2011年12月19日月曜日

26今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


 この岩峰郡は山の県道ぞいの渓谷に幾つも聳え立っている。だから、僕らはこの県道ぞいに車を止めてそこにテントを張るのだが当然、目の前を車がザァーザァー通り過ぎる。山道であるから交通量はしれているがそれでも危ない時もある。
 僕らは夏の暑い盛り、登攀を終えたら冷たいビールを飲もうと、湧き水が勢い良く流れる道路ぞいの排水溝の中に、缶ビールを幾つも冷やしていた。

 ある時、雨が降ったのでこの下水の水量が増していた。それで缶ビールが奥の方へ押し流されたのか、入れたはずの缶ビールが見当たらぬ。「おかしいなぁー?」と言いながら酒飲みの北さんが下水に手を突っ込むがそれでもなかなか見当たらない。そこで「うむー」と彼は唸り、ズルズルズルと下水の中に潜り込み、足だけ出して上半身がすっぽりと下水の中に消えていった。


そしてしばらくうごめくとザァーと蛇のように身体をくねらしながら下水の中からぬけ出た。両手には缶ビールをしっかりと握っている。髪もシャツもびっしょり濡れ、下水の中で目を開けていたのか、閉じた目のまま鼻から水を垂れ流しながら缶ビールを両手に掲げ、よろよろと道路の真ん中へよろつく。すると、
「パパーン」
と車がクラクションを鳴らし、彼は“フランケンシュタインの逆襲”のように車を何台も止め、僕らに押さえつけられたのである。

 この北さんは大変な酒飲みで、ヨーロッパアルプスへ遠征に行った時怪我をして、僕と一緒に入院していたのだが足を骨折して動けぬ彼は僕の病室へ“ジョニ赤(ジョニ黒より安い)を二本買っちきてくれんか”と汚い日本語で書かれた伝言をフランス娘のナースに手渡した。そして、僕らは山間のこの静かな病院で「月が出た、出た」と幾夜も歌った。さらに彼はこの遠征の帰り、あの石膏をぶ厚く巻いた足で、大韓航空機が帰路立ち寄る韓国で遊郭へ遊びに行ったらしい。中野が「北さん、その足でどうやってやったんかい?ちょっと図に画いて説明してもらえんかい」と訳の分からぬ質問をしていた。




2011年12月17日土曜日

ワタの旅と冒険-21(けぶる街並-2)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 列車はすべて、ユーレル・パスを使っていたので何に乗ろうが、すべてパスであった。ヨーロッパではコンパートメントの四人部屋が多かったが、薄汚い格好をして髭を生やした訳の分からん東洋人が座っているのだ。皆、遠慮しがちであった。おかげで、かなりゆたっと寝れたが、可愛い娘が入って来てロマンスでも・・・・・・という淡い期待は望めなかった。若い娘が窓ごしに見えると、サッと座席の回りを片付け、澄まして座っているが、娘の方は僕を見ると、ギョッとして隣の部屋へ行ってしまう。
 アムステルダムから同行していた日本人がいたが、有田陶器をやっている人で北欧に三年程、ガラス陶器の修行にやって来ていた、と言い、有田と北欧ガラスの合体したものを創った、とも言っていた。作品を見せてもらったが、初めて見る美しいものであった。有田特有の紅や青の色合いが北欧のスリガラスの中に溶け込み、幻想的な調和をかもしだしていた。僕はその色彩の美しさと、ガラスの透明な質感に打たれ、この作家を真剣に尊敬してしまった。が、しばらく話題がとぎれた後、この尊敬する陶芸家の先生は、目をキラキラさせ黙々とポルノ雑誌をめくっていた。

広場とサイクリスト


 古い街へ幾つも行った。何処もバロック建築らしく教会に似た建造物と紅茶けた瓦で統一されていた。大きな都市には、街の中心に河が流れ、アーチ型のシックな橋が幾つもかかっていた。季節がらであろうか、夕刻になると霧雨がかかり、街全体が、しっとりと濡れぼそり、乳白色にけぶっていた。気に入った街があると、そこに泊った。むろんホテルは高いから泊らない。上品な街は駅も鍵を降ろす。そういう時は大抵、公園で野宿した。浮浪者は居なく、犬も歩かぬ大都会の中、星を数えては眠った。
 ヨーロッパの旅も終わりつつあった。眼の廻るように駆け巡ったE・Cの国々や街々。忙しく長い日々は過ぎ、ヨーロッパは長い冬を向えようとしていた。




2011年12月16日金曜日

ワタの旅と冒険-20(けぶる街並-1)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1

 スカンジナビア半島を一廻りする格好でバルト海を眺め、フィンランドに渡り、ひたすらグレーの空と黄色い針葉樹を眺めながら南下する。風が冷たい。
 コペンハーゲン。古く赤茶けた街並みは街路樹の葉を落とし、淋しい夕暮れを演出していた。歴史の街、深く音の響く石畳のある街。北方の欧州人は固く暗い。気候のせいであろうか南方のスペイン、フランス人とは異なった雰囲気があった。民族の違いであろうか、この辺りの人々には知性と文化性とを感じた。黒いシルクハットを被り、髭を蓄えて道ゆく人々は皆、学者か芸術家のように見えた。

デンマーク門塀

 フランスからドイツに入った時、ガキの顔を見てスラブ民族とゲルマン民族の違いを“ハタ”と感じた。顔が違うのだ。フランス人のガキは太っちょが多く何かボーとした感じがあり、遊ぶ事しか考えてないようであったが、ドイツ人のガキは目や口がキリッと締まり唇が薄く目が精悍である。冗談ばかりと冗談が通じない顔立ちであった。これじゃパリはナチに一日で占領されるのも無理はない。民族性の違いだ、と思った。

 ヴェルッブルブ、アウスブルク、フェッセンとヨーロッパの最も美しいとされるロマンチック街道を花に囲まれ雲に包まれ、青々とした草原の中を通りライン川を行く遊覧船の中、ビールを飲みつつ日光浴をする。陽射しが眩しくゆるやかな風が誘う。何もかもが光に包まれ、うっとりと遊覧船の手すりにもたれかかる。平和な一日だ。公園で子供らが鉄棒をしている。落ち着いた豊かな国、自由な国、それがドイツの印象であった。そういえばヨーロッパを旅しているバックパッカーはドイツ人が多く、彼らは非常にラフな格好をしたインテリゲンチャーであった。また、女の娘らが非常にチャーミングで自由人を思わせる日本女性にはないラフさ、カッコ良さがあった。
 フランクフルトの、百人は入る大ビアホールで泡の盛り上ったジョッキを片手に楽しんでいると、血管の浮き上った赤ら顔の、いかにも元気そうなおっさんが傍へ寄って来て
「お前は、日本人か?昔、日本人と組んで戦争をしたが、あの時きゃイタ公(イタリア人)が居たから負けたが、今度はイタ公抜きでやろうや!」
と、僕に意気巻いていたが、このおっさんイタリア人に何か恨みでもあるのか、イタリア人の悪口ばかり言っていた。確かにイタリア人はヨーロッパでは評判が悪く、欧州人に加えられてない。バックパッカー仲間でも評判は悪く、何でも盗む奴ら、と恐れられている。駅の混雑する中で順番を待って並んで立っていると背中に担いでいるザックをビリビリと切り開き、中の品物を盗んでゆくという。また、イタリアで買い物をすると、お金の代りに、お釣りの分だけアメ玉をくれ、それにイタリア貨幣は三種類もあって、土地によっては通用しないものもあり、それも、ひどいデフレで煙草を買うのに、ぶ厚い紙幣を幾つも用意しなければならない、という。
 このおっさんもビジネス上、イタリア人と何かトラブルでもあったのだろうか、僕にビールをおごり、しきりにイタリア人の悪口を言っていた。そして、昔、あそこまで戦った日本人は偉い、としきりに僕の頭を撫でながら感慨にむせっていた。

 フランクフルトのビアホールに漬かった後、森とクラシックの故郷、サルツブルクへと旅立つ。河と森と紅茶けた瓦はしっとりと濡れ、霧雨の中、僕を魅惑し続けた。
 橋の上、河の辺(ほと)りに立つと何処からか美しいメロディが聞こえてくるようであった。古来の天才たちを生んだのは、この環境であることは間違いなかった。確かに調和のとれた、また精神を落ち着かせる静かな佇みであった。
 後、再び北上するが、ヨーロッパの高いホテル代を避けるため、移動は深夜にて車中で眠るようにした。これも国が遠ければよいが、あまり国境が近寄り過ぎると、一番眠い頃に起こされることになる。国境に差し掛かると、ザァーと黒いコートを着た検査官が乗り込み、「パスポート」「パスポート」と、黒い皮手袋を差し出す。後、荷のチェックをしていくが、僕のザックは汚いのであまり触りたがらなかった。日本人の若い旅行者と同席していたが、車中、偉そうな事ばかり言っていた奴が国境が近づくにつれオタオタしだし、
「俺りゃ ブラックリストに載っているかもしれん。どうしよう。どうしよう」
とか言って何処かへ行ってしまった。




