくついていた。次から次と肉の盛った皿を持ってくる店員はびっくりして、二、三人寄ってこちらを見ながらボソボソ小声で話をしていた。
僕は彼のあまりの食いっぷりに恥ずかしくなり、キョロキョロ回りを見廻すと、この、“食いほうだい”の店でびっくりされる彼が、すぐ前に弁当二つ食ったなどということは口が裂けても言うまいと思った。
また彼はおもしろいことに肉の味がわからず、皆んなで焼肉をする時、
「おい、中野、今日は全部牛(ぎゅう)やぜ!」と言って、全部マトンを焼くと
「やっぱり牛は旨いなぁ」
と言いながら、むしゃむしゃ食っていた。
こういう僕らもアルプスへ行った時、シャモニーのスーパーマーケットで十キロ八百円ぐらいの肉を見つけ、「此処は物価が安い」と大喜びでマンホールの蓋を拾ってきて、盛大な焼肉パーティを開いたが、なんともしれない味の肉であった。翌日、その肉のあった棚を見てみると小さく“ドッグフード”と書かれてあり、隣にはニコニコしたブルドッグの絵が掛ってあった。今だにあの肉はなんの肉か分からぬが・・・けっこう食った。
その大食らいの中野がポーロンリというチベットの未登峰の山へ遠征に行った時、C3の最終キャンプでテントが風雪に押し潰されると悪いというので、誰か一人がテントに残ることになり皆んなであみだくじをしたところ、ズバリ、中野に的中した。そこで、彼一人を残して、他の隊員らは食料、装備の確保のため下のキャンプへと下った。
ところが、急に天候が悪化して吹雪となった。彼一人が七千メートルのテントに一人閉じこめられたわけである。だんだん食料がなくなってくる。水は雪を溶かして作れるが、テントの中じゅう探しても何も食べるものはない。ごそごそしていると甘納豆が一粒コロコロとどこからか転げ、どこかへ潜り込んだ。それを見た中野は甘納豆が真珠の玉のように見え、テント中ひっくり返した、と言っていた。仕舞いには皮で出来た登山靴がなんとか食えないかと、じいっーと眺めていたらしい。
「いやぁー、ベースキャンプで皆んな旨いもの食ってる、と思うと腹が立ってしょうがなかったぜ、腹が減ると腹が立つ、というのは、ほんまやぜ!」
と切実に訴えていた。
一週間後、天候が回復して、皆んながテントへ行くと、スルメみたいになった中野が居たという。
日ごろから中野の食いっぷりを知っている者達はこの悲愴感漂う話を誰も信じようとはしなかった。奴は三日食わなきゃ死ぬ、とか、己れの足を口に持ってくる、とかひどいことを言っていた奴がいたが、彼の胃袋は食い溜めの出来る胃袋じゃないか、と思われる。
そして中野は、胃袋に何か入っている時は本格的に機嫌が良くなるようであった。僕は良く彼に頼みごとをする時や、彼をからかい過ぎて機嫌を壊した時、また、彼の食いっぷりや嬉しそうに物を食う時の顔を見るのが楽しいので、よく彼を連れては飯を食いに行っていた。
山へ行き、テントを張って皆んなで食事をした後テントを畳み、再び登行しようとする時、食パン一斤をザックに入れそこなった僕は、
「ほい!中野、持っとれ」
と中野に手渡すと、三十キロは有るザックを担ぎ、傾斜四十度はあろう坂道をふうふう言いながら登る。汗が落ち、喉が乾く。ふと真後ろから登って来る中野を見ると口をもぐもぐやっていて、手にたった一枚残っている食パンのナイロン袋を握っていた。
「あやつは・・・この坂を登りながらあの食パン一斤を食ってしまったのか、朝飯食ったばかりというのに信じられん。しかし、水も飲まずにこんな坂を登りながらよく食パン一斤も食えるなぁ」
と彼の強靭な食欲と体力にほとほと感服した僕は何も言えず、ふうふう坂を登って行った。
