2011年8月26日金曜日

17今どき破天荒な男たちの物語

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今どき破天荒な男たちの物語の1 



 そこで、中野の留守の間、たびたび登場する他の友人の話になる。

 大田三郎、やはり僕らと同じ齢である。僕らの登山仲間、クラブには同じ齢がたまたま偶然寄って来たが、学生の頃の同窓生ではない。
 三郎は同じ齢ではあるが、この仲間うちでは一番生まれた月が早いので、実際には一番年上ということになる。が、彼は非常に若ぶりで、なす事すべて若い。そして、少女趣味である。そこで僕はよく知りあいの女の娘らに「さぶちゃんは僕より齢上なんだぜ」と言うと、皆必ず「えっ!?うそぉー」と信じられぬ顔をして頭を伏せて滑り転げる。
それ程若ぶりである。しかし、若干僕が老け過ぎの傾向もあるようだが・・・。

 三郎は三番目に生まれたから三郎と言い、それ以上の深い意味は俺にはない、と言って威張ったり嘆いたりしていた。
 非常にさっぱりした諦めが良すぎる性格である。また、落ち着きのない性格でもあった。
 彼は歯科技工師をしているのだが、よく、落ち着きのない男がああいう細かい仕事が出来るなぁと彼の職場の技工室を覗いてみると、頭にバンダナを巻き、ラジオを聴き、ガタガタ貧乏ゆすりをしながら入れ歯を作っている三郎が居た。足があれ程ガタガタして、どうして手が揺れないのか?と僕はいつも不思議に見ていた。
 また、彼は祭りが大層好きである。ある時彼の勤める歯科医院の近くで、子供らが、チキリン、チキリンと太鼓と笛を鳴らして祭りの練習をしていた。ところが彼もチキリン、チキリンと身体を揺さぶりリズムをとりながら入れ歯を作っているものだから、何度も何度も失敗して「ちくしょう!」と次々と失敗した入れ歯をゴミ箱にほうりこんでいた。こうして祭りが終わる頃は、ヨレヨレになった三郎が居た。これを恐縮がった歯科医院の奥さんの好意で、その次の年からは町内の祭りに参加出来るようになったという話である。
 彼は何度かヨーロッパ遠征をし、ついにこの歯科医院をやめてまで遠征に出掛け、名のある山郡の幾つかを登った。彼は落ち着きがないが、バランスの良い名クライマーである。
 ある、天気の良い日、他の山岳会の人らと登攀することになり、僕と他の人、彼と他の人と言うふうに2パーティーで、僕と彼がトップ(先)に行き、他の二人をリードすることになった。なかなか難しいルート(登攀経路、道筋)で、ルート自体も入り組んで、ルートを探すのが難しかった。僕もだいぶん頭を悩ませながら冷や汗もんで登り、やっと困難な核心部を過ぎ「ほっ!」としたところで、後発パーティーの三郎が下から「おおーい、みつる!この樹からどっちに行くのかぁー?」と吹き上げる風とともに叫ぶ声が聞こえて来た。そこで僕が「そこは適当に行くんじゃー!」と上から叫ぶと「分かったぁー!」と下から声がした。僕とパーティーを組んでいた他の山岳会の人は、呆れた顔をして「大丈夫かなぁ・・・?」と下をながめていた。


本人が行き詰っているからルートを教えてやるのが本当だが・・・このすかさず、「分かったぁ!」と叫ぶところが三郎らしいところである。聞いた俺が馬鹿だった、と後で言っていたらしいが・・・僕は彼の技量なら、教えずとも登れると思ったから適当に言ったまでのことである。




ワタの旅と冒険-14(砂漠の果ての-3)