2011年12月12日月曜日

25今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 



 このコアラのようにおとなしい洋ちゃんは山に入ると見事に変身した。じーっと、ドテラを羽織り丸くなってコタツに入りテレビを見ていた男が、突然、強烈なパワーとスピードで登攀する。彼の技量、体力はすさまじく日本人として有数の記録を残している。

 特に氷壁登攀が得意でアイスハンマーで氷を打ち砕いて登ってゆく。何処にこのパワーが潜んでいるのか?と僕らの謎のひとつである。
「洋ちゃんは日頃なるべく動かないようにしてエネルギーを充電してるんじゃないか?」と中野が言っていた。

 その洋ちゃんがもうひとつ変身する時がある。酒を飲んだ時である。
あのおとなしい男が唾(つばき)を飛ばして喋べりまくり、人をつかまえては議論して、絶対自分の意見を譲らない。“ゼロ戦の性能”について中野と議論になり、中野につかみかかったことがある。また、皆んなで花見をした時、かなり飲んだらしく「うぉー」と奇声をあげていた。そしてついに、「おい、山下!お前、俺の目を見たろ!」とか言っているので、こりゃかなりやばいなぁと思っていたらとうとう「うぉー」と膳のテーブルをひっくり返した。皆んな、さっ、と彼から離れるが北さんという先輩が彼をなだめようとしていた。彼も酒飲みである。洋一はついに一升瓶を握ると、「うぉー うぉー」と叫びながら大きく振り出した。と、そこへ、頭を上げた北さんの頭にゴー、ンと一升瓶が当たり、彼は頭を押さえ込んで倒れ込んだ。

ビンが割れなくて良かった。さいわいものである。
僕らの宴会はこのようにすざまじく、いつも怪我人が出ていた。湖畔でやる宴会は水中の大混乱となり、胸までザブッ、ザブッと水に浸りながらつかみ合ってあばれる。焚き火でバーベキュー大会をやれば、またまた大乱闘となり、僕は焚き火の中に突き飛ばされ、髪は焼き縮れ、額には全治二週間のやけどを負い、散々な目にあったことがある。

 街は費用が高いのと、被害総額が大きいので、僕らの宴会はいつも野外で行われていた。
ある雪の積もる頃、宴会をすることになって山奥の、以前から見つけていた、使われてないプレハブの小屋に侵入した。が、そこでも大乱闘となり、「ぎゃぁー」とか叫んで小屋の屋根に飛びついたりしてそれは大変なものであった。翌朝見ると、そのプレハブは散々なものとなり、風がスースーと吹き抜けていた。

 この宴会のすさまじいのは山や特有のようで、宮崎の岩峰の下で毎年、クライマー祭りといって地元の山岳会が主催して開かれる大宴会があるが、これが大変なもので、踊るぐらいなら可愛い方で、一升瓶を握って眼下三百メートルはあろう切り立った崖の上を、「うぉう うぉう」と吠えながらよたる、恐ろしい男も居る。彼らは場が盛り上がると、「よーし 街へ飲みに行くぞ!」と叫んで酔っぱらいの運転する車に乗り込む。ぞろぞろ、乗るは乗るは、トランクに四人、座席に七、八人、人間が折り重なるように乗り込み、窓ガラスに潰され、ぺっちゃんこになった人の顔が幾つも見える。奇術か何か、悪い夢を見ているようである。
恐ろしいことに、このびっしりと重くなった車高の沈んだ普通乗用車は、ずるずるずると街の方へ消えて行った。


この地元のクライマーは猛者ぞろいで、僕らと同じように同年代の仲間が揃っていたが皆、僕らよりだいぶん年上で三十代が多かった。むろん独身ばかりである。彼らの両親がクラブの先輩のリーダーに「器量や頭が悪うでも、なんでもいいから嫁を貰うように言うてもらえんかい」と嘆願していた、という話である。
彼らは土地柄、大変な大酒飲みでそれも焼酎を飲む。僕らが深夜、この岩峰の下の道路に車を乗りつけると彼らが、ざぁーと押し寄せて来て、「一杯やりましょう!」と誘いに来る。
そこで一杯どころか、何杯にもなって大宴会となるのだが、彼らの凄いのは翌朝僕らのテントに来て「おはようございます。向かい酒です。あっちで一緒にやりましょう」とまた誘いに来る。「今日は難しいルートを狙っていたのに・・・飲み過ぎたなぁー」と二日酔いの頭を押さえながら、ビールでもなめるか・・・・と彼らの所へ歩いて行くと、な、なんと、彼らは大きなコッヘルにむらむらと焼酎を波打たせて飲んでいた。

 彼らは朝からこんなに焼酎を飲んで岩を登るつもりだろうか・・・?ふらふらして落ちでもしたらどうするつもりだろう?パートナーも酔っていたら墜落を止めきれまいに・・・と僕の心配をよそに、彼らはガチャガチャと登攀具を付けると「うぃ~っ」とよたりながら岩壁の方へ向かって行った。





ワタの旅と冒険-19(北へ、北へ-3)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 さて、僕はストックホルムの良く整理された公園に居る。今日の夕食はパンとチーズ、それにビールの薫りがするビール。芝生の上に寝っ転がって暮れゆく雲を眺めながら、食っていて、ふと見上げると、コートを着て、シルクハットを被った立派なおっさんが立っていた。

スウェーデン露天

「ジャパニーズ?」
と尋ねるので、
「イエス」
と答えれば、急にニヤニヤして僕の隣に座り込み、辺りをキョロキョロ見廻して。人さし指を口に当てると「シィー」と言って立派なビジネスバックのジッパーを開けた。
 中からウィスキーのビンが出てきた。そして、小さいコップを出すと、ドクドクと注ぎ「一杯飲め」と僕にさし出す。僕は気味悪いので断ると、さっ、と自分の口に持ってきて、深く舌づつみを打つと、何杯も注ぎ、ぐいぐい飲みだした。このおっさんもアル中予備軍らしい。
 僕に「日本人サラリーマンの平均所得は幾らだ?」とか「幾らあれば生活できる?」とか、いろいろ尋ねだしたので、大体の数字を並べてやると、「オー低い」とか「プアー」だとか叫んで自分の事のように嘆くと、僕にスウェーデンサラリーマンの経済、生活事情を話して、そういう貧しい国で働かずにスウェーデンに住め、としきりに進めた。そして何を思ったか、皮の大きなサイフの中から、あら!懐かしい聖徳太子を出した。
「これは、スウェーデンのお金にすれば幾らだ?」
と、おっさんが尋ねるので、換算して答えてあげると、サッと僕に一万円札を差し出した。
 僕はてっきり両替をしてくれ、という意味だと思い、
「ノオ」
と答えると、おっさんは
「ウムー ユーア リッチマン(あんた金持ちだ)」
と、唸るように呟き、グットバイをして立ち上った。
 しばらく、ふらふらした足どりで歩くおっさんの背中を眺めていたが、――――しまった!あのおっさんは俺に一万円札をくれる、といって差し出したのか、貰いそこねた!と気づいて残念がるが、後の祭りであった。
 おっさんはスウェーデン人に比べて日本人サラリーマンが格安で働いているので、僕に同情して一万円札をくれようとしたのであろう。また、今の僕の姿は、乞食予備軍に近い姿でもあったが……。

 スウェーデンから一路ノルマンディの国、ノールウェイと向う。此処には中世の海賊の船やイカダで大西洋、太平洋を横断したコンチキ号の博物館がある。
 この国はスウェーデンよりも豊か、と思われる程、街が整い、いたる所に公園があり、郊外へ行けば、各家々は皆、木造のシックな造りで庭の果断は数々の花で色どられていた。落ち着いた雰囲気のある国である。行き交う人々は皆、ぴしゃっと背広を着て背筋を伸ばし、髭をたくわえた大男が多い。かつて、大海を支配して暴れ廻った海賊の子孫は立派なジェントルマンになっていた。
 シックな博物館を見終ると、この整い過ぎて味気のない街を後に北へ、北へと向った。
 列車は北海のリアス式海岸を走る。窓には黄色い針葉樹ばかり目についた。雲が多く、どんよりとした天候である。霧雨が降っていた。
 この地方は晴天の日が少ない。
 滑らかな花崗岩の岩峰ばかり目についた。標高差もある立派な岩壁である。ルートを目で追いながら日本にこういう岩壁が有ったらなぁ、と幾つも通り過ぎる岩峰郡に目をやるが、この素晴らしい岩壁もこの地特有の雨や雷の多い気候で訪れるクライマーも少ないらしい。

