2011年6月30日木曜日

12今どき破天荒な男たちの物語 (誰もつきあってはくれない)

 中野はアルジェリアへ行けさえすれば大金が入ると思い、安い賃金の地元のアルバイトには目もくれず、自宅待機ということで毎日ブラブラとしていた。
 この頃、僕らは暇な中野を誘い、日本でも有数といわれる岩峰郡のある宮崎県の方へよく出かけた。中野はこの頃、食って寝てばかりいてぶよぶよに太り、ふうふう言いながら登攀していた。僕が「こら、早く来んか!」と怒鳴り、頭にきた山下というオカルト好きの友人が「おい、中野!お前もっと早く登れんか、こういうふうに登れんか!」と岩をパパッと攀じりデモンストレーションすると、中野が、「わしゃもう帰るわ。あんたら二人で登ったらええわ!」とすねてしまった。中野がすねるのは珍しく、僕と山下は顔を見合わせて、ちょっと言い過ぎたと反省すると、おもむろにお互いのザックからパンとソーセージを取り出した。
 夏の暑い盛りも、僕らはこの岩峰に通いつめた。ある日、あんまり暑いので「おーい!俺りゃ、蝉じゃねえぞ。このクソ暑いのに岩なんか登れるか、おーい!海水浴へ行こう。海へ行ったらギャルが居るぞー。ギャル、ギャルやぞー」と山奥の岩峰郡に木霊すれば、岩にへばりついていた仲間らが、ぞろぞろ降りてくる。降りてくると皆んなは無言で登攀具をさっさっと素早くまとめ、車に駆け込みエンジンをギーンと廻すと同時に「わぁー、ギャルだギャルだ。海水浴だ」とはしゃぎ出す。
 山をぬけ、海岸線に出ると太平洋の海は青く、白い大きな波が立っていた。日向海岸までじきである。
 皆んなは何を履いて泳ごうか迷っていたようであったがそれぞれ着替えを持っているようであった。僕はバミューダとGパンのちぎれたのと二着持っていた。中野は知らん顔をして気持ちよさそうに海を眺めていた。日向の海水浴場は賑わいギャルも大勢いた。
「うわぁ、海や海や、ギャルやギャルや」と皆んなは更衣室へ滑り込む。僕もGパンのちぎれたのを持って更衣室へ飛び込み、うきうきしながら着替えていると、中野が大きい尻を出していた。「汚ねえ尻出すなぁ、あいつは何を履くんだろう?」と、ふと気になって彼を見ていると、まず赤いシュリンゲ(ザイルの極細の紐)を腰に巻き、それから煮染めた、もと白であろう茶色いタオル、それも使い過ぎて繊維が細くなってガーゼみたいになっているのをシュリンゲに巻きつけてフンドシを作ろうとしていた。タオルの長さでは折り返しはほとんどなく、今にもズリッと落ちそうである。それを後ろから見ていた僕はおかしくて、腹をよじり息が出来ずに苦しんでいた。中野は「さぁ、ギャルやギャルや、行くぞ!」と一人ではしゃいでいた。僕は苦しいのを堪えながら暗闇から中野を呼び止める。「お、おい、中野!出るな出るな、お前ギャルが見て卒倒するぞ!」と言うと中野は「そうかなぁ・・・?」と不満そうにちんちくりんのフンドシを眺めて「あんた、なにか持ってないかい?」と尋ねる。僕は彼のためというよりも、此処で泳ぐ大勢のギャルのために着替えのバミューダを彼に貸してあげた。こうして僕らは砂浜を徒競走したり、泳いだり、楽しく一日を過ごした。
 後(のち)、何日かして、中野と飲みへ出て彼のアパートに泊まることになったが、朝、共同炊事場で、二日酔いの顔を洗い顔を濡らしたまま部屋に入って「おい、中野、タオルはどこにあるか?」と尋ねる。「そこに掛っとる」と言う。針金に掛っているタオルを握ってギョッとした。この色、この糸のほつれかかった生地、まさしくあの更衣室で彼の股にあったあのタオルであった。
 この中野、女好きのわりには浮いた話がなく、女の娘と歩く姿もあまり見かけたことがなかった。ある時、誰かと映画を見に行ったということを聞いたことがあるが、その娘はすぐ帰ったということであった。「何故か?」と中野に聞くが「分からん、不思議な娘や・・・」と言っていた。まあ、中野に付き合う娘だから不思議な娘だろうと思い、それ以上は聞かなかった。
 その後、友人から聞いた話によると、その時は映画館がいっぱいだったので一番前へ行き、おもむろにズボンの後ろポケットから新聞紙を取り出し、階段に新聞紙を敷いて腰掛け、その娘も座らせようとしたらしい。彼女は黙って帰ったという。中野は「何故帰ったんやろう?変わった娘や・・・」と言っていたらしいが誰だって帰るわ。
 女の娘の後を追わないのも中野らしいが彼は、高い映画代を払って映画を見に来たのに帰るような真似はしない。また、せっかく映画を見に来たのだから、といって一番前の大画像で見ろうとしたのだろう。
 また、彼は信州へ登山に行った帰り、東京で登山用具を買うと言って東京へ寄り、大分から上京して下宿している女の娘の部屋を訪ねて行った。そこで、彼女が泊まっていけとしつこく勧めるのでしかたなく女一人住まいのアパートに泊まったということであった。
「わしは彼女の気持ちを察してたが純情やから駄目やなぁ、何もようしきらんかった。彼女の期待を裏切ったわぁ」としきりに頭を掻いていた。僕らは「ふーん」とひらめのような目をして彼を見ていた。その後、その娘が帰郷した時の話では、「昼間、突然、中野さんが尋ねて来たので同郷の人がわざわざ訪ねて来てくれたのに追い返すわけにはいかず、お茶ぐらい出そうと部屋に入れたが、ずうーっと居て夕方になった。夕御飯をご馳走したら帰ると思い夕食を御馳走するが、なかなか帰ろうとしない。そのうち暗くなりかけた頃中野さんが、『いやぁ、暗くなってきたなぁ。お金もなく泊まる所もないし困ったなぁー困ったなぁー』と言い出して私の所へ泊めてくれないか?と言うので、とんでもない!と断ると、頭を下げて頼む、頼むというのでどうしても断りきれず、しょうがないのでタンスやいろんなものを移動してカーテンを張って部屋を二分して休んだが、電気を消して一時(いっとき)すると中野さんが、『~さん、もう寝た?』と何度も声をかけ『~さん、今、僕と~さん二人きりですねえー』『そうかぁー二人きりかー』とか自分で納得したりしていて気味が悪くて気味が悪くて、一晩中眠れなかったわ」と言っていた。大分中野の話と違うようである。