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ワタの旅と冒険-1



 夕刻前、断食中である彼らは街の広い何百人は入れるであろう大食堂に集り陽が沈むのを待つ。二、三時間前から集ってお茶を飲み、腹を空かして待つ。
 ふと、入った、この店でその事を知り、回教徒でない僕は大食堂の真ん中に座ると、メニューを見て「あれじゃ、これじゃ」と注文する。コックが奥から覗いていたが外国人だから―――――と食事を作る。
 次から次へと運ばれてくる御馳走に何百人かの視線が集る。香りがたち込め、腹の鳴る音がする。
「ああ、うめえ、うめえのぉぉ」
と、舌を打つ。子供が傍へやって来るので何かあげよう、とするが慌てて母親が連れに来る。ぐっ、と視線を感じながら食べる味はまた、格別である。「ざまぁみやがれ!」

 ずい分長く滞在したカサブランガを後にサハラ砂漠、アルジェリアへと向う。あてにならないバスを乗り継ぎアルジェリアとの国境近くへと来た。アルジェリアは社会主義国なのでビザがいるが、この街でビザの手続きが出来る、と聞いたからだ。が、なめくじのような字の看板を見ても何の建物かちんぷんかんぷんである。うろうろしていると、ダーバンを巻いた小柄なおっさんがやって来て、「ビザ、ビザ」とさかんに言っている。ビザの手続きをしてくれるビザ屋のおっさんである。アラビアの生活ですっかりせこくなった僕は、おっさんに何の書類は此処でもらい、写真は此処で取ってペタンと貼って此処に出す、と場所を教えてもらい、「ありがとう、後は自分でするわ。」と、言うと、おっさんは両手を上げて頭をかかえ込んでいた。



 アルジェリアはモロッコの快楽的、堕落的生活よりは少しは締った感じがした。人々の目も働いている目である。
 アフリカ大陸を南下する窓の無いバスに乗り、土煙りを顔に浴びながら進む。到着地で乗客が運ちゃんとワイワイやっているので、「何か?」と思ったら、屋根に積んであった荷物が半分近く無くなっていた。
 この地では荷は全部バスの上に乗せるようになっていて積み上げてロープでくくるのだが、そのくくり方というのが、またなんとも頼りない、「ありゃ あかんぜ、ほどけるぜ」と、思った僕は、別料金を払いザックをしっかり抱きかかえていたが、案の定、荷を砂漠に蒔き散らかしながら走っていたわけである。





頂

頂(いただき)
  1

ようっ  と

振り返る

さっきまで居た頂

正午の近世と並ぶ



  2

のび上がると

山

ずっと 下を向き

頂を目指す

足下は一直線

花は見えない






2011年8月25日木曜日

16今どき破天荒な男たちの物語

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今どき破天荒な男たちの物語の1 


 彼らはこの頃、トレーニングに、猿の高崎山のゲレンデ(ロッククライミングの練習場)へ通っていたのだが、此処には猿の糞が大変多く、当然、登攀具やザイルにも付いている可能性は高い。このピカピカの高級レストランで、プーンと猿の糞の匂いがしたり、上品ぶった御婦人のハイヒールでも付いたりしたら此処の綺麗好きのマスターは何回も「ノォー」「ノォー」と声を張りあげ、叫ぶであろう光景であった。
 また、僕らが近郊の山で知り合った他の山岳会の女の娘らと話していると、その中の若い娘が布団会社の事務員をしていると言っていた。そこで、突然中野が、「それじゃシーツとか、いっぱいあるでしょう?」と尋ねていたので、ふーん中野はよく知っているなぁ、俺りゃ布団会社には布団しかないと思っていた、と感心していると、今度は「余ったのは有りますか?」と身を乗り出して聞いていた。は、はーん、病院のベッドで白いシーツの味をしめたのでタダで貰って、あの女郎布団にでも敷くつもりだな、と素早く僕は察しした。
 女の娘は、何故、山でこういうことを聞くのか?不思議そうな顔をしていたが、「余っているのは無いですが傷が付いたり、汚れたりして商品にならないのはありますけど・・・」と言うと、すかさず中野がさらに身を乗り出し「それ、貰えます!」と言うので、女の娘はいけないとも言えず口ごもりながら小さく「え、ええ」と呟いた。
そして、次の月曜日、彼女の職場に中野が現れた。
 彼女は慌てたが、なんとか上司に頼み、傷もののシーツを一枚わけてもらうと中野に手渡した。