セロトーレ

 長らく海が見えたり岩峰が見えたりしていたが、ボーデーという駅で乗客が皆んな降りて行くので、おかしいなぁ?まだ終点ではないはずなのに……と思いながら乗客と一緒に列車を降りると、海岸に百トン位の小さい船が待っていた。船と言ってもポンポン船である。この船に乗り込むと汽車の次は船の旅となる。
 フィヨルドの内海は静かで滑らかであった。波はない。風に吹かれデッキに立つと、どんよりとした雲の下、海面から岩峰が幾つお聳え立っていた。マッターホルンやドリューのような形をしたものもある。対岸は黄一色針葉樹で埋めつくされていた。
 風は冷たいが快ち良く、「いよいよ、地の果てが近いぞ」と、何か感動を覚え身を震わせた。

 波止場には別の船で到着したらしい列車が待っていた。こうして鉄道と船とを乗り継ぎ、最北端の街、ナルビックへと降り立つ。
 ヨーロッパで知り合った日本人が言っていたが、ナルビックの公衆便所に日本語で“千九百何年一月一日、我、ナルビックに到着せり”と書いてあったというが、一月といえば昼の全くない氷と闇の世界だ。よくぞ訪れたものである。
 とにかく、日本人の根性は大したもので、いたるところに形跡を残しているが、六十年安保で挫折した人間がやけくそで行ったものとしか思えなかった。
 そういえば、やはりヨーロッパで知り合った奴であったが、アフガニスタンで強盗に襲われ、殺されかかったので、靴紐で強盗の首を締めて殺してきた、と言っていた。アラブで人が死のうが生きようが、事件にはならぬが、正当防衛とはいえ、やるもんである。

家と白い山

ナルビックは冷たい街であった。雪が多く積るのか、塔のようになっている建物が多く屋根は鋭角になっていた。河も海も鏡のように固く見えた。子供らが白い息を吐いて元気良く遊んでいた。すべてシックに見える灰色の空の下、白い白い街であった。

 時折、日本人に似た人を見かけるが、モンゴル系であろうか。この、ずっと先の北極海側の対岸にフィン人というモンゴル系の少数民族が住んでいる、という。大昔、モンゴルから大陸を越えて来たのか、それともアラスカから北極の氷原を越えて渡って来たのか、また、モンゴルから大陸を真っすぐ北上して北極圏へ出て氷原を越え、一部はアラスカ一部はこの地へ辿り着いたのか、いずれにしても彼らの行動はすさまじいものがある。アメリカインデアンも元はモンゴル人、という。

 モンゴル人のような顔をして街をうろつくが、人通りが少なく薄着の元気の良い子供たちが走り廻っているだけの閑散とした淋しい街である。冬に近づいていた。白夜から夜ばかりの闇の世界へ近づいていた。午後三時を廻ったところだが、辺りはもう薄暗くなりかけていた。昼が非常に短く人々も冬支度をしている頃である。

船

 宿を探そうとするが、さすがに高い。まぁ山で寝る思いをすりゃ何てことはないと、海岸の荒地に土管があったので潜り込む事にするが、さすがに寒い。山の寒さも厳しいが、此処のは寒いのじゃない、空気そのものが冷たいのだ。息をすると吸い込む息が冷え冷えとして、肺に冷気が染み渡り肺が凍りつくようで寒くて眠れない。土管の中から「おぉー寒い寒い」と、夜の開けかけた海を眺めると、北の海はグレーであった。白々とした空に海鳥が淋しく鳴きながら飛んでいた。まさに最北の海である。この先は氷海だ。思い雲がどんよりと空を覆っていた。
「あぁ、もう帰りたくなったなぁ」
明日もこんな寒い思いをして寝るのは堪えられなかった。それにオーロラは今時期、出にくい、という。
「よし!帰ろう。ミューヘンでビアホールだ」
と、いつものワン・パターンで再びビールを求めて南下する事にした。




2011年12月2日金曜日

24今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 



 この山下、ヨーロッパに渡り在欧の中野とパーティーを組み、アルプスの峰々に挑むわけだが、中野が例のように汚くテント内を散らかし、汚れたパンツをぽんぽん投げ捨て、あげくのはてにテント場をうろうろしていた、山下に言わせれば「臭くて堪らぬヒッピーのような日本人娘」をテントに連れ込んだ。そして、ついに山下はテントを出て、別の日本人パーティーのテントに居候することになった。「夜な夜な、隣であんな声聞かされちゃぁ睡眠不足になる」と言うことであった。

狭い二人用のテントに住み着く女も女だが、他人がすぐ隣に居るのに、遠慮もなく事を行う中野とその女の神経がよう分からん。
 こうして、ぶりぶり言って帰国した山下は「中野は当分日本に帰る意思も金もない」と吐き捨てるように言った。

 僕らはその山下の経営する喫茶“スイスシャレー”へよくたむろするのであるが、落ち着きのない三郎はマンガを読み終わると、僕に「おい、飯食いに行こう!」と誘う。飯を食いに行こうって、友だちの喫茶店に居るのに此処で食えばいいじゃないかと言うと「俺りゃ、同じ所にじっとするのが嫌なんじゃ」と半ば投げやりに言い、また一時(いっとき)して、「おい!コーヒー飲みに行こう」と誘う。僕は何も言わずに雑誌をめくる。落ち着きのない奴め!店に入ってまだ三十分も経ってないじゃないか。

 彼は同じ場所に居て、ある限界が過ぎると貧乏揺すりをしだす。そして何処の店に入っても、さっ、とマンガ本を握る。また山行の列車の中では、ぶ厚い少女漫画を買ってきては一生懸命読んでいる。僕が車窓にもたれかかり缶ビールを飲みながら、流れる風景を眺めぼんやり旅情に浸っていると、三郎がさも同情するような顔をして「おい、読むか?」と言ってぶ厚い少女漫画をバリバリと二つにちぎり僕に差し出す。
「俺はそんなものは読まん」と言うと
「そうか?」「でも退屈やろうー」
と再び、ぼぉーと良い気分でいる僕に同情の目を向ける。

 また、僕らはよく二人で船乗りの洋一のアパートへ彼を誘いに行った。天気の良い日曜日である。山へ行かぬ時は何処かへ遊びに行こうというわけである。が、彼の部屋は薄暗く、彼はコタツに入り丸くなってテレビを見ている。三郎がバタバタと部屋へ入り
「おい!今日は天気がいいぞ、こんなところに居ると腐ってしまうぞ!」と怒鳴るように言うと
「俺は此処でテレビの番をせにゃいかんのじゃ!」とコタツの中で身じろぎもせず洋一が答える。
「えーい!盛り上がりの欠ける奴じゃ!」と、投げ捨てるように三郎が言い返す。

 洋一は日頃はおとなしく温和な男である。あまり動かず
「おい!久しぶりに外へ出ろうと思うんじゃが、世間の人達はどんな格好して歩いとるかのぉ。セーター着て出たらおかしいかのぉー」と尋ねる。
彼は若い頃から船に乗り、休暇の時は山か六畳、四畳半二間のこの部屋に居る。中野の例の居候の後、彼は船に乗るので長らく留守にするこのアパートに幾つも鍵を掛けていた。見送りの時、僕が「おい、洋ちゃん 中野がお前の留守の間にこの部屋に忍び込んで住もうとか言ってたぜ。それか、万国旗やビラビラしたのをいっぱい貼ってモーテル部屋にしたら儲かるなぁーとも言っとったぜ」と脅かすと洋一はこの世の終わりのような暗い顔をした。





2011年11月29日火曜日

ワタの旅と冒険-18(北へ、北へ-2)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1

 ストックホルムにはスペインに負けない立派な城があった。花の咲き乱れるノルマンディの豪華な城で、城壁から見るストックホルムの街はしっとりとして中世の街並みのようであった。城の隙間から夕陽の洩く紅い陽が眩しく鮮やかである。僕は城の庭からストックホルムの街に向って立つ車輪の付いた中世の大砲の中を第二夜の宿とした。

大砲

 街中のカフェーで日本人のヒッピーと出逢うが、彼も日本人が懐かしいのか、しつこく話しかけていた。彼はストックホルムに住みついて針金のペンダントを売っているというが、なんと、年商一千万だそうだ。
「いやぁ 此処はいい所ですよ。若い娘はようけ金持っとるから、オリジナルのペンダントを作ったら飛ぶように売れるよ」
と、言っていたが、スウェーデンは物価が高いから日本の金銭感覚ではいかぬようだ。でも、給与を貰うよりはいいと言う。
「サラ洗いで、月収三十万やろ、でも、その半分近くは税金で持って行かれるし、物価が高いから、結局、日本と同じ位になってしまう。」
と、言っていた。

 所得と物価と税金の高い福祉国家は教育も高き、ほとんどの人が大学を出ていて、公園を掃除しているおばちゃんでも三ヶ国位は喋れた。
 物価が高いので、スーパーへ買い物に行っても、皆高く、桁が違うのではないか?と思える程、物が高い。おまけに酒がない。禁酒国ではないが、配給制でティケットがないと酒は飲めないのだ。スーパーでビールが売っていたが、やっぱり高い。フランスの三倍はする。ぶつぶつ言いながら買って飲んでみるとほとんどがソーダー水で、かすかにビールの薫りがした。アルコール分一パーセントと書いていて、高い缶ビールを三缶飲むと、ほのかに酔ったような、気のせいがした。