2011年6月18日土曜日

11今どき破天荒な男たちの物語 (サハラ砂漠横断の夢)

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今どき破天荒な男たちの物語の1 



 さて、中野だが、案の定、茨城には思惑があって三ヶ月ほどで帰って来た。原子力発電所の建築工事に行っていたのだ。そこで放射能の汚染度が限界にきたので帰郷させられた、という。むろん、給与はべらぼうに高い。彼は学生の頃からアルバイトは給与の一番高いのを選んで行っていた。職種なぞは関係はない。金のためなら、本当によく働く男である。おそらく、この茨城の原発工事も、職安あたりで一番給与が 高かったものと思われる。
 そして、彼はさらに給与の高いアルジェリアで給油パイプの工事をする仕事を見つけてきた。月収四十万という。二年は帰れないという。「たくさん死者が出ているから帰れないかも知れない・・・・」とも言っていた。まさに、地の果てアルジェリアである。
 その彼のアルジェリア行きは給与金額もさることながら、砂漠への憧れもあったようで、サハラ砂漠を縦断したいなどと言ってよくアパートでアフリカの地図を広げていた。
 ある日、彼が僕の家へ来て、天文航法の本を貸してくれ、サハラ砂漠を縦断する時に自分の位置を出すのに使うからと、熱心に僕の本棚から数冊の本を取り出して抱き抱えて持って帰った。僕は感心して「分からないところがあったら聞きに来い」と言っていたが、天文航法というのはわりと難しく、また計算が多いので独学では無理だろうと思っていた。緻密な計算が必要なのである。数日後中野と会った時「どうか?分かったか?難しいから無理だろう?」と言うと「分かった」と威張って胸を張って言う。僕は一瞬うろたえたが平成を装い「ほ、ほーお、そりゃたいしたもんだで。お前、六分儀コンパスはどうするのか?」と尋ねると「えっ?六分儀?指じゃ駄目なんかい?」と言う。馬鹿なことを言うもんだ。六分儀コンパスで星の位置を測り、その角度から緻密な計算をして現在地を出すのが天文航法なのに、六分儀なしで何の計算か、何にも分かっちゃいないじゃないか!
 そこで僕は、以前中野に話したことを思い出した。大昔のノルマンディの海賊は、水平線に向かって親指を立てて、金星と水平線の角度を親指と人さし指で測っておおまかな船の現在位置を知ったという話である。あれは熟練した海賊が自らの庭みたいな海で、全く水平な水平線で行ったもので、砂漠の真ん中で親指立てたって何も分かるものじゃない。僕は中野の考えてる意図が馬鹿馬鹿しくなって早々に大切な本を引きあげた。





