2011年4月30日土曜日

5今どき破天荒な男たちの物語 (食らう)

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今どき破天荒な男たちの物語の1 

 山へ行き、テントを張って皆んなで食事をした後テントを畳み、再び登行しようとする時、食パン一斤をザックに入れそこなった僕は、
「ほい!中野、持っとれ」
と中野に手渡すと、三十キロは有るザックを担ぎ、傾斜四十度はあろう坂道をふうふう言いながら登る。汗が落ち、喉が乾く。ふと真後ろから登って来る中野を見ると口をもぐもぐやっていて、手にたった一枚残っている食パンのナイロン袋を握っていた。
「あやつは・・・この坂を登りながらあの食パン一斤を食ってしまったのか、朝飯食ったばかりというのに信じられん。しかし、水も飲まずにこんな坂を登りながらよく食パン一斤も食えるなぁ」
と彼の強靭な食欲と体力にほとほと感服した僕は何も言えず、ふうふう坂を登って行った。
 後、仕事をやめた彼がアルジェリアの砂漠へ油送パイプ工事の出稼ぎに何年か行くというので、ある日、彼のアパートを訪ね
「おい!お前、むこうへ行ったら生きて帰れんかも知れないから、焼肉を食わしてやろう」
と言うと
「いやぁ今、土方から帰って弁当二つ食って腹いっぱいや、もう何も食えん、今度にしよう」と言いひっくり返ると、ドドのようにゴロゴロと寝返りをうつ。
「俺りゃ、なんでも思った時にしないと気が済まねえから、今度逢った時は気が変わってるかも知れんから、今度はなしだな」と僕が言うと「行く行く」と言ってついて来た。
何処に行こうか?と迷ったが、どうせ中野のことだ、味はどうでもいいからと、当時、流行(はやって)いた“焼肉食いほうだい”という店へ入る。この店は名前の通り、一定の金額で幾ら食っても良い、という店である。店は混雑して鉄板からジャージャーと焼ける肉の煙が蔓延していた。
 驚いたことに食うわ食うわ、弁当二つ食った後とは思えず、なにか分けの分からぬ肉をばくついていた。次から次と肉の盛った皿を持ってくる店員はびっくりして、二、三人寄ってこちらを見ながらボソボソ小声で話をしていた。
 僕は彼のあまりの食いっぷりに恥ずかしくなり、キョロキョロ回りを見廻すと、この、“食いほうだい”の店でびっくりされる彼が、すぐ前に弁当二つ食ったなどということは口が裂けても言うまいと思った。

 また彼はおもしろいことに肉の味がわからず、皆んなで焼肉をする時、
「おい、中野、今日は全部牛(ぎゅう)やぜ!」と言って、全部マトンを焼くと
「やっぱり牛は旨いなぁ」
と言いながら、むしゃむしゃ食っていた。
 こういう僕らもアルプスへ行った時、シャモニーのスーパーマーケットで十キロ八百円ぐらいの肉を見つけ、「此処は物価が安い」と大喜びでマンホールの蓋を拾ってきて、盛大な焼肉パーティを開いたが、なんともしれない味の肉であった。翌日、その肉のあった棚を見てみると小さく“ドッグフード”と書かれてあり、隣にはニコニコしたブルドッグの絵が掛ってあった。今だにあの肉はなんの肉か分からぬが・・・けっこう食った。
 その大食らいの中野がポーロンリというチベットの未登峰の山へ遠征に行った時、C3の最終キャンプでテントが風雪に押し潰されると悪いというので、誰か一人がテントに残ることになり皆んなであみだくじをしたところ、ズバリ、中野に的中した。そこで、彼一人を残して、他の隊員らは食料、装備の確保のため下のキャンプへと下った。
 ところが、急に天候が悪化して吹雪となった。彼一人が七千メートルのテントに一人閉じこめられたわけである。だんだん食料がなくなってくる。水は雪を溶かして作れるが、テントの中じゅう探しても何も食べるものはない。ごそごそしていると甘納豆が一粒コロコロとどこからか転げ、どこかへ潜り込んだ。それを見た中野は甘納豆が真珠の玉のように見え、テント中ひっくり返した、と言っていた。仕舞いには皮で出来た登山靴がなんとか食えないかと、じいっーと眺めていたらしい。
「いやぁー、ベースキャンプで皆んな旨いもの食ってる、と思うと腹が立ってしょうがなかったぜ、腹が減ると腹が立つ、というのは、ほんまやぜ!」
と切実に訴えていた。
 一週間後、天候が回復して、皆んながテントへ行くと、スルメみたいになった中野が居たという。



