2011年9月29日木曜日

Gallery-3

イカロスマン

月とセロトーレ

小舟

街角

プチドリュー 版画

岩山

木箱1

木箱2

燃える瓶

 造形シルバー


物言わぬ面

プチドリュー版画台

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2011年9月26日月曜日

ワタの旅と冒険-16(砂漠の果ての-5)

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ワタの旅と冒険-1


 再び窓のないバスを乗り継ぎ、ラジオから流れるコーランと砂丘の夕陽に酔いながら、ひたすら冷めたビールを目指し、北上してようやくの事で、地中海沿岸まで辿り着けた。此処まで来れば汽車がある。「オンリーサンデー」じゃなく、日に二本は走るキラキラのレールがある。
 ところが、この列車が、また騒然たる列車で客席は満員だし、外人部隊みたいな兵隊が屋根の無い貨物の荷台の車両にぎっしり乗っている。もの珍しげに僕を見ると
「チャイナ、チャイナ」
と、声をかける。
 車内にはよく、こんなに乗せるものだと、びっくりする程、人が乗っている。屋根の上にも居るんじゃないか?贅沢に汽車など乗らずにラクダにでも乗ってりゃいいのにアラブ人め、と、ぶつぶつ言いながら通路で髭の生えたおっさんに折り重なるようにうつらうつらとしていると、駅に着くたびに、わぁわぁ言いながら俺を踏みつけて人が降りて行く。そして、またわぁわぁ言って人が乗って来る。もう、乗って来るなってえのに!まったく騒がしいといったらない。ちょっとは黙って歩かんか、と思いながら耐えしのんでいると、夜になってようやく静かになった。
 夜中、寝返りをうって、ふと見ると、目の前に金が落ちている。七千円位あった。
「ケッ、アラビア人も、せこいようでぬけとるわい」
 だまあみやがれ、と、札をごそごそポケットに仕舞い込むと、急に気が晴れて安らかに眠った。朝、目が覚めても、昨夜の拾いものが嬉しくて、にこにこしながらポケットの金を数えてみると、僕の金が七千円程足りない、「おかしいなぁ。何処かに落したのかなぁ…?」と、考えてみるが、どう考えても昨夜の金は僕の金のようであった。






2011年9月21日水曜日

20今どき破天荒な男たちの物語

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今どき破天荒な男たちの物語の1 


 彼のこの物をなくす、というのはキイだけじゃなく、実印も両手一杯に持っているという。おそらく通帳か印鑑証明のいる時々に探しきれず、実印を作るのであろう。そして、後で探したら出てくる、というパターンが続き、実印が両手一杯になったものと思われる。
 ある日、僕のうちに日本聖印という印のセールスマンが訪れて、占いをしてくれる、といので暇だったからいろいろと占ってもらっていた。彼は、人間の運命や一生は実印の印相に影響する、といって彼もそれを真剣に信じているようであった。
「俺りゃ、以前は象牙の立派な印鑑を持っていたが、以前、遠方から友人が訪ねて来るので銀行へ預金を下ろしに行って、二人で飲みに行ったが、翌朝気づいてみると、預金通帳もその印鑑も何処かへほったり投げてなくなっていた」と言うと、彼は真面目な顔をして「うむー、実印をなくしたんですか・・・・まずいですねぇ・・・・その頃何か悪いことはありませんでしたか?」と深刻な顔をして言うので「そういえばあまり良いことはなかったなぁ・・・」と呟くと「やっぱり!」と彼は自信ありげに頷き「それから実印をつくりましたか?」と尋ねる。「ああ、印鑑証明がいるんで、また、なくすともったいないので市役所の前で千円で作ってもらった」「それを今持ってますか?」「いや、欠けて半分しか写らなくなったから河へ捨てた」と答えると、印鑑屋は顔を真っ赤にしてびっくりすると「えっ!?欠けた!河に捨てた!」と聞き直した。僕はよほど悪いことをしたように言われるので、「いやぁ、僕の友だちなんか実印をこんなに持ってるよ」と両手を広げて膨らませると、彼はさらにびっくりして、「え、えっ!?実印を両手いっぱい持ってる人がいる?」と驚嘆した。そして「そ、その友だちの家を教えて下さい。彼はきっと不幸になる。あなたも友だちなら彼を救うと思って彼の家を教えて下さい」と必死で僕の腕をつかみ迫った。

