このブログは一つの物語です。
彼が社会人となって一年目の冬、僕らはクラブの仲間と、さらに他の山岳会の女の娘二人を連れて積雪登山へ行くことになった。雪が腰まである四十度近い雪斜面を登行中、パッ、と目の前に亀裂が走ったと同時にバッ、と足もとが掬われた。足が波にさらわれるように浮いた、かと思うと、ザァー、と流される。慌ててピッケルを雪面に刺すが、ぐいっ、とザイルに引かれる。中野とザイルを組んでいた。
「くそ!あやつはトドのように転がりながら流れてるんだろう」と、雪面を滑りながら思った。登攀してきた三十メートルはある崖を、ひゅー、と飛び、ジェットコースターのようにザァーとカーブしながら、どんどん流れた。幾度か止まりかけるが、また、ぐいっと中野に引っぱられる。崖をぶーんと飛ぶ時、空中でザイルが絡み、首にザイルが巻きつく、「くくっ!」息が出来ない。そのザイルを先頭切って落ちて行く中野が、ぐいっ、と引っぱる。「ぐぐっ!」と、目の前が真暗になり、内臓すべてが口から飛び出そうになる。身体は逆さだ。「ああ・・・・・」と、気を失いかけるが、渾身の力をふりしぼり、首からザイルを外すと、やっと息が出来るようになった。すると今度はどとっ、と雪が口に入ってくる。
さんざんな思いをして、じわー、と身体が止まった。上から雪がどどっと波のように乗ってくる。「ぐうっ・・・」と泳ぐように雪をかき分け、「うっ!」と雪面に這い出ると、青い空が見えた。人影はなく、雪煙が舞っていた。
「皆んなは!?」
と辺りを見廻すが、幾度見廻しても、もわー、と雪煙が上がっているだけである。瞬間、新
聞の見出しに大きく載った“山岳会、大量遭難”という記事と、合同葬儀の光景、喪服を着た自分の姿が瞼に浮かんだ。
ふと見ると、盛り上がった真っ白い雪面から赤いヤッケがはみ出していた。とっさに近寄り掘り起こすと、リーダーの山さんのびっくりした顔が出てきた。日頃、冷静な彼も目がくるくる廻り、さすがにびっくりした顔をしていた。僕の顔を見ると深く息をしながら
「おい!皆んなは無事か!?」と叫んだが、僕が
「誰も見えない」と答えると、彼の角ばった顔がボロボロとくずれた。そして
「うむ・・・・」と青い顔をして唸り「まず、俺を掘り起こせ!」と言った。が、僕は彼の言葉を聞かず、彼に背を向けると雪煙の立ち込める雪面をあちら、こちらと掘り出した。
雪中で息が出来る時間は限られている。一刻でも早く皆んなを息の出来る状態にしてやらなければ・・・・時間がなかった。僕はあせった。すると、うっすらと盛り上がって、やはりヤッケの切れ端が見える所を掘り起こすと、パーマのかかっている髪が出て来た。
「あっ、女の娘だ!?」と思わず微笑みさらに力強く掘り続けると、雪の中からは女の娘ではなく、男性の先輩の真四角い顔が出て来た。
「うむ・・・・」
と、悪いものでも見たように目を伏せたが先輩は「ペッ!ペッ!」と口から雪を吐き出すと感激にむせぶ顔で
「ありがとう!」と呟いた。
僕は無表情に彼の顔だけ雪面から出すと、やはり、うっすらとこもった彼の隣を掘りだした。少し掘ると、今度は間違いなくやさしい髪のパーマ頭が出て来た。
「よかった!」
顔を出してあげようと、さらに力強く掘り続けると後ろの方で
「ぺっ!ぷっ!」とか、音がするので、「何だろう?」と思って振り向くと、今しがた掘り起こしたばかりの先輩が、僕の掘りかえした雪でまた埋りかけていた。
こうして次々と仲間を掘り起こしたが、もう一人の女の娘の姿が見えなかった。もう十分以上は過っていた。そして、ついにザイルをたぐっていくと雪面下三十センチ下から、もう一人の女の娘が出て来た。顔は蒼白で息がないように思われた。
そして、その娘を掘っているところに、額から血を流しながら中野が降りてきた。ヘルメットの鍔(つば)か何かで切ったのか、額から血をたれ流しながら、ぼぉーとフランケンシュタインみたいに突っ立っていた。僕は中野の無事を確認すると、別に声もかけず、意識を失っている女の娘にマウスツーマウスで人工呼吸をしながら胸をマッサージしていた。ふと、何か?視線を感じるので見上げると、中野がひらめのような目をして見ていた。
「あんた、なにしとんのかい?」
と中野が言った。この緊急時に、いやらしいことを考えている中野に頭にきた僕は
「お前も、足もとを掘れ!」
と言うと、
「わしは笛を吹かな、あかん」
と言う・
「笛?」
「なんの笛か?」
「遭難の笛や!」
と威張って言ったが、こんな山奥に笛など吹いてもカラスも聞きわせんわ
「笛なんか吹かんでいいから、掘れ!」
と、さらに言うと、
「いや、笛を吹かにゃ、あかん」
と、強情を張ってきかない。馬鹿な男だ!と思い、僕は投げ捨てるように
「それなら、吹きながら、掘れ!」
と、言うと、彼は
「えっ!?」と驚きの声をあげた。
僕はその娘(こ)を掘り起こすと、額と腰を打撲しているもう一人の女の娘が着になったので中野に「お前、連れて下まで降りろ」と言う。「分かった」と二人は下山し始めた。山裾で、仲間が救助に来た時の話ではその娘が「中野さん、もう大丈夫よ、助かったわよ!」と、中野を励ましていたらしく、中野はいつまでも、しつこくその娘の手を握って離さなかったという。それでも中野は後で、「いやぁ、~さんは可愛いと思っとったが、よく見るとそうでもなかったなぁ」と言っていたが、打撲で顔が腫れている女の娘の顔をしげしげと眺める余裕はあったようであった。