老人と子供

 高いホテルを避け、ストックホルムの駅の待合室に座っていた。何人かのおっさんらも並んで座っている。
 真夜中、黒い皮のコートを着た警官がドカドカと入って来たのでびっくりして見ていると、座っているおっさんらの肩を握って強く引っ張った。犯人か、何か?捕えに来たのかと思ったが、僕以外のすべてのおっさんを引っ張った。すると、澄して座っていたおっさんらが将棋の駒のようにドカドカと倒れ込んだ。見ると、皆、白目をむいたり口から泡を吹いたりしていた。泥酔しているのだ。警官はそのおっさんらの衿首をつかむとズルズルと物を運ぶように引いて行った。ヨッパライの取締まりであった。

 この国は、アル中が非常に多いという。高い教育を受けた人達が、どうしてアル中になるのか、というと、福祉が整い過ぎているからだ、と思う。結局、自由な時間の余り、労働しなくても守られる制度があるから、酒を飲むしかなくなってしまうのだろう。それで酒を配給制にしているのだ。
 パプア・ニューギニアがやはり酒に関して厳しい法律がある。午後六時から九時まで開く国営のビアホール以外では飲酒が禁じられていて、また酔っぱらって道を歩いていると逮捕される。だから、ビアホールでウハウハベロベロになっていても九時閉店時になると皆、ピシャッとして両手を振って家路へ向う。スウェーデンとは反対に酒に溺れて働かないのを防ぐ為である。

 原始社会と高度文明社会とは抱える問題は同じであった。結局、法や規制に縛られないと人間は易きに流される、という事か・・・。
 僕も日頃から生活が乱れてくると、断食をしたり友と会わぬよう自分を隔離したり、いろいろと己に規則をつけている。が、どうしても易きに流されてしまう弱い人間だ。



2011年11月24日木曜日

23今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


 彼は、僕ら山仲間には珍しくパチンコや麻雀をする男で、山や特有の神秘性や抽象的な会話を嫌い、僕らが話しをしている時はいつも貧乏ゆすりをしながらマンガを見ていた。
 この抽象性、神秘性のかけらもない三郎と夜間登山を終え、由布岳の頂上で朝食を食おうとした午前五時二十分、僕らの目前にオレンジ色に輝く発光体が現れた。皿を逆さにしたきれいな円盤型で、内から炭が燃えているような強弱のあるオレンジ色を発光していた。こちらから見ると両腕を広げた位の大きさで、かなり前方の空に浮いていた。「うむ・・・?」僕は握り飯を食いながら、突然目の前に現れたこの現象をどう理解して良いものか分からず、「おい!あれはなんじゃ?」と三郎に尋ねる。すると三郎は握り飯をむしゃむしゃ食いながら「ありゃおめぇ、UFOじゃねえか、UFOに決まっとる!」と、さも当然に半ば自棄(やけ)気味に答える。そして素早く「でも俺りゃ信じねえぞ!」と断言した。


「うむ・・・・・」僕は唸りながら身動きがとれずどうして良いものか?と悩む。頭脳がまだついて行かぬようであった。すると、絶対信じないと断言した三郎が慌てて「カメラ、カメラ」とザックをひっくり返してカメラを探していた。そして彼は、「ちぇっ!こんな時にカメラを忘れてきやがった」と舌打ちすると「おい、どうしようか?」と僕に尋ねる。どうするもなにも、眼の前の円盤は僕らを監視するようにじぃーと停止して、僕らは身動きがとれない。背中にゾクッとしたものが走る。何分かこうした睨み合いが続くと、何を血迷ったか三郎が突然、「おーい!俺を乗せてくれ!」と急に叫んで立ち上がり、帽子を握って振り出した。「はっ!」連れていかれる・・・と、一瞬のうちに思った僕は「やめろ!やめろ!」と彼を押さえつけようとする。と、突然、停止していた円盤が、ぱっ、と米粒位に小さくなった、かと思ったら、さっ、と消えた。後には陽が昇ったばかりの透き通るようなコバルトブルーの空が広がっていた。

 一瞬の出来事であった。が、長い時間の経過が感じられた。この日のUFOは目撃者が多く、東京でパトカーがしばらく追跡したとも、翌日の新聞にのっていた。今にして思えば、あの時UFOに乗って行ってたら、さぞかしおもしろい世界が待っていたかも知れないのに・・・?残念なことをした。

 このUFOの目撃に感激した僕はさっそく友人らに話に行く。なにより真実味が高いのは、同じ目撃者が超現実主義の三郎ということであった。
 まず、喜ぶであろうはオカルト好きの山下であった。彼は神秘性を絵に画いたような男で、家にはそのたぐいの本でびっしりである。さらに彼の変わっているのは、いろいろな宗教を転々とすることで、仕舞いには自分の宗教を創らないと気が済まないようであった。彼も僕らと同年代のクライマーであったが彼は宗教遍歴の間、その空白期に観念がどうかなるのか?また、凄いパワーが出るのか?素晴らしい登攀をする。不思議な力を持つ男である。
 彼は小さな喫茶店をしていたがUFOが大変に好きで、店が終わると「今日は出そうだから」と言ってオートバイに跨(またが)りバタバタバタと月を背に一人山の方へ向かって走っていた。その彼の店“スイス・シャレー”に下山後さっそく三郎と駆けつけ「おい!出たぞ、UFOが出たぞ」と僕が興奮気味に叫ぶと、彼はうつむいてコーヒーカップを洗いながら、こめかみあたりをピクピクと震わせると「何処で出たの?」と平静を装い、小声で尋ねる。
「由布岳の頂上から見た!」
「どっちの方向?」
「海の方向や」
「それなら十文字原の上空だな」
「そうかな・・・」
と僕が答えると、彼はチャプチャプとコーヒーカップを洗い続けながら下をうつむき
「ああ、あそこはよう出るんよ」
と何事もなかったように答え、キュッキュッとカップを拭きながら棚に直し込む。その横顔の目はキラキラと輝いていた。






2011年11月10日木曜日

ワタの旅と冒険-17(北へ、北へ-1)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1

 そうそうたる姿となって、文明の地へ辿り着く。懐かしいタンジールの街、此処はリゾート地だ。白人も居る。カフェーに入って、
「ウ、ウナ セレベッサー(ビ、ビールをくれ)」
と、念頭の言葉を吐くと、砂漠の乾きを癒し、埃を洗い流した。
 再びヨーロッパ大陸へ渡った僕はマドリッドでしばらく静養した後、今度は一気に北上する。サハラの次は北極圏でオーロラを見よう。南の地の果てから、北の地の果てへと極地旅行だ。ヨーロッパの街並みは後々の楽しみとしよう。
 TEEを乗り継ぎ、知らぬ間にズンド海峡を渡ると、ストックホルムに着く。チャップマン号という海上に浮ぶユースホステルに泊りたかったのだ。
 街の中心に浮ぶ白い豪華な船体は、すぐ目についた。案の定、バックパックを担いだ旅行者が多く、皆、ざっくばらんな格好をしていた。若い女性が眩しく、船内に入ると部屋が狭く、客も多かった。アフリカ帰りの僕は異様な臭気を発し、服もザックも乱れに乱れていた。この、あまりの姿に日本人の品位をそこなわぬよう、人に迷惑をかけぬようにと泊るのを断念して野宿をする事にした。

帆船

 僕は、団体的なユースというのが、あまり好きではなく、ホテルも高いせいもあり、旅行中、利用した事が少なかった。ほとんどが車中か、野宿であった。眠ってしまえば、意識不明になり、わきゃ分からん、豪華なベッドで寝ろうが、草の上で寝ろうが、眠ってしまえば同じだ、旨いものを食った方がいい、というのが僕の哲学であった。
 この哲学も眠ってしまうまでが大変で、寝袋に入っていても寒い、寒くて眠れないかもしれない、とビールを沢山買ってくる。段々酔いが廻ってきて暖まってくるが、明け方、酔い覚めと同時に震えながら眼を覚す。
「寒みぃなぁー、寒みぃなぁー」と、膝を抱え、犬に吠えられながら淋しい思いをする。結局、睡眠不足となる。ビールやつまみを買う金はホテル代と変りなく、修正が必要な哲学であった。




2011年11月5日土曜日

22今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。


 ある時、僕らが他の山岳会の女の娘らと山へ行って大きいテントの中で宴会をすることになった。そして皆んなでわいわい言って盛り上がっている最中、一人さぶちゃんが寝袋に入り薄暗いテントの隅で寝ていた。変わった奴だなぁ・・・?皆んなで楽しくやれば良いのに・・・と思っていた僕は翌日彼に「おい、昨夜は楽しかったぜ、どうしてお前一人だけ暗い隅で寝とったのか?」と尋ねると「いや、俺はあの娘らに、影のある暗い男のイメージを植え付けようとしているんだ!」と真面目な顔をして答えた。
 今度は、何日かして、その娘らと街の料理屋で宴会することになったが、その時は彼は忙しくもないのにそそくさと送れて来て、一人ベラベラ喋りまくると腕時計をカッ、と睨んで「失敬!仕事があるので」と言ってまたそそくさと出て行った。
僕は、夜中になんの仕事があるのか・・・?と思ったが、うむ・・・今回は忙しいビジネスマンのイメージを植え付けようと思ったのかなぁ・・・?さぶちゃんも大変だなぁとつくづく思いながら酒を飲んでいた。