 また、僕らが毎週のように通っていた宮崎の岩峰郡の所に見晴らしの良い展望台がある。観光客のよく訪れる展望台である。そこで中野がパンツ一枚のうっとうしい格好でうろうろしていると、人の良さそうな壮年の夫婦と娘がやって来て、展望台から見える突きとんがった岩峰を指して「やぁ、凄いですねぇ!あれを登ったんですか?」と中野に話かけると中野は胸を張って下唇を突き出し
「いやぁ、あんなものはどうってことない、大した岩峰じゃないですよ、あんなものは」と威張って、登っているクライマーが見える岩峰のルートを説明していた。彼らは「何処から来ているのですか?」と尋ねたので中野は「大分です」と答えると「それは遠い所から大変ですねぇ、うちは延岡の先の国道ぞいですから帰りにでも寄って休んでいかれたらいかがです・・・・」と軽い気持ちで言った。
 そして、中野ら仲間数人は、観光から帰り、我が家でほっと息を吐(つ)いている親子を襲った。
 こうして、日本に何の用事も仕事も女も無く、有るのは湿った四畳半の世界だけとなった中野はヨーロッパへ渡り、日本から訪れる友人らとパーティーを組み、また、現地の日本人クライマーらとパーティーを組んでヨーロッパアルプスの名だたる岩壁を狙うことになる。夏のシーズン以外はパリで鳥をさばいたり、さまざまなアルバイトをしながら丸四年間、日本に帰ることなく帰る旅費も理由もなく、ひたすら一人、異国の地で文明人に迷惑をかけ、
日本人の名を辱しめ大体の想像はつこう生活を、花の都パリで暮らす。
 その間、僕らは平和に、また少し退屈に暮らすことになる。彼のくわしい消息を知る者はいなかった。が、誰も彼を心配しなかった。





2011年8月17日水曜日

15今どき破天荒な男たちの物語

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 中野の脳細胞は一体どうなっているのか?一度覗いてみたいと思っているが、どうも奴には“恥かしい”という観念と“冗談”という観念がインプットされていないような気がする。冗談みたいな人間に冗談が通じないというのもおかしな話しであるが、本当に彼の頭脳の当用漢字辞典には“冗談”という字は載っていないのである。だから彼に冗談を言った人は思わぬ目に合うことになる。むろん世間上の社交辞令も禁句である。
 ある登山の先輩が、夫婦仲が悪いのか、何か猥談をしている時、中野があまり目の色を輝かせるので、女性に不自由している中野に向かって、「中野、お前そんなに困っているならうちの女房をいつでも貸してやるぜ」と冗談で言っていた。
翌日、仕事を終えた先輩が自宅で風呂に入りビールを飲んでくつろいでいる夜半、「ピン、ポーン」とベルが鳴って中野が訪ねてきた。先輩は「こんな夜半に、なんだろう?」と思ったが、わざわざ訪ねて来た中野を玄関に入れると「まあ、ビールでも飲め!」と言ってコップを差し出す。中野はビールを飲みながら流し目で
「奥さんはどちらですか?お風呂ですか?」
「子供はもう寝ましたか?」
と、家の中をキョロキョロ見廻している。先輩は「はっ!?」と昨日の自分の発言を思い出したが、「まさか・・・?」と思い直し、中野にビールを注ぐが中野の目はあまりにも血走っていた。
 こりゃいかん!奴は昨日のことを本気にしたと察した先輩は、奥さんが風呂から出てくる前に慌てて彼を帰らせた、という恐ろしい話である。
 また、山下というオカルト好きでやはり同年代の友人が、街中の綺麗なレストランへ勤めていた頃、山へ行くのにそのレストランの前で待ち合わせをしていたのだが、冬の寒い中、中野が開店前の鍵のかかっている店の前に立って待っていたので、次の待ち合わせの時、
 「寒いから中へ入って待ってていいよ」と店の鍵を渡した。そして山下が「お待たせ!」と開店前の薄暗い店へ入ると、な、なんと、中野が綺麗なフロアーいっぱいに登攀用の金具やザイル、その他もろもろの物をバラバラと広げていた。昨夜、綺麗に掃除したばかりの店に、泥や、何が付いているのか分からぬ金具を並べられ、汚れるどころか床に傷でも付いたら大変である。綺麗好きの店のマスターが見たら両手を上げて嘆く光景であった。
「お、お前!何かこりゃ?」と山下がびっくりして尋ねると、「いやぁ、暇やから少し整理でもしようかと思うて」と言っていた。