 確かにこの頃、彼はヨーロッパ遠征へ行くため、歯科医院をやめ仕事に困っていた。彼のように山へ行くために何度も長期休暇をとり、あげくの果てにやめていったのでは、どこの歯科医院もなかなか受け入れてくれなかったのである。
 また彼はこの頃、同じクラブの産婦人科の医師と二人でヒマラヤ遠征を計画していた。間違ってうちのクラブに入った産婦人科の先生を三郎は、「この人は××××の先生です」と言って人に紹介していた。そして、このヒマラヤ遠征の費用を稼ぐため、彼は兵庫県の車両メーカーへ季節労働者として出稼ぎに行くことになった。しかし、彼はこの頃、あの捻挫以来のスキーに凝って関西近郊のゲレンデへよく出かけるようになっていたのでなかなか金も溜まらなかったようであった。
 それでも、ようやく溜めた金五十万を持って大阪の登山・スキー専門店へ行くことになった。彼はヒマラヤで履くコブラックのプラスチック靴や厳冬期用のウエアー装備一式を買いに行ったのである。コブラックというのはフランスのメーカーの名前で、当時、プラスチック登山靴では超一流のメーカーで、またこのコブラック社はスキー靴やスキー板のメーカーとしても超一流である。
 こうして彼は汗水流して働いて溜めた金を持って、「コブラック、コブラック」と呟きながら店へ入った。が、店を出てきた時はコブラックのスキー靴とコブラックのスキー板、その他高級なスキーウエア一式を持っている己れに気がついた、という。
 こうして、彼のヒマラヤ遠征は宙に飛び、トレーニングに励んでいた××××の先生も呆れてものが言えなかったという。




2011年9月20日火曜日

19今どき破天荒な男たちの物語

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今どき破天荒な男たちの物語の1 


雪の降る寒い夜であった。雪が音を吸い、完璧に近い静閑さが襲っていた。三郎と二人でテントの中に入っていたが、あまりにもシーンと静まりかえっていたので、僕は彼を脅そうと、「おい、この辺りは幽霊が出るらしいぞ」と言うと「おっ!上等じゃねえか!二人で淋しかったから話相手になるじゃねえか、それに女だったら押さえ込んでやっちゃろうじゃねえか!」と、ひとつも驚かない。「お前、足のない幽霊とどうやってやるのか?」と僕が尋ねると「足がなくても股ぐらいはあろう、えっ!股ぐらいは、股さえありゃ良(い)いんじゃ!」と投げ捨てるように言う。僕は何も言わずごそごそと寝袋に潜り込む。小雪の舞う寒い寒い夜であった。

 彼はまた気性なのか、車の運転も乱暴で、彼と車に乗って山へ行くと、ビュンビュン飛ばし、雪道で車が二回転したこともあった。また、若いギャルの乗った車があると、「幅寄せ、幅寄せ」と言って、子供みたいな真似をする。
彼の乗っていたカローラはさんざんなもので、単なる道具としか思われてなかった。また彼はよく車のキイをなくす男で、行きつけの登山用具店の駐車場で車のキイをトランクに締め込むと、彼はその店から「ドリル、ドリル」と言ってドリルを借りてきて、トランクに「ドドドド」と穴を開け、トランクを開けてキイを取り出すとその穴と車体とを紐でくくり、バックン、バックンとうるさい音を立てながら走り去って行った。
このキイをよくなくす男は、山奥の岩峰へ言ってもまた車のキイをなくし、山奥の本当に山奥の、普通の車が入れぬ所までJAFを呼んだ。呼ぶ三郎もたいしたもんであるが、あそこまで来るJAFもたいしたもんである。



2011年9月17日土曜日

18今どき破天荒な男たちの物語

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今どき破天荒な男たちの物語の1 



 彼は登攀技量はあるが、そのさっぱりし過ぎる諦めの良さで一緒に登攀をしていて戸惑うことがある。彼がトップで登っていて、ちょっと握っている岩がバキッ、と欠けたり、ハーケンの数がたりなくなったりするとすぐ、「おい、帰るぞ!」と言いスルスルと上から降りてくる。雪山でサァーッと吹雪に巻かれると、「おい、駄目だ、帰るぞ!」と諦めが良い。彼には中野の粘着的性格を少し分けてもらう必要があった。が、用心深いのや臆病というわけでもなかった。ただ、めんどくさいことが嫌いなだけであった。実際彼は非常に度胸が良く、無茶をしながらどんどん登攀を続けた。よく、今まで生きていたと思われる程である。
そう言えばヨーロッパのキャンプ場の日本人で彼より無茶苦茶をする度胸の良い男が居た。ある難しい岩峰のルートは、クラック(岩の割れ目)を使って登っていくルートなのだが、丁度その頃、寒波が来てクラックの中には雪や氷がびっしり詰まっていて、クラックに手を突っ込んで登れなかった。が、その男は登攀に行くと言う。
「やめた方がいい、クラックには雪氷が詰まっていて登れない」と皆んなで止めるが「いや、手を突っ込んで雪や氷をかき分けて登って行く」と言うので、皆んなが「そんな無茶な!指が凍傷になってしまう」と叫ぶとその男は、落ち着いた口調で「あのなぁ、指の一本や二本、切り落とさんで山なんか登れると思えるかい」と言った。彼の目は座っていた。もう誰も彼を引き止めはしなかった。世の中には度胸がある、というか恐ろしい男もいるものである。

