2011年3月29日火曜日

富 士 と 並 ぶ

つぎの山に向って
西に落ちる陽差しを
背に受け
岩桔梗を斜めに見る。
眼下は雲海とガス。
この稜線を行けば
夕日に出遭える、かも知れない。
頂(いただき)に顔を出すと
風が スー と横切る。
さらに身体全体が
風におおわれ心地良さが
瞳に舞う。
    





 富士が真っ正面にしっかりと立つ。

夕映えの落陽は染まり
雲海は、紫。
真ん中に 真三角の 真白い

      富士

   思わず  合掌。

富士山465

2011年3月23日水曜日

もう どうしてもアフリカーナ-3(黒 部 山 河)

黒 部 山 河

意志を
貫き通した
叫び

その ひとつ
さらに響き渡り
山を駈けぬけ
木霊となり
谷を下る

黒部に
また
秋が訪れる

足は軽い
緑は深い
鳥は泣かず
水音が
かすかに聞こえる



黒部渓谷

2011年3月22日火曜日

4今どき破天荒な男たちの物語 (年始にて)

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 

 この頃の彼の普段着はモスグリーンの半袖のサファリージャケットである。下はGパン。これを春夏秋冬着ていたようであった。冬はこの半袖のペラペラのジャケットの下に黒っぽい毛糸のセータを着ていた。むろんセータは長袖である。
 彼は山の装備やウエアーを買う金は惜しまず、また高い交通費を使ってよく山へ出掛けたが、地上の生活においては極限的に貧相であった。

 ある年の正月、たいがい、僕らは山へ行くが、正月前に遭難事故があったので自粛して、同じクラブの先輩の家へ行っておせち料理をよばれることになった。その時も他の山岳会の女の娘らが多勢来ていた。彼女らは綺麗に振袖で着飾っていた。
中野はあい変わらずしこたま飲んで食っていた。彼は普段は酒は飲まぬが、人のおごりだと飲む。自分で買って飲んだことのない酒飲みである。彼はビールが好きで、飲む時は大抵ビールを飲んでいた。その中野の好きなビールがなくなったので奥の台所に向かって、
「ビールがなくなったなぁー」
と、わざとらしい大きな声で言う。が、彼という人間をよく知っている先輩の奥さんは
「ビールはもうありませんよ。お酒を飲みなさい」
と言うが
「買ってくればあるのになぁー」
と、また台所の方に向かって大きな声で言う。奥さんも負けてはおらず
「買ってきません!」
と返答する。
そしてさんざん一人でパクパク食った中野は橋を置くと、ごろっと寝転がり
「ああ、食った食った、食いすぎてあげそうやー」と気味悪い腹をだして寝転ぶ。
奥さんは自分の山岳会の後輩の女の娘らに食べさせようと、腕をふるって作った御馳走を馬
みたいな男に味も分からず食われ、あげくの果てにあげそうなどと言われ、顔が怒りでいっぱいである。
 その後、彼は寝っ転がり、皆んながようやく会話に花を咲かせだした頃、むくっ、と立ち上がったかと思うと、急にピョンピョンとジャンプをしだした。
 皆んな、一瞬、「ギクッ」として彼を見たが誰も取り合わず会話を続ける。話をしながら女の娘を意識し過ぎる歯科技工師の三郎がチラッと横目で見ては「馬鹿が!」という顔をしていた。誰も彼の行動を尋ねもせず、止めもせず、全くの無視であった。
 しばらく、ピョンピョンと部屋中を飛び廻っていた中野は、今度はサッとトイレへの方へ行く。そして、トイレから出てくると、「ああ、さっぱりした」と呟き、またムシャムシャと食べだした。
 今の彼の行動を再び僕が観察すると、○?食い過ぎて「もう腹に入らぬが、なんとしてもこういうカロリーに恵まれたチャンスはない。そこで○?ぴょんぴょんジャンプすることにより、
��
食べたものを胃から腸へと下げる。○?トイレに行って出す。○?再び、胃袋に入れる。というロジックであろう。彼は食っても食っても食い溜めをする牛のような胃袋を持っているようであった。





2011年3月21日月曜日

ワタの旅と冒険-3(ヨーロッパ偏 2 アルプスへ )

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初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1 


 シャモニーホスピタルという、教会の様な病院で白いシーツに横たわり、手が腫れあがり毛糸の手袋がぬげないので、ハサミで毛糸を切ると、まん丸にふくらんだ真赤な手が出て来た。
 清楚そうなシスターが急に僕のズボンとパンツをサッと下げ、尻の中に異物を突っ込んだので、
「うっ!」
と、突然の事にあっけにとられ眼をくるくるさせていると、眼の前の山下もきょとんとして見ていた。坐薬の存在を知らなかったのである。