日ごろから中野の食いっぷりを知っている者達はこの悲愴感漂う話を誰も信じようとはしなかった。奴は三日食わなきゃ死ぬ、とか、己れの足を口に持ってくる、とかひどいことを言っていた奴がいたが、彼の胃袋は食い溜めの出来る胃袋じゃないか、と思われる。
 そして中野は、胃袋に何か入っている時は本格的に機嫌が良くなるようであった。僕は良く彼に頼みごとをする時や、彼をからかい過ぎて機嫌を壊した時、また、彼の食いっぷりや嬉しそうに物を食う時の顔を見るのが楽しいので、よく彼を連れては飯を食いに行っていた。




御 来 光

朝陽が
山あいから
昇るさま
あたり一面
色とりどり 紫に
ぐいぐい、染めまくった後(のち)。
燃え上がる
発光体の物体として
さっそうと登場する









 頂(いただき)
   1
ようっ と
振り返る
さっきまで居た頂(いただき)
正午の金星と並ぶ

   2
のび上がると
山
ずっと 下を向き
頂(いただき)を目指す
足元は一直線
花は見えない

2011年4月19日火曜日

ワタの旅と冒険-5(ヨーロッパ偏 4アルプスへ )


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ワタの旅と冒険-1 


 駅で登山用具をジャポンへ送り、寝袋をサックにほうり込むと、茶色いおもちゃのような登山電車に乗って一路、グリンデルワルトへと向った。
 雪渓の残る警告を渡り、絶景の大パノラマをぬけ、アルプスの登山電車はスイスへと入る。
 グリンデルワルトは観光客が多かった。彼らが登りに行ったアイガーは“デン”と口を開け街を見降していた。
 赤や黄の高山植物が錯乱する高原をケーブルが音をたてて登ってゆく。目の前にショートカットの少女がアルプス犬とともに、おとなしく座っている。
 天気なら登ったであろう黒と白の大岩壁を見上げながら、三回、山の名を呟いた。彼らの姿はなかった。

アイガー北壁

 ビールを飲みながら高級な観光客に紛れて街を下り、再び電車に乗り込むと、高原と森の湖をぬけ、マッターホルンの村、ツェルマットへと滑り込んだ。
 村で食料とビールを買い込むと聳え立つ雄々とマッターホルンの峰を目指して歩き始めた。窓に花々を飾ったログハウスを過ぎると高原だ。ガランガランと音がする。牛の耳に付けた鈴が鳴る。数十頭の首の鈴が別々に鳴り響き、重なり合うリズムが快ち良いメロディーとなって草原に響き渡る。
 蒼い渓谷をぬけるとマッターホルンの白い姿が飛び込んできた。山袖が広く、突き上った三角形の峰が異様に細く見える美しい山である。

マッターホルン

 山の麓に着くと、あまりの絶景、快ち良さにビールをぐいぐい飲みまくり、気がついたら暗くなりかけていた。
 こうして憧れの峰の懐に抱れると、ざぁーと山を下り、ミラノ経由マドリッド行きTEEへと乗り込んだ。
 僕はユーレルパスという西欧券内では等級一等も含め、すべてパスという定期券を買っていた。が、スタイルといえば髪は伸びほうだい。煮染めたようなTシャツとGパン、背には年期の入った赤いザック、腕はまだバンダナでくくり首から下げ、どう見ても鈍行二等という姿であった。
 ザックを担ぎホームからデッキに入ろうとすると、背中が引っぱられる。何かと思ったら、駅員が、
「ティケット、ティケット」
と、汚いザックを握って叫んでいる。
「うるさいなぁ・・・」
と、パス券を見せると、不満そうな顔をする。
「気分が悪いなぁ・・・」
と列車の中へ入ると、今度はブヨブヨの金髪のおばはんが、キンギラの指輪をいっぱい付けた人差し指を立てて、
「ファーストクラス、ファーストクラス」
と、わめく。
 いらぬお世話だ、と再びパス券を見せると、やはり不満そうな顔をして、電燈に当てて透かして見ていた。
 地中海のブルーの海を眺めながら、快ち良くビールを飲む。TEEは流れる景色を切り切り、もの凄いスピードでひたすら陽光が輝く南国、スペインを目指した。