 このさぶちゃん、やることはテキパキと早いが車のスピードも速い。
ボロ車を売っぱらうと、年がいもなくナナハンの単車を買ってビュービュー飛ばしだした。そして当然のようにスピード違反となって免許停止となるが、日本の警察をなめとるのか、しぶとく運転してさらにつかまり免許取り消しとなった。これで反省した三郎はもうハンドルを握るのをやめたと言っていた。が、ある時、友人の車へ乗せてもらい、スキーへ行って、どうもエンジンのかかりが悪いというので「どれ!俺に貸してみろ」とハンドルを握りようやくエンジンがかかったと思った瞬間、すうーとパトカーが横付けされ、「免許証?」ということになり、彼はかなり長い年月免許を取る資格を剥奪された。
 彼には実印のたたりが掛っており、あの日本聖印のセールスマンの話を聞かなかったものと思われる。
 僕がスピード違反で免許停止になったとき、クラブの後輩が「和田さん、何をそんなにしたら免許停止になるのかい?」と嬉しそうに聞いていたが、三郎の時は何も聞かなかった。
こうして彼は当分の間、ぴしっと整髪してネクタイをしめ、女の娘らの視線を意識しながらバスに揺られ、新しい勤め先の歯科医院へ通うことになった。


                     23~42へ続く ● ● ● ⇒ 









2011年10月20日木曜日

21今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 



このスキーの件でも分かるが、彼の憧れに対する行動力はすさまじいものがあった。
僕らがよく行く宮崎県の高千穂の山奥に村の分校があった。ここは岩峰へ行く途中の道沿いにあるが、ある時、遠くの校舎の中に髪を三つ組にした若い先生らしい姿が見えた。白いブラウスを着た、いかにも清楚な感じの女性で会った。それを見た僕は「あっ!学校の先生や、いやぁ『二十四の瞳』みたいでいいなぁ・・・」と呟くと、三郎も覗き込んでいたが彼は視力が弱いのでよく見えず「くそ!よう顔が見えん!」とぼやいていた。
それはそれで済んだが、次の週、またこの道を通る時三郎はキィーと車を止めると「おい!学校の先生、先生」と言って双眼鏡を持ち出した。「おおっ!すごいなぁ、お前それ買ったんか?」と尋ねると「買った!」と力強く答え双眼鏡で一生懸命学校の中を覗いていた。
 再び次の週その道を通るとバッと車を止め、「学校の先生、学校の先生」と言って今度は二百ミリの望遠レンズのカメラを持ち出した。「おおおっ、お前、そんなの持っとったか?」と尋ねると「この時のために買ったんじゃ、これで学校の先生を撮るんじゃ!」と張り切っていた。三郎は一眼レフの立派なカメラを持っていたが、例の雪崩れの時なくしたのである。
 あの時、彼は谷の端の方でカメラのフィルムを入れ替えていたので流されずに済んだ。その彼の目前を僕らがザァーと流されて行ったわけだが、びっくりした彼は首から下げていたカメラをわざわざ外して、目の前の岩棚に置いて僕らを追って下降したのであった。むろんそのカメラは不明であるが、見つかったとしても雪で濡れ使いものにはならないだろう。彼の行動にはよく分からないところがある。
 さて、この学校の先生の居る小学校で村の盆踊り大会が開かれることになった。丁度登山に来ていた僕らは、この奥深い渓谷の山村でおそらく何十世紀もこの村に伝わるであろう天照大神を、天(あま)の岩戸から呼び出した時のものであろう遅いテンポの踊りを村の人達に教わりながら踊った。憧れの学校の先生は居なかったが、村の人達から地酒をほおむられ、僕らは訳の分からぬ踊りに夢中になった。大分羽目を外し過ぎたのか翌日、岩登りの帰りにその学校で水を飲んでいると村の人が、「今日は盆踊りはねえぞぉ!」と言って僕らを睨んでいた。

 三郎は足は短いが、顔立ちはなかなか整っていて女の娘にもてそうであったが、実態はそうではなかった。
 女の娘を意識し過ぎるのではないか?と思われるほど彼は女の娘の前に出ると見事に変身した。彼は女の娘と話す時、いつものさばさばした投げやりの語調から急に、「それでさぁ、僕がねぇ、そうなっちゃうんだよ!」と気味悪い声を出す。一言一言丁寧に喋るものだから女の娘も緊張して会話も途切れがちになる。彼は東京に居たわけではないのに、突然テレビのチャンネルを変えたように東京弁になるので、「おい、さぶちゃんは東京に居たこと
がないのに東京弁がうまいなぁ、どうしてだろう?」と船乗りの洋ちゃんに聞いてみると、アパートでテレビの番をしている彼は、ぼそっ、と「そりゃおめえ、テレビを見て毎日練習してるんじゃねえか?」と言った。






ワタの旅と冒険-11 ~14,アラブの写真を追加しました。

ワタの旅と冒険-11 ~14,アラブの写真を追加しました。












2011年9月29日木曜日

Gallery-3

イカロスマン

月とセロトーレ

小舟

街角

プチドリュー 版画

岩山

木箱1

木箱2

燃える瓶

 造形シルバー


物言わぬ面

プチドリュー版画台

前のページ 次のページ


2011年9月26日月曜日

ワタの旅と冒険-16(砂漠の果ての-5)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 再び窓のないバスを乗り継ぎ、ラジオから流れるコーランと砂丘の夕陽に酔いながら、ひたすら冷めたビールを目指し、北上してようやくの事で、地中海沿岸まで辿り着けた。此処まで来れば汽車がある。「オンリーサンデー」じゃなく、日に二本は走るキラキラのレールがある。
 ところが、この列車が、また騒然たる列車で客席は満員だし、外人部隊みたいな兵隊が屋根の無い貨物の荷台の車両にぎっしり乗っている。もの珍しげに僕を見ると
「チャイナ、チャイナ」
と、声をかける。
 車内にはよく、こんなに乗せるものだと、びっくりする程、人が乗っている。屋根の上にも居るんじゃないか?贅沢に汽車など乗らずにラクダにでも乗ってりゃいいのにアラブ人め、と、ぶつぶつ言いながら通路で髭の生えたおっさんに折り重なるようにうつらうつらとしていると、駅に着くたびに、わぁわぁ言いながら俺を踏みつけて人が降りて行く。そして、またわぁわぁ言って人が乗って来る。もう、乗って来るなってえのに!まったく騒がしいといったらない。ちょっとは黙って歩かんか、と思いながら耐えしのんでいると、夜になってようやく静かになった。
 夜中、寝返りをうって、ふと見ると、目の前に金が落ちている。七千円位あった。
「ケッ、アラビア人も、せこいようでぬけとるわい」
 だまあみやがれ、と、札をごそごそポケットに仕舞い込むと、急に気が晴れて安らかに眠った。朝、目が覚めても、昨夜の拾いものが嬉しくて、にこにこしながらポケットの金を数えてみると、僕の金が七千円程足りない、「おかしいなぁ。何処かに落したのかなぁ…?」と、考えてみるが、どう考えても昨夜の金は僕の金のようであった。






2011年9月21日水曜日

20今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


 彼のこの物をなくす、というのはキイだけじゃなく、実印も両手一杯に持っているという。おそらく通帳か印鑑証明のいる時々に探しきれず、実印を作るのであろう。そして、後で探したら出てくる、というパターンが続き、実印が両手一杯になったものと思われる。
 ある日、僕のうちに日本聖印という印のセールスマンが訪れて、占いをしてくれる、といので暇だったからいろいろと占ってもらっていた。彼は、人間の運命や一生は実印の印相に影響する、といって彼もそれを真剣に信じているようであった。
「俺りゃ、以前は象牙の立派な印鑑を持っていたが、以前、遠方から友人が訪ねて来るので銀行へ預金を下ろしに行って、二人で飲みに行ったが、翌朝気づいてみると、預金通帳もその印鑑も何処かへほったり投げてなくなっていた」と言うと、彼は真面目な顔をして「うむー、実印をなくしたんですか・・・・まずいですねぇ・・・・その頃何か悪いことはありませんでしたか?」と深刻な顔をして言うので「そういえばあまり良いことはなかったなぁ・・・」と呟くと「やっぱり!」と彼は自信ありげに頷き「それから実印をつくりましたか?」と尋ねる。「ああ、印鑑証明がいるんで、また、なくすともったいないので市役所の前で千円で作ってもらった」「それを今持ってますか?」「いや、欠けて半分しか写らなくなったから河へ捨てた」と答えると、印鑑屋は顔を真っ赤にしてびっくりすると「えっ!?欠けた!河に捨てた!」と聞き直した。僕はよほど悪いことをしたように言われるので、「いやぁ、僕の友だちなんか実印をこんなに持ってるよ」と両手を広げて膨らませると、彼はさらにびっくりして、「え、えっ!?実印を両手いっぱい持ってる人がいる?」と驚嘆した。そして「そ、その友だちの家を教えて下さい。彼はきっと不幸になる。あなたも友だちなら彼を救うと思って彼の家を教えて下さい」と必死で僕の腕をつかみ迫った。