 こうして僕は一夜にして病人となり快適な入院生活を送るようになった。
 腫れた腕を眺めながら、半分ヤケクソで寝ていると、熊の様な髭を生やした若いドクターが三人、美形の女医が一人、ドカドカとやって来て僕のベッドに無動作に座るとフランス語でペラペラやりだした。全然分からないが、「オペレイション」という単語だけが耳に残った。-手術!腕の骨折といえばギブスを巻く位で手術をする、というのは聞いた事がない。もしや・・・・・・?腕を切断されるのでは?と、急に不安になり、紅く腫れた手をいとおしく、幾度も眺めていたが、翌日、全身麻酔から覚めた僕は右手が有る事を確かめると、久しぶりの感激をした。
 病院の食事は大変旨く、軽いホテル並であった。窓の外には、モンブランが雲をたたえうっすらと聳え、乳白色のガスがかかっていた。街は雨でしっとり濡れそぼり、光る舗道で子どもたちが遊んでいた。自転車で街を走る少女達。教会の鐘がカランカランと霧をわたる余韻を残して鳴り続ける。しつこく鳴るのだ。毎日がクリスマスみたいだ。

モンブラン和田001-465

 シスターと呼ばれるナースは非常にやさしく美しかった。何より感激したのは風呂に入れない僕を毎日、身体中洗ってくれることであった。身体中である。夕食を楽しみにしていた僕は、条件反射を起こすようになっていた。
 ある日、シスターが一通の手紙を持って来た。ひさしぶりに見る汚い日本語である。
「俺も此処に入院した。二〇三号に居る。足にギブスを巻かれて歩けん。悪いが、酒場でジョニ赤を二本買っちきてくれんか。
北村」
ナースが日本語が読めなくて良かった。フランスには酒屋はない。
 とにかく、スーパーへ行ってジョニ赤を買うことにした。外国では安い方の酒だ。彼の部屋へ行くと、二人部屋で年寄りの爺さんが点滴を受けていた。重症の様である。
「いやぁ、悪りぃ 悪りぃ。どうしても飲みたくなっちのう。さっそく一杯やろうや。」
と、僕らの宴会は盛り上り、「月が出た出た」と夜遅くまで歌った。隣の爺さんが「アワアワ」とうめいていた。
 おとなしくしていたところへ、一端はめを外すと止らない宴会を何度かすると、しまいに自分の部屋へ帰るのがめんどくさくなり、北村氏のベッドの下で寝る事にした。すると、朝、シスターが「ボンジュール!」と言ってベッドの下を覗き込み、朝食を運んでくれた。天使の笑顔である。馬鹿にして笑っていたかもしれないが、僕には天使の笑顔に見えた。下から見える顔、そして、透けて見えるパンティ。どういう訳か彼女らは色つきのパンティを履いていた。それで、北村と、「赤パンのねえちゃんは可愛い」とか、「青パンのねえちゃんは幾つぐらいだ」とか話していた。そして彼女らを呼ぶ時も「赤パンのねえちゃ~ん」と呼ぶと振り向くから不思議である。

 アルコールのカロリーのせいか、僕らはエネルギーを持てあますようになり、病院の中をうろうろと熊の様に歩き廻った。それを見かねてか、僕らが外出を申し込むと病院長は一発で“OK”を出した。
 こうして、腕をくくった長髪の髭の男と、片足にギブスを巻いた、やはり長髪で髭づらの男二人はぎくしゃくしながら、ロープウェイへと向かった。
 シャモニーには観光用にモンブラン近くのエ・ギュード・ミディーまでロープウェイが走っている。日本人観光客が、このロープウェイに乗ってミディの頂上へ上ったのを、モンブランへ登って来た、というあれである。


79年アルプス003
エ・ギュード・ミディーからの眺望。
バレ・ブランシュと呼ばれる氷河の上をイタリア側までロープウェイが延びている。


 駅にはやはり日本からの団体さんが居て、僕らを訝しそうに見ていた。
 頂上付近のロープウェイの中で日本人団体のエージェントが
「頂上では絶対、大声で笑ってはいけません」
と、言っていたので、
「北さん、大声で笑ったらいかんらしいぜ」
と、言ってから、ハッハッハッと大声で笑ったら頭がフラッとした。空気が稀薄なのだ。
 スカッと透き通る青空の下、針のようなシャモニー針峰郡は何処までも連なっていた。白い峰々は遠くイタリア側まで波のように伸び、太陽に近い鋭い光線で峰々の雪面べったりとパール色に輝いていた。
 僕は氷のトンネルをぬけると、足の悪い北村氏を置いて、ミディ南壁の赤い岩壁を見ようと雪で氷りついた細ぼった稜線を、ズックを履いて歩いて行った。すると、向うから、ザイルをつなぎ重装備でやって来る外人クライマーらと擦れ違ったが、後ろの方で、「クレージージャポネ」と話している声が聞こえた。