2011年4月7日木曜日

久 住 高 原 伝 説

久住高原の南西に高千穂の山が見える。
かつて、高千穂に登った古代人達は
向うから
立っている九重の山並みを目印に猟をした。

この丘を目印にして、旅を続け猟リをした。
獲物を求め、さまよい
再び久住の山並みを仰ぎ
高千穂の山深い里へと帰り
山あいに煙を上げ
控えめな営みを続けた。

やがて、古代人たちは





ちょっと新しい古代人、熊襲に追われ
懐かしき久住の山並みを東に観て、
北へと旅を続けた。

日印であった
みやまきりしまが咲き並ぶ
桃色の三角形の山並みは
ずっと、語り続かれた。
 

久住はアイヌ語で「クリユ」と言い
日印の意味と言う。
             




2011年4月4日月曜日

ワタの旅と冒険-4(ヨーロッパ偏 3 アルプスへ )

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ワタの旅と冒険-1 


 ある夕方、遊び疲れて帰って来ると、僕のベッドにフランス人のガキが寝ていた。「おかしいなぁー」と思ってキョロキョロ部屋を見廻し、
「おい、此処は俺の寝る所だ」
と、フランス人のガキに言うと、太っちょのガキはサッとベッドから起き上り
「ユーアーグッド(お前は元気だ)」
と、一言言って、またベッドに潜り込んだ。憎ったらしいガキである。しばらくして、ナースがやって来て、
「もう元気になったから退院して良い」
と言う。
 退院して良い、と言っても、困った。外は雨が降っている、テントはない、シャモニーのホテルは怖ろしく高い。

 街へ出ると、先程から振りだした霧雨で濡れた街角は、うっすらとして日本にはないシックな雰囲気をかもし出していた。
 彼らが帰って来るまでビヴァーク(野営)である。スーパーへ行って食料を調達すると、テントの跡にツェルト(簡易テント)を張ってなんとか寝れるようにすると、買って来たワインの方が安いので、
「こりゃ、ビールを飲むよりいいや」
と、フランス人にでもなった気分でドボドボとグラスに注いで、赤い鮮やか過ぎる色のワインを飲んだ。すると、夜中に突然、激しい頭痛と口渇で眼が覚める。防腐剤のいっぱい入った激安のワインをビールのつもりでぐいぐい飲みまくってしまったからである。野を転びながら駅まで下り、トイレの水道の水を胃袋が脹れ上るまで飲むが、飲んでも飲んでも喉が渇き、夜が明けるまで水を飲み続けた。

77年アルプス007
モンタンベール駅から少し山中へ入ったキャンプ地。写真は山下の野営風景

 二日程すると、さらに雨が激しく降り始め、ツェルトも寝袋も濡れてぐちゃぐちゃになり、森の中、一人傘をさして座って寝るが、
「もう、耐えられん、こんな生活はイヤだ」
と、傘を投げ捨てた。
 スペインの青い空と青い海が目に浮んだ。入院中に念入りに今後の旅行計画をたてていた僕は、早くこの雨ばかりのシャモニーから離れたかった。が、彼らが帰って来るまでシャモニーで荷を確保しなければならない。
「うむ・・・・・・?」
よ、考えた末、再び屋根のある病院に戻ると、病院に潜伏し、掃除場のロッカーに住みつき、モップとモップの間に座り込み、じっと影を潜めた。
 掃除のおばさんがロッカーの扉を開け、
「オゥー!」
と叫び、“叱られる”と思ったが、シスターを連れて来て、そっと扉を開けミルクとパンを差し出してくれ、夜には再び毛布を持って来てくれた。僕は感激と好意に唇を噛みしめ、掃除ロッカーの住人となった。
 何日かして、彼らが帰るべく約束の日が過ぎると、僕はサッと荷をまとめ、彼らの荷を病院へ預けるとシスターに手紙をことずけた。
「俺は此処で七月二日まで待った。この雨には耐えられぬ。君らの居るグリンデルワルトを経て、スペインへ行く。さらばじゃ!」