 確かにこの頃、彼はヨーロッパ遠征へ行くため、歯科医院をやめ仕事に困っていた。彼のように山へ行くために何度も長期休暇をとり、あげくの果てにやめていったのでは、どこの歯科医院もなかなか受け入れてくれなかったのである。
 また彼はこの頃、同じクラブの産婦人科の医師と二人でヒマラヤ遠征を計画していた。間違ってうちのクラブに入った産婦人科の先生を三郎は、「この人は××××の先生です」と言って人に紹介していた。そして、このヒマラヤ遠征の費用を稼ぐため、彼は兵庫県の車両メーカーへ季節労働者として出稼ぎに行くことになった。しかし、彼はこの頃、あの捻挫以来のスキーに凝って関西近郊のゲレンデへよく出かけるようになっていたのでなかなか金も溜まらなかったようであった。
 それでも、ようやく溜めた金五十万を持って大阪の登山・スキー専門店へ行くことになった。彼はヒマラヤで履くコブラックのプラスチック靴や厳冬期用のウエアー装備一式を買いに行ったのである。コブラックというのはフランスのメーカーの名前で、当時、プラスチック登山靴では超一流のメーカーで、またこのコブラック社はスキー靴やスキー板のメーカーとしても超一流である。
 こうして彼は汗水流して働いて溜めた金を持って、「コブラック、コブラック」と呟きながら店へ入った。が、店を出てきた時はコブラックのスキー靴とコブラックのスキー板、その他高級なスキーウエア一式を持っている己れに気がついた、という。
 こうして、彼のヒマラヤ遠征は宙に飛び、トレーニングに励んでいた××××の先生も呆れてものが言えなかったという。




2011年9月20日火曜日

19今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


雪の降る寒い夜であった。雪が音を吸い、完璧に近い静閑さが襲っていた。三郎と二人でテントの中に入っていたが、あまりにもシーンと静まりかえっていたので、僕は彼を脅そうと、「おい、この辺りは幽霊が出るらしいぞ」と言うと「おっ!上等じゃねえか!二人で淋しかったから話相手になるじゃねえか、それに女だったら押さえ込んでやっちゃろうじゃねえか!」と、ひとつも驚かない。「お前、足のない幽霊とどうやってやるのか?」と僕が尋ねると「足がなくても股ぐらいはあろう、えっ!股ぐらいは、股さえありゃ良(い)いんじゃ!」と投げ捨てるように言う。僕は何も言わずごそごそと寝袋に潜り込む。小雪の舞う寒い寒い夜であった。

 彼はまた気性なのか、車の運転も乱暴で、彼と車に乗って山へ行くと、ビュンビュン飛ばし、雪道で車が二回転したこともあった。また、若いギャルの乗った車があると、「幅寄せ、幅寄せ」と言って、子供みたいな真似をする。
彼の乗っていたカローラはさんざんなもので、単なる道具としか思われてなかった。また彼はよく車のキイをなくす男で、行きつけの登山用具店の駐車場で車のキイをトランクに締め込むと、彼はその店から「ドリル、ドリル」と言ってドリルを借りてきて、トランクに「ドドドド」と穴を開け、トランクを開けてキイを取り出すとその穴と車体とを紐でくくり、バックン、バックンとうるさい音を立てながら走り去って行った。
このキイをよくなくす男は、山奥の岩峰へ言ってもまた車のキイをなくし、山奥の本当に山奥の、普通の車が入れぬ所までJAFを呼んだ。呼ぶ三郎もたいしたもんであるが、あそこまで来るJAFもたいしたもんである。



2011年9月17日土曜日

18今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 



 彼は登攀技量はあるが、そのさっぱりし過ぎる諦めの良さで一緒に登攀をしていて戸惑うことがある。彼がトップで登っていて、ちょっと握っている岩がバキッ、と欠けたり、ハーケンの数がたりなくなったりするとすぐ、「おい、帰るぞ!」と言いスルスルと上から降りてくる。雪山でサァーッと吹雪に巻かれると、「おい、駄目だ、帰るぞ!」と諦めが良い。彼には中野の粘着的性格を少し分けてもらう必要があった。が、用心深いのや臆病というわけでもなかった。ただ、めんどくさいことが嫌いなだけであった。実際彼は非常に度胸が良く、無茶をしながらどんどん登攀を続けた。よく、今まで生きていたと思われる程である。
そう言えばヨーロッパのキャンプ場の日本人で彼より無茶苦茶をする度胸の良い男が居た。ある難しい岩峰のルートは、クラック(岩の割れ目)を使って登っていくルートなのだが、丁度その頃、寒波が来てクラックの中には雪や氷がびっしり詰まっていて、クラックに手を突っ込んで登れなかった。が、その男は登攀に行くと言う。
「やめた方がいい、クラックには雪氷が詰まっていて登れない」と皆んなで止めるが「いや、手を突っ込んで雪や氷をかき分けて登って行く」と言うので、皆んなが「そんな無茶な!指が凍傷になってしまう」と叫ぶとその男は、落ち着いた口調で「あのなぁ、指の一本や二本、切り落とさんで山なんか登れると思えるかい」と言った。彼の目は座っていた。もう誰も彼を引き止めはしなかった。世の中には度胸がある、というか恐ろしい男もいるものである。

この男のように一人で死にに行く人間は別として、登攀を行うときは大抵、最低二人のパーティーを組んで登って行く。難しい箇所などはザイルに鈴なりとなることもあるが、二人の方がザイル操作も簡単でスピードアップ出来ることもあって、大抵二人パーティーで何組か組むことになる。
この場合、トップの先導者が両手両足を使って岩を攀じって行くのだが、安全ベルトにつながったザイルをハーケンの輪っぱに掛けてゆく。ハーケンは釘のようなもので、岩の割れ目に打ち込んでゆくのだが、既存のルートでは岩肌に打たれてある。もし墜落した場合、岩肌にしっかりと打たれたハーケンにザイルがひっかかり、ザイルにくくられた身体が止まるという仕組みで、難しい箇所には多く、易しい箇所には少なく打つ。または打ってある。
トップ(先導者)が墜落した時、ショックは大きく、セカンド(二番手)はしっかりとザイルを握りしめ、トップの墜落を阻止する。この場合、彼を憎んでなければの話だが・・・。
トップが無事、四十メートル、ザイルが伸びきるまで登ると、次にセカンドが登るのだがこの場合、ロープを握って登ると思っている人が多いが、それはリポビタンDのコマーシャルの話だけのことであって、実際はトップと同じように、両手両足で岩をつかんで登って行く。ただ、この場合、トップと違うのは墜落した時、トップの場合、ハーケンとハーケンの距離の分だけ墜落距離があるがセカンドの場合、トップがすかさずザイルを握るのでセカンドは身体が、ずる(・・)、ぐらいで済む。



このように同じ登攀をするのにもトップの方が危険性が高く、またルートを探す、というふうに頭もかなり使うが、緊張感、冒険心は満たされることになる。




2011年9月11日日曜日

ワタの旅と冒険-15(砂漠の果ての-4)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1



 小さい街にはホテルも無く、野宿、野宿で進んだ。太陽は真赤に膨れ、ギラギラとした光を浴びせていた。暑い。ザックの中には羽毛服とか、羽毛の寝袋が詰まっているが、この陽のガンガン照りつけ、クソ暑いときに、なんで羽毛服を担がにゃならんのか、と腹が立ってくる。おまけに、めちゃくちゃ乱暴するもんだから、腕の縫った傷の跡がほぐれかかって痛んだ。
 さて、その日は砂漠を歩いたあと、サバンナかステップの木の陰で眠った。砂まじりの風が吹くので、砂粒が荷や身につかぬよう、頭の所に黒いコウモリ傘を立てて、寝袋で眠った。夜明け頃の心地よい夢を見ていた時、ふと、何か?気配がするので、「はっ!」と眼を覚した。すると、髭を蓄えた山賊のおっさんの顔が息がかかるほど近くにあった。眼をまん丸にして僕の顔を見ていた。手にはしっかりと傘を握っていた。一瞬、沈黙が流れ、お互いのびっくりした眼をみつめ合っていた。僕は何故、目の前にアラブ人の顔があるのか考え、おっさんはおっさんでザックに手を伸ばすべきかどうか、考えていた。眼を見合っていた時間は、どの位だろうか、僕は寝袋に入っていて手も出せないから、思いっきり口を開けると、「ワォー」と叫んだ。すると、おっさんおまん丸になった眼がさらにくわっと見開いて、びっくりして立ち上ると、土を蹴って、もの凄いスピードで傘を握って走り去った。砂漠が上る。傘を持っていくところが根性である。
 ヨーロッパのユースホステルでは、ただ泊りのヒッピーのプロが居るらしく、夜、店の親父が客を数えに行くと、一部屋に必ず二、三人は多い。「こら!」と怒鳴れば彼らも慣れたもので、さっ、と飛び起きると、開けておいた窓から忍者のように消えていく。この時、皆、それぞれ掛けておいた毛布をしっかりと握っていく、という。