この男のように一人で死にに行く人間は別として、登攀を行うときは大抵、最低二人のパーティーを組んで登って行く。難しい箇所などはザイルに鈴なりとなることもあるが、二人の方がザイル操作も簡単でスピードアップ出来ることもあって、大抵二人パーティーで何組か組むことになる。
この場合、トップの先導者が両手両足を使って岩を攀じって行くのだが、安全ベルトにつながったザイルをハーケンの輪っぱに掛けてゆく。ハーケンは釘のようなもので、岩の割れ目に打ち込んでゆくのだが、既存のルートでは岩肌に打たれてある。もし墜落した場合、岩肌にしっかりと打たれたハーケンにザイルがひっかかり、ザイルにくくられた身体が止まるという仕組みで、難しい箇所には多く、易しい箇所には少なく打つ。または打ってある。
トップ(先導者)が墜落した時、ショックは大きく、セカンド(二番手)はしっかりとザイルを握りしめ、トップの墜落を阻止する。この場合、彼を憎んでなければの話だが・・・。
トップが無事、四十メートル、ザイルが伸びきるまで登ると、次にセカンドが登るのだがこの場合、ロープを握って登ると思っている人が多いが、それはリポビタンDのコマーシャルの話だけのことであって、実際はトップと同じように、両手両足で岩をつかんで登って行く。ただ、この場合、トップと違うのは墜落した時、トップの場合、ハーケンとハーケンの距離の分だけ墜落距離があるがセカンドの場合、トップがすかさずザイルを握るのでセカンドは身体が、ずる(・・)、ぐらいで済む。



このように同じ登攀をするのにもトップの方が危険性が高く、またルートを探す、というふうに頭もかなり使うが、緊張感、冒険心は満たされることになる。




2011年9月11日日曜日

ワタの旅と冒険-15(砂漠の果ての-4)

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ワタの旅と冒険-1



 小さい街にはホテルも無く、野宿、野宿で進んだ。太陽は真赤に膨れ、ギラギラとした光を浴びせていた。暑い。ザックの中には羽毛服とか、羽毛の寝袋が詰まっているが、この陽のガンガン照りつけ、クソ暑いときに、なんで羽毛服を担がにゃならんのか、と腹が立ってくる。おまけに、めちゃくちゃ乱暴するもんだから、腕の縫った傷の跡がほぐれかかって痛んだ。
 さて、その日は砂漠を歩いたあと、サバンナかステップの木の陰で眠った。砂まじりの風が吹くので、砂粒が荷や身につかぬよう、頭の所に黒いコウモリ傘を立てて、寝袋で眠った。夜明け頃の心地よい夢を見ていた時、ふと、何か?気配がするので、「はっ!」と眼を覚した。すると、髭を蓄えた山賊のおっさんの顔が息がかかるほど近くにあった。眼をまん丸にして僕の顔を見ていた。手にはしっかりと傘を握っていた。一瞬、沈黙が流れ、お互いのびっくりした眼をみつめ合っていた。僕は何故、目の前にアラブ人の顔があるのか考え、おっさんはおっさんでザックに手を伸ばすべきかどうか、考えていた。眼を見合っていた時間は、どの位だろうか、僕は寝袋に入っていて手も出せないから、思いっきり口を開けると、「ワォー」と叫んだ。すると、おっさんおまん丸になった眼がさらにくわっと見開いて、びっくりして立ち上ると、土を蹴って、もの凄いスピードで傘を握って走り去った。砂漠が上る。傘を持っていくところが根性である。
 ヨーロッパのユースホステルでは、ただ泊りのヒッピーのプロが居るらしく、夜、店の親父が客を数えに行くと、一部屋に必ず二、三人は多い。「こら!」と怒鳴れば彼らも慣れたもので、さっ、と飛び起きると、開けておいた窓から忍者のように消えていく。この時、皆、それぞれ掛けておいた毛布をしっかりと握っていく、という。

 なんとかかんとか、 れ果てた道を辿り、サハラの砂風に吹かれ田舎のアラブ人に迷惑をかけ、進む。僕の姿は陽焼けと、埃で、さらに異様な姿となっていた。言葉は全く通じず、しばらく人と話してない。ガラスの無い窓から風に吹かれ、ずうーっと遠く、落陽で紅く染る地平線を眺める。会話のない淋しさか、一人、童謡を口ずさみ、故郷のガールフレンドの顔など思い出してみる。
「此処は地の果てアルジェリア……か、冷たいビールを飲みたいもんだ」
 マドリードのカフェー、泡を吹くビールが目の前をチラチラした。
「北上だ、北上!禁酒国はもう、ええ」
と、地図を広げると、鉄道が走っていた。
「こりゃ早い、汽車だ、汽車だ」
と、今度は西に進むべくバスを乗り継ぐ。目標は駅のある街、アバドラ。
 やっと辿り着いた駅のある街。
「ガーン!」と、勢い良くドアを蹴ると、昼寝をしていた駅員がびっくりして眼を覚す。
「時刻は?」
と、ニタニタしながら汽車が走る真似をして腕時計を指さすと、おっさんは、しばらく、きょとんとしていたが、意味を飲み込めたらしく、座り直すと、人さし指を一本立てて、横に振り
「オンリー、サンデー(日曜だけね)」
と言った。
 今日は確か、火曜日のはずだぞ、ぐらぐら、と頭にきた僕は
「何がオンリーサンデーだ、一週間に一度しか汽車が走らんかったら、砂でレールが埋まってしまうぞ、クソ、アラブ人め!」
と、日本語で怒鳴りちらした。何人と、いいかげんな国か!