79年アルプス002
エ・ギュード・ミディー南壁
写真の下から3分の1の所に登攀者の姿が見える

 幾日かして、北村氏の帰国の日が近づくと、彼はギブスを巻いたまま、病院を出た。もと白であった灰色のTシャツにボロボロのGパン、右足の石膏の下に木の板を付け杖を突き、歩くたびに紅い顔が傾き、見送る僕の前からなかなか彼の姿は小さくならなかった。
 後で聞いた話では大韓航空では帰路、韓国に一日寄るが、その時彼はあの姿あの足で女を買いに行ったらしい。
「その足で、どうやってやったんかい?」
と、鋭い質問を浴びせる友人もいた。
 ちなみに彼は学生の折、山へ行く時、駅で送れて走って来る友人を乗せようと、デッキからホームに片足を出して踏んばり、押さえつけようとする駅員を振りきり、しばらく列車を止めた事のある男である。
 平和な療養生活に戻った僕の所へ山下らパーティーがアイガーへ登る為、グリンデルワルトへ旅立つ事を告げに来た。テントを撤収する、二週間したら帰る、という事で、僕の病室へ無用の装備を置いていった。
 抜糸が終わっても、とりたてて行くあても、テントもない僕は病院に居続け、汚い格好をして、シャモニーの街をブラブラしたり高原へ遊びに行ったりしていた。



2011年3月18日金曜日

もう どうしてもアフリカーナ-2(便りのやまびこ)

便 り の や ま び こ

何かと慌ただしい日が続きますが
お元気で過ごしていらっしゃいますか
明け方、音がするので起きてみましたら
雪がずっと積もっており
僕を訪ねにきてくれた鳥の足跡が
朝日にシルエットを描いて
それは すばらしい贈り物をしてくれておりました
山あいも深々となり
そろそろ 冬じたくを始めようかと思っております

早々
便りのやまびこ

3今どき破天荒な男たちの物語 (焼き肉を求めて湖畔を走る)

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今どき破天荒な男たちの物語の1 

 中野は在学中、ネパールへ行き、ますます凄さを増したが、一様、卒業すると、コーヒーや軽食品を喫茶店などに卸す、会社の営業マンになった。そして、よく僕の家にコーヒー豆やアイスクリームなどの営業用商品を気前よく持って来ていた。
 彼は営業用のインスタントカレーやアイスクリームなどをアパートに持って帰り、それで生活していたようであった。が、彼は学生の頃から良い体格を生かしてアルバイトなど、よく働いた。土佐の人間らしく、今もそうであるがよく働く男である。

 ある日、僕らの山岳会と他の山岳会との合同コンペが湖の奥で開かれることになった。僕らの山岳会は女人禁制なので、女の娘の多い山岳会を呼んでは合同コンペをする機会が多かったのだ。
「肉をいっぱい買ってくるからな、早く来ないとなくなるぜ!」
と僕は彼に言っていたが、彼は“営業”なので遅くなると言い、出来るだけ早く行くとも言っていた。
 夕方、心地よい風とともに宴会は盛りあがり、会話も弾み、若い娘らは白い歯を出してよく笑った。そろそろ歌が出そうな雰囲気であった。山奥の湖は夕陽に照らされキラキラと輝いていた。

 その美しい湖畔の傍らを誰か?駆けてくる。
「なんだろう?」
食べかけの肉を箸に挟んだまま、目を細めてよく見ると、縞縞のデカパン一枚で走って来る中野の姿があった。手に服らしいものを抱え、足には皮靴を履いていた。パンツ一枚の裸の姿に黒い皮靴というのは、なんてアンバランスに写るんだろう・・・と僕はぼんやりと見とれていた。



「ああ、遅うなった、遅うなった」
と、ふうふう息を切らし、汗を流しながら彼が来て、来ると、いなや挨拶もせずバクバクと肉を食いだした。
 皆んな彼の、とっぴもない姿にいっぺんに白け、声も出さず黙って中野を見ていた。誰も彼の姿を尋ねることもなく、ただ見ていた。

 僕は汗を流しながら黙々と肉を頬張る中野の横顔を観察しながら、次の結論に達した。
 以下、彼のロジック。○?早く行かないと肉がなくなる。○?車は奥まで入らないから何キロか歩かねばならない。○?遅くなる、どうしよう?肉がなくなる。○?走って行こうか?○?駄目だ!走れば汗が出る。汗が出れば仕事用のシャツもズボンもネクタイも一着しかない、汚れてしまっては明日仕事に着ていけない(おそらく彼は休日に一張羅を洗濯していたのである)。○?そうだ!シャツとズボンを手に持って走っていけば良い。これで早く着けて肉が充分食える。服も汚さずに済む。うん、俺は頭がいい。
 大体こんなところであろう。しかし、いくら焼肉のためとはいえ、同じ年頃の女の娘らの居る前で汚いパンツ姿でなんともないというのが、よく理解できない。この場合、単に普段着を持って来れば済むことだが・・・。





2011年3月16日水曜日

もう どうしてもアフリカーナ-1(五色カ原)

五 色 カ 原

濃紺の空にくわっと星が散らばった
大気が吸い込む五色力原に
僕のテントはあなたの薫りを染み込ませ
ここち好い冷気と音楽