 なんとかかんとか、 れ果てた道を辿り、サハラの砂風に吹かれ田舎のアラブ人に迷惑をかけ、進む。僕の姿は陽焼けと、埃で、さらに異様な姿となっていた。言葉は全く通じず、しばらく人と話してない。ガラスの無い窓から風に吹かれ、ずうーっと遠く、落陽で紅く染る地平線を眺める。会話のない淋しさか、一人、童謡を口ずさみ、故郷のガールフレンドの顔など思い出してみる。
「此処は地の果てアルジェリア……か、冷たいビールを飲みたいもんだ」
 マドリードのカフェー、泡を吹くビールが目の前をチラチラした。
「北上だ、北上!禁酒国はもう、ええ」
と、地図を広げると、鉄道が走っていた。
「こりゃ早い、汽車だ、汽車だ」
と、今度は西に進むべくバスを乗り継ぐ。目標は駅のある街、アバドラ。
 やっと辿り着いた駅のある街。
「ガーン!」と、勢い良くドアを蹴ると、昼寝をしていた駅員がびっくりして眼を覚す。
「時刻は?」
と、ニタニタしながら汽車が走る真似をして腕時計を指さすと、おっさんは、しばらく、きょとんとしていたが、意味を飲み込めたらしく、座り直すと、人さし指を一本立てて、横に振り
「オンリー、サンデー(日曜だけね)」
と言った。
 今日は確か、火曜日のはずだぞ、ぐらぐら、と頭にきた僕は
「何がオンリーサンデーだ、一週間に一度しか汽車が走らんかったら、砂でレールが埋まってしまうぞ、クソ、アラブ人め!」
と、日本語で怒鳴りちらした。何人と、いいかげんな国か!




2011年8月26日金曜日

17今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 



 そこで、中野の留守の間、たびたび登場する他の友人の話になる。

 大田三郎、やはり僕らと同じ齢である。僕らの登山仲間、クラブには同じ齢がたまたま偶然寄って来たが、学生の頃の同窓生ではない。
 三郎は同じ齢ではあるが、この仲間うちでは一番生まれた月が早いので、実際には一番年上ということになる。が、彼は非常に若ぶりで、なす事すべて若い。そして、少女趣味である。そこで僕はよく知りあいの女の娘らに「さぶちゃんは僕より齢上なんだぜ」と言うと、皆必ず「えっ!?うそぉー」と信じられぬ顔をして頭を伏せて滑り転げる。
それ程若ぶりである。しかし、若干僕が老け過ぎの傾向もあるようだが・・・。

 三郎は三番目に生まれたから三郎と言い、それ以上の深い意味は俺にはない、と言って威張ったり嘆いたりしていた。
 非常にさっぱりした諦めが良すぎる性格である。また、落ち着きのない性格でもあった。
 彼は歯科技工師をしているのだが、よく、落ち着きのない男がああいう細かい仕事が出来るなぁと彼の職場の技工室を覗いてみると、頭にバンダナを巻き、ラジオを聴き、ガタガタ貧乏ゆすりをしながら入れ歯を作っている三郎が居た。足があれ程ガタガタして、どうして手が揺れないのか?と僕はいつも不思議に見ていた。
 また、彼は祭りが大層好きである。ある時彼の勤める歯科医院の近くで、子供らが、チキリン、チキリンと太鼓と笛を鳴らして祭りの練習をしていた。ところが彼もチキリン、チキリンと身体を揺さぶりリズムをとりながら入れ歯を作っているものだから、何度も何度も失敗して「ちくしょう!」と次々と失敗した入れ歯をゴミ箱にほうりこんでいた。こうして祭りが終わる頃は、ヨレヨレになった三郎が居た。これを恐縮がった歯科医院の奥さんの好意で、その次の年からは町内の祭りに参加出来るようになったという話である。
 彼は何度かヨーロッパ遠征をし、ついにこの歯科医院をやめてまで遠征に出掛け、名のある山郡の幾つかを登った。彼は落ち着きがないが、バランスの良い名クライマーである。
 ある、天気の良い日、他の山岳会の人らと登攀することになり、僕と他の人、彼と他の人と言うふうに2パーティーで、僕と彼がトップ(先)に行き、他の二人をリードすることになった。なかなか難しいルート(登攀経路、道筋)で、ルート自体も入り組んで、ルートを探すのが難しかった。僕もだいぶん頭を悩ませながら冷や汗もんで登り、やっと困難な核心部を過ぎ「ほっ!」としたところで、後発パーティーの三郎が下から「おおーい、みつる!この樹からどっちに行くのかぁー?」と吹き上げる風とともに叫ぶ声が聞こえて来た。そこで僕が「そこは適当に行くんじゃー!」と上から叫ぶと「分かったぁー!」と下から声がした。僕とパーティーを組んでいた他の山岳会の人は、呆れた顔をして「大丈夫かなぁ・・・?」と下をながめていた。


本人が行き詰っているからルートを教えてやるのが本当だが・・・このすかさず、「分かったぁ!」と叫ぶところが三郎らしいところである。聞いた俺が馬鹿だった、と後で言っていたらしいが・・・僕は彼の技量なら、教えずとも登れると思ったから適当に言ったまでのことである。




ワタの旅と冒険-14(砂漠の果ての-3)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1



 夕刻前、断食中である彼らは街の広い何百人は入れるであろう大食堂に集り陽が沈むのを待つ。二、三時間前から集ってお茶を飲み、腹を空かして待つ。
 ふと、入った、この店でその事を知り、回教徒でない僕は大食堂の真ん中に座ると、メニューを見て「あれじゃ、これじゃ」と注文する。コックが奥から覗いていたが外国人だから―――――と食事を作る。
 次から次へと運ばれてくる御馳走に何百人かの視線が集る。香りがたち込め、腹の鳴る音がする。
「ああ、うめえ、うめえのぉぉ」
と、舌を打つ。子供が傍へやって来るので何かあげよう、とするが慌てて母親が連れに来る。ぐっ、と視線を感じながら食べる味はまた、格別である。「ざまぁみやがれ!」

 ずい分長く滞在したカサブランガを後にサハラ砂漠、アルジェリアへと向う。あてにならないバスを乗り継ぎアルジェリアとの国境近くへと来た。アルジェリアは社会主義国なのでビザがいるが、この街でビザの手続きが出来る、と聞いたからだ。が、なめくじのような字の看板を見ても何の建物かちんぷんかんぷんである。うろうろしていると、ダーバンを巻いた小柄なおっさんがやって来て、「ビザ、ビザ」とさかんに言っている。ビザの手続きをしてくれるビザ屋のおっさんである。アラビアの生活ですっかりせこくなった僕は、おっさんに何の書類は此処でもらい、写真は此処で取ってペタンと貼って此処に出す、と場所を教えてもらい、「ありがとう、後は自分でするわ。」と、言うと、おっさんは両手を上げて頭をかかえ込んでいた。



 アルジェリアはモロッコの快楽的、堕落的生活よりは少しは締った感じがした。人々の目も働いている目である。
 アフリカ大陸を南下する窓の無いバスに乗り、土煙りを顔に浴びながら進む。到着地で乗客が運ちゃんとワイワイやっているので、「何か?」と思ったら、屋根に積んであった荷物が半分近く無くなっていた。
 この地では荷は全部バスの上に乗せるようになっていて積み上げてロープでくくるのだが、そのくくり方というのが、またなんとも頼りない、「ありゃ あかんぜ、ほどけるぜ」と、思った僕は、別料金を払いザックをしっかり抱きかかえていたが、案の定、荷を砂漠に蒔き散らかしながら走っていたわけである。