後、仕事をやめた彼がアルジェリアの砂漠へ油送パイプ工事の出稼ぎに何年か行くというので、ある日、彼のアパートを訪ね
「おい!お前、むこうへ行ったら生きて帰れんかも知れないから、焼肉を食わしてやろう」
と言うと
「いやぁ今、土方から帰って弁当二つ食って腹いっぱいや、もう何も食えん、今度にしよう」と言いひっくり返ると、ドドのようにゴロゴロと寝返りをうつ。
「俺りゃ、なんでも思った時にしないと気が済まねえから、今度逢った時は気が変わってるかも知れんから、今度はなしだな」と僕が言うと「行く行く」と言ってついて来た。
何処に行こうか?と迷ったが、どうせ中野のことだ、味はどうでもいいからと、当時、流行(はやって)いた“焼肉食いほうだい”という店へ入る。この店は名前の通り、一定の金額で幾ら食っても良い、という店である。店は混雑して鉄板からジャージャーと焼ける肉の煙が蔓延していた。
驚いたことに食うわ食うわ、弁当二つ食った後とは思えず、なにか分けの分からぬ肉をばくついていた。次から次と肉の盛った皿を持ってくる店員はびっくりして、二、三人寄ってこちらを見ながらボソボソ小声で話をしていた。
僕は彼のあまりの食いっぷりに恥ずかしくなり、キョロキョロ回りを見廻すと、この、“食いほうだい”の店でびっくりされる彼が、すぐ前に弁当二つ食ったなどということは口が裂けても言うまいと思った。
また彼はおもしろいことに肉の味がわからず、皆んなで焼肉をする時、
「おい、中野、今日は全部牛(ぎゅう)やぜ!」と言って、全部マトンを焼くと
「やっぱり牛は旨いなぁ」
と言いながら、むしゃむしゃ食っていた。
こういう僕らもアルプスへ行った時、シャモニーのスーパーマーケットで十キロ八百円ぐらいの肉を見つけ、「此処は物価が安い」と大喜びでマンホールの蓋を拾ってきて、盛大な焼肉パーティを開いたが、なんともしれない味の肉であった。翌日、その肉のあった棚を見てみると小さく“ドッグフード”と書かれてあり、隣にはニコニコしたブルドッグの絵が掛ってあった。今だにあの肉はなんの肉か分からぬが・・・けっこう食った。
その大食らいの中野がポーロンリというチベットの未登峰の山へ遠征に行った時、C3の最終キャンプでテントが風雪に押し潰されると悪いというので、誰か一人がテントに残ることになり皆んなであみだくじをしたところ、ズバリ、中野に的中した。そこで、彼一人を残して、他の隊員らは食料、装備の確保のため下のキャンプへと下った。
ところが、急に天候が悪化して吹雪となった。彼一人が七千メートルのテントに一人閉じこめられたわけである。だんだん食料がなくなってくる。水は雪を溶かして作れるが、テントの中じゅう探しても何も食べるものはない。ごそごそしていると甘納豆が一粒コロコロとどこからか転げ、どこかへ潜り込んだ。それを見た中野は甘納豆が真珠の玉のように見え、テント中ひっくり返した、と言っていた。仕舞いには皮で出来た登山靴がなんとか食えないかと、じいっーと眺めていたらしい。
「いやぁー、ベースキャンプで皆んな旨いもの食ってる、と思うと腹が立ってしょうがなかったぜ、腹が減ると腹が立つ、というのは、ほんまやぜ!」
と切実に訴えていた。
一週間後、天候が回復して、皆んながテントへ行くと、スルメみたいになった中野が居たという。
そして中野は、胃袋に何か入っている時は本格的に機嫌が良くなるようであった。僕は良く彼に頼みごとをする時や、彼をからかい過ぎて機嫌を壊した時、また、彼の食いっぷりや嬉しそうに物を食う時の顔を見るのが楽しいので、よく彼を連れては飯を食いに行っていた。