ワタの旅と冒険-7 (太陽の国-2)


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ワタの旅と冒険-1


 この辺りは食べ物屋が軒並み並び、芳ばしい薫りがたち込めている。物価が安いのでひさしぶりに旨いものを食おうとレストランに入り、コーヒーとワインを注文するが、なんと一人千円程度である。腹一杯になった彼らは
「次はフラメンコだ!」
「その次はセニョリーターだ!」
と、叫んだので僕も
「セニョリーター」
と叫ぶと、三人は僕の腕を見ながら
「あんた、その腕で女、抱くんかい?」
と、訝しそうに言った。
 フラメンコは城壁の中にあった。中世の城壁の廻りを、ずるずると細長く蟻の巣のように掘った洞窟が酒場となっていた。入口が狭く、奥は丸く広くなっていて、真中にフラメンコの台、回りはカウンターである。
「ウナ、セレベッサー!(ビール一杯くれ!)」
と言うと、甘いビールが注がれ踊り娘が真赤なドレスをくねらせ踊った。一軒の店が一杯百円のビール代で済むので、隣、隣と何軒でも梯子でき、何人でも踊り娘を眺められた。
「今夜は最高!」
と、幾度も叫び、すっかり酔っぱらった僕らは、「セニョリータ」「セニョリータ」と叫びながら夜の街へと繰り出した。
 驚いた事に午前零時が近いというのに、子供が多い。それに家族連れが多いのだ。日本では絶対見られぬ光景である。
 通りを行く人々、擦れ違う人々が皆、フラメンコの曲を手拍子で叩き、それは大変なはしゃぎ様である。陽気な国民である。皆、目が生き生きとして顔は紅潮していた。「ヤポン!」「ヤポン!」と幾度も声をかけられた。僕らもすっかりのって息を上げ、手を叩きながら街を練り歩き「セニョリーター」「セニョリーター」と、夜の街をさまよった。
 何処からか、美しいギターの音とともに歌声が聞こえてきた。音に惹き憑かれるまま歩いて行くと、マヨニエール広場に着いた。黒い石畳をびっしりと敷き詰めた閑散とした広場である。若者らが溜り、中央に髪の長い若い女性が一人、ギターを弾きながら、フラメンコを歌っていた。その娘を取り囲むように若者らが膝を立てて聴きいっていた。皆、曲に酔っているようで、しんみりとした雰囲気が流れていた。哀愁のある悲しい歌であった。フラメンコがこれ程、淋しい曲だとは知らず、僕らも曲に聞き惚れ、一曲終るたびに彼女の傍に置いてあるギターケースに銅貨を投げ入れ拍手した。
 中世の競技場は、床も壁も石畳で囲れた最高のコンサート場となり、広場に歌が響き、僕らの耳に深い余韻を残した。酒の酔いに覚め、哀愁の曲に酔い、しんみりとなった僕らは誰もセニョリータの事は口にせず、タクシーに乗ってホテルへと引きあげた。

 ぱくり、と晴れた日曜日、僕らは闘牛場に居た。トレドである。開幕を前に人々は騒めき、皆、雰囲気に酔っていた。ファンファーレが鳴ると騎士の登場だ。-行進。次から次と馬に乗った騎士が現われファンファーレが響き渡る。

太陽の国001

「ブラボー ブラボー」
と、興奮したアメリカ人が叫ぶ。全員、総立ちである。
 闘牛と騎士との決闘。一試合終わるたびに観客が拍手と喝采を浴びせ、騎士が剣を空に振りかざし場内を廻る。「ブラボー」「ブラボー」と場内へ牛乳の入った皮袋や帽子や傘が投げ入れられる。
 陽が傾き円型の競技場を影が覆う。半分はブラック、半分は逆光、カメラのファインダーの中、駆ける牛は光り、騎士は闇の中だ。
影が円型のドームを埋めつくした時、興奮は幕を閉じた。

太陽の国005

人でごったがえす場外にポスター売りの少年が走る。仲間の一人が沢山買っていたので尋ねてみると、日本では数十倍に売れる、ということであった。




2011年6月10日金曜日

山 河 賛 歌


山河賛歌




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K2


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ベッターホルン


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グリンデルワルト


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岳


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落陽


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花


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越冬


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夕やみの中


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希望


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旅立ち


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五色ヶ原


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自画像


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プチ ドリュー西壁


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プチ ドリュー西壁

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プチ ドリュー南西岩稜

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2011年6月2日木曜日

10今どき破天荒な男たちの物語 (原始人の歯を持つ男)