2011年8月8日月曜日

ワタの旅と冒険-13 (砂漠の果ての-3)

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ワタの旅と冒険-1


 早朝、朝霧の立ち込める乳白色の街中に備えられたスピーカから、コーランが響く。ホテルのベッドに横たわりながら毎朝、聞くがなかなかの節で酔わせるものがある。夕方も夕食の支度の煙がけぶる街中に鳴り渡る。このコーランに合わせ、彼らは夕日に向って礼拝する。目の前にコーランの教本を置いて、土に頭をつけ膝まづき、幾度も幾度もお辞儀する。この国では国王も泥棒も皆、熱心な回教徒である。
 広い道の脇に乞食が何十人も並んでいた。すると、決して裕福そうでない普通のおばさんが、コーランを呟き、涙を流しながら一人一人の目の前に置いてある皿にお金を入れて歩いていた。乞食はさも、当り前のように威張って座っていた。人から金を貰うのは当然だと思っているのだ。これがアジババの大泥棒を生んだ快挙の哲学である。人は皆、平等であるから余分な物を持っている人は持ってない人に与えなければ……という事らしい。彼らはこの国では立派な職業人である。
 僕の友人がインドへ行った時、目くらのいざりの乞食に金をやる真似をして、皿にある金を取っていたら、乞食が頭を下げながら目を開き、走って追いかけてきた、というが、彼のような男がいない限り乞食の生活は安泰となる。次から次と人が金を入れてゆく。


 丁度、今の時期が断食期間である為、昼、食堂を探しても皆、閉じている。雑貨屋も閉まっている。そして、陽が暮れ始めると、何処からか、人がゾロゾロ出てきて、大人も子供も夜、三時位までワイワイ言って遊んでいる。
 アラブの国があまり進歩しないはずである。彼らは働かないのだ。それにアラブで戦争が絶えないのも良く分かる。彼らの戦争、騒動などというものは彼らにとって祭りなのだ。人が「ワー」と叫べば「ワーワーワワワ」と池に石を投げたように波紋が広がる。突風が吹けば騒ぐし、ケンカでもあれば大イベンドとなり街中の人々が集まる。この国でアジゲーターは不用である。とにかく騒がしい民族だ。それに平気で嘘を言う。ある時、地図を持って「此処に行きたいんだけれど…」とバス停を探していると、おっさんが親切に教えてくれる。が、行くとバス停なぞはない。「おかしいなぁ?」と、また別のおっさんに聞くと全然、別の方角を教える。すると、さっきのおっさんが走って来て、「いや、違う」と言って、また全然別の方向を指さし、おっさん二人で喧嘩となる。――――――この、いいかげんさ。結局、僕は道を尋ねる時、五人程、叫び止めて尋ね、その統計をとるようにした。
 今度はバスを待つが、太陽がギラギラ照りつける中、バス停に書かれた時刻が過ぎてもいっこうにバスは来ない。やがて次のバスの時刻になるが、また来ない。「おかしいなぁ……今日は休みかなぁ?」と、思っていると、夕方、陽も暮れかかり涼しくなる頃、バスが四、五台並んで修学旅行車のようにやってくる。一日分まとめて来るわけだ、涼しくなったから行こうか、という事らしい。馬鹿にした話である。その他、幾度かぼられたり、騙された事が続き、「くそーアラブ人め!」と僕は彼らに復讐を誓うようになった。




2011年8月3日水曜日

Gallery-2

南仏 ゴッホの世界

燃える湖畔

街路

ジャングルの小径

花と女

田舎の駅


魚



猛獣
ドイツの城


漁村の恋人

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