頂

頂(いただき)
  1

ようっ  と

振り返る

さっきまで居た頂

正午の近世と並ぶ



  2

のび上がると

山

ずっと 下を向き

頂を目指す

足下は一直線

花は見えない






2011年8月25日木曜日

16今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


 彼らはこの頃、トレーニングに、猿の高崎山のゲレンデ(ロッククライミングの練習場)へ通っていたのだが、此処には猿の糞が大変多く、当然、登攀具やザイルにも付いている可能性は高い。このピカピカの高級レストランで、プーンと猿の糞の匂いがしたり、上品ぶった御婦人のハイヒールでも付いたりしたら此処の綺麗好きのマスターは何回も「ノォー」「ノォー」と声を張りあげ、叫ぶであろう光景であった。
 また、僕らが近郊の山で知り合った他の山岳会の女の娘らと話していると、その中の若い娘が布団会社の事務員をしていると言っていた。そこで、突然中野が、「それじゃシーツとか、いっぱいあるでしょう?」と尋ねていたので、ふーん中野はよく知っているなぁ、俺りゃ布団会社には布団しかないと思っていた、と感心していると、今度は「余ったのは有りますか?」と身を乗り出して聞いていた。は、はーん、病院のベッドで白いシーツの味をしめたのでタダで貰って、あの女郎布団にでも敷くつもりだな、と素早く僕は察しした。
 女の娘は、何故、山でこういうことを聞くのか?不思議そうな顔をしていたが、「余っているのは無いですが傷が付いたり、汚れたりして商品にならないのはありますけど・・・」と言うと、すかさず中野がさらに身を乗り出し「それ、貰えます!」と言うので、女の娘はいけないとも言えず口ごもりながら小さく「え、ええ」と呟いた。
そして、次の月曜日、彼女の職場に中野が現れた。
 彼女は慌てたが、なんとか上司に頼み、傷もののシーツを一枚わけてもらうと中野に手渡した。

 また、僕らが毎週のように通っていた宮崎の岩峰郡の所に見晴らしの良い展望台がある。観光客のよく訪れる展望台である。そこで中野がパンツ一枚のうっとうしい格好でうろうろしていると、人の良さそうな壮年の夫婦と娘がやって来て、展望台から見える突きとんがった岩峰を指して「やぁ、凄いですねぇ!あれを登ったんですか?」と中野に話かけると中野は胸を張って下唇を突き出し
「いやぁ、あんなものはどうってことない、大した岩峰じゃないですよ、あんなものは」と威張って、登っているクライマーが見える岩峰のルートを説明していた。彼らは「何処から来ているのですか?」と尋ねたので中野は「大分です」と答えると「それは遠い所から大変ですねぇ、うちは延岡の先の国道ぞいですから帰りにでも寄って休んでいかれたらいかがです・・・・」と軽い気持ちで言った。
 そして、中野ら仲間数人は、観光から帰り、我が家でほっと息を吐(つ)いている親子を襲った。
 こうして、日本に何の用事も仕事も女も無く、有るのは湿った四畳半の世界だけとなった中野はヨーロッパへ渡り、日本から訪れる友人らとパーティーを組み、また、現地の日本人クライマーらとパーティーを組んでヨーロッパアルプスの名だたる岩壁を狙うことになる。夏のシーズン以外はパリで鳥をさばいたり、さまざまなアルバイトをしながら丸四年間、日本に帰ることなく帰る旅費も理由もなく、ひたすら一人、異国の地で文明人に迷惑をかけ、
日本人の名を辱しめ大体の想像はつこう生活を、花の都パリで暮らす。
 その間、僕らは平和に、また少し退屈に暮らすことになる。彼のくわしい消息を知る者はいなかった。が、誰も彼を心配しなかった。





2011年8月17日水曜日

15今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


 中野の脳細胞は一体どうなっているのか?一度覗いてみたいと思っているが、どうも奴には“恥かしい”という観念と“冗談”という観念がインプットされていないような気がする。冗談みたいな人間に冗談が通じないというのもおかしな話しであるが、本当に彼の頭脳の当用漢字辞典には“冗談”という字は載っていないのである。だから彼に冗談を言った人は思わぬ目に合うことになる。むろん世間上の社交辞令も禁句である。
 ある登山の先輩が、夫婦仲が悪いのか、何か猥談をしている時、中野があまり目の色を輝かせるので、女性に不自由している中野に向かって、「中野、お前そんなに困っているならうちの女房をいつでも貸してやるぜ」と冗談で言っていた。
翌日、仕事を終えた先輩が自宅で風呂に入りビールを飲んでくつろいでいる夜半、「ピン、ポーン」とベルが鳴って中野が訪ねてきた。先輩は「こんな夜半に、なんだろう?」と思ったが、わざわざ訪ねて来た中野を玄関に入れると「まあ、ビールでも飲め!」と言ってコップを差し出す。中野はビールを飲みながら流し目で
「奥さんはどちらですか?お風呂ですか?」
「子供はもう寝ましたか?」
と、家の中をキョロキョロ見廻している。先輩は「はっ!?」と昨日の自分の発言を思い出したが、「まさか・・・?」と思い直し、中野にビールを注ぐが中野の目はあまりにも血走っていた。
 こりゃいかん!奴は昨日のことを本気にしたと察した先輩は、奥さんが風呂から出てくる前に慌てて彼を帰らせた、という恐ろしい話である。
 また、山下というオカルト好きでやはり同年代の友人が、街中の綺麗なレストランへ勤めていた頃、山へ行くのにそのレストランの前で待ち合わせをしていたのだが、冬の寒い中、中野が開店前の鍵のかかっている店の前に立って待っていたので、次の待ち合わせの時、
 「寒いから中へ入って待ってていいよ」と店の鍵を渡した。そして山下が「お待たせ!」と開店前の薄暗い店へ入ると、な、なんと、中野が綺麗なフロアーいっぱいに登攀用の金具やザイル、その他もろもろの物をバラバラと広げていた。昨夜、綺麗に掃除したばかりの店に、泥や、何が付いているのか分からぬ金具を並べられ、汚れるどころか床に傷でも付いたら大変である。綺麗好きの店のマスターが見たら両手を上げて嘆く光景であった。
「お、お前!何かこりゃ?」と山下がびっくりして尋ねると、「いやぁ、暇やから少し整理でもしようかと思うて」と言っていた。



2011年8月8日月曜日

ワタの旅と冒険-13 (砂漠の果ての-3)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 早朝、朝霧の立ち込める乳白色の街中に備えられたスピーカから、コーランが響く。ホテルのベッドに横たわりながら毎朝、聞くがなかなかの節で酔わせるものがある。夕方も夕食の支度の煙がけぶる街中に鳴り渡る。このコーランに合わせ、彼らは夕日に向って礼拝する。目の前にコーランの教本を置いて、土に頭をつけ膝まづき、幾度も幾度もお辞儀する。この国では国王も泥棒も皆、熱心な回教徒である。
 広い道の脇に乞食が何十人も並んでいた。すると、決して裕福そうでない普通のおばさんが、コーランを呟き、涙を流しながら一人一人の目の前に置いてある皿にお金を入れて歩いていた。乞食はさも、当り前のように威張って座っていた。人から金を貰うのは当然だと思っているのだ。これがアジババの大泥棒を生んだ快挙の哲学である。人は皆、平等であるから余分な物を持っている人は持ってない人に与えなければ……という事らしい。彼らはこの国では立派な職業人である。
 僕の友人がインドへ行った時、目くらのいざりの乞食に金をやる真似をして、皿にある金を取っていたら、乞食が頭を下げながら目を開き、走って追いかけてきた、というが、彼のような男がいない限り乞食の生活は安泰となる。次から次と人が金を入れてゆく。


 丁度、今の時期が断食期間である為、昼、食堂を探しても皆、閉じている。雑貨屋も閉まっている。そして、陽が暮れ始めると、何処からか、人がゾロゾロ出てきて、大人も子供も夜、三時位までワイワイ言って遊んでいる。
 アラブの国があまり進歩しないはずである。彼らは働かないのだ。それにアラブで戦争が絶えないのも良く分かる。彼らの戦争、騒動などというものは彼らにとって祭りなのだ。人が「ワー」と叫べば「ワーワーワワワ」と池に石を投げたように波紋が広がる。突風が吹けば騒ぐし、ケンカでもあれば大イベンドとなり街中の人々が集まる。この国でアジゲーターは不用である。とにかく騒がしい民族だ。それに平気で嘘を言う。ある時、地図を持って「此処に行きたいんだけれど…」とバス停を探していると、おっさんが親切に教えてくれる。が、行くとバス停なぞはない。「おかしいなぁ?」と、また別のおっさんに聞くと全然、別の方角を教える。すると、さっきのおっさんが走って来て、「いや、違う」と言って、また全然別の方向を指さし、おっさん二人で喧嘩となる。――――――この、いいかげんさ。結局、僕は道を尋ねる時、五人程、叫び止めて尋ね、その統計をとるようにした。
 今度はバスを待つが、太陽がギラギラ照りつける中、バス停に書かれた時刻が過ぎてもいっこうにバスは来ない。やがて次のバスの時刻になるが、また来ない。「おかしいなぁ……今日は休みかなぁ?」と、思っていると、夕方、陽も暮れかかり涼しくなる頃、バスが四、五台並んで修学旅行車のようにやってくる。一日分まとめて来るわけだ、涼しくなったから行こうか、という事らしい。馬鹿にした話である。その他、幾度かぼられたり、騙された事が続き、「くそーアラブ人め!」と僕は彼らに復讐を誓うようになった。




2011年8月3日水曜日

Gallery-2

南仏 ゴッホの世界

燃える湖畔

街路

ジャングルの小径

花と女

田舎の駅


魚



猛獣
ドイツの城


漁村の恋人

前のページ 次のページ