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今どき破天荒な男たちの物語の1 



 半年ほどして、僕が故郷へ帰ると、この洋一のアパートにまだ、中野は居た。べろーんとあざらしのように寝そべっていた。そして「洋ちゃ~ん!御飯まだぁー」と言っていた。ああ、洋ちゃんは可哀そうに・・・・部屋も乱れている。中野が散らかしては洋一が片付け、ぞうきんを持って廻る姿が目に浮かんだ。「おい!洋ちゃん、大変やのぉー」と僕は同情の声をかけるが彼は何も言おうとはしなかた。



 この気の良い洋ちゃんもある日、ついに頭にきたか、コタツに浸(つ)かり寝そべっている中野の傍らに立つと、「おれは頭にきた、おれは頭にきたぞぉー」と一人言を言いながら、マッチの軸を折って寝そべっている中野に振りかけ、部屋中ばら撒いていた。僕はこの姿を見て、あれだけ冷静な男が・・・よっぽど頭にきたんだろう、と洋一に深い同情と哀れみの念を向けた。この洋一の気持ちを察したかある日、中野は一人あの薄暗いアパートへと引き上げた。

 それからか、中野の姿はぷつりと絶えた。皆んなが心配して「おい、近頃中野を見るか?」「いや、そういえば見ないなぁ」「皆んなに迷惑かけたと思って自殺したんじゃないか?」と僕が冗談で言うと友人が、「くっ!くっ!」と笑いを堪えている。皆、中野という人間を良く知っているようであった。人伝えに、彼は茨城の方へ土方の出稼ぎに行っているという噂であった。へぇーわざわざ茨城まで行かずとも土方は此処ででも出来ように・・・・しかし茨城というのがひっかかるなぁ・・・・なんだろう?と思っていた。それじゃぁ、船乗りの洋一が喜んでいるだろうと、彼のアパートへ行ってみると薄暗いアパートの中で、洋一が白いシーツをかぶって口を開け、歯科技工師の三郎が覗き込んでいた。僕はびっくりして「お、お前ら何してんのか?」と思わず叫んでしまった。
 歯科技工師である三郎は保険のない洋一のため、ヤミで歯を作ろうと歯の型を取っていたのである。「なんだ?みつるか、びっくりするじゃねえか!」と、三郎が言い、熱心に洋一の口の中を覗き込んでいた。勤めの歯科医院で黙って歯を作り、それを洋一の口に埋め込むという。なかなかやるもんである。こういう人間が大勢いたら歯医者も儲かるまい。
 中野はこの点しっかりしていて何処でも歯ブラシを離さなかった。長らく、保険のない生活をしていたので金がかかるのを極端に恐れていたのである。何時も感心に飯を食った後ポケットから歯ブラシを出して磨いていた。何時でも何処でもというのは、食堂の中や、道を歩いていても、ということである。
 おかげで彼の歯はいつも白く輝いていたが、顎があまり大き過ぎるので、自慢の歯はぶ厚い唇と太い顎に隠れて普段は見えなかった。歯科技工師の三郎が中野の歯を見て、「お前の歯は非常に珍しい歯で、顎の中から生えている。だから物を食う時、普通の人間は歯で噛むが、お前のはすり潰すという感じだ。それに、お前の顎は馬や牛のように発達して骨太や。その顎を廻して食べ物をすり潰すわけだが現在人にはその歯はない」と言いきるので中野が「それじゃ、わしの歯はなんかい?」「うむ、お前先祖返りじゃねえか?」「なんかい、その先祖返りっていうのは?」「先祖返りってのは何万年も前の遺伝子が、ある日突然、何かの拍子でポクッと出てくるのを言うんじゃ」と説明すると中野は心当たりがありそうに「うむー」と唸る。僕らは笑い転げて腹がねじれてしまいそうになる。
 その中野が虫歯になって、しぶしぶ三郎の勤める歯科医院に行くことになった。歯科の待合室で受付の女の娘を前から斜めからと、しばらく眺めていたが、腹がすいたのかジャンバーのポケットからアンパンを取りだしてムシャムシャ食いだした。そこへ「中野さーん」と呼ばれ、白いエプロンを掛けられる。歯科医が「どうしました?」と言って口を開かせると、口の中には噛みかけのアンパンがびっしり詰まっていた。それを見た医師は、何も言わずに知らん顔をして他の患者を見だした。それを衛生師から聞きつけた三郎が慌てて技工室から出てくると、「お前、もう帰れ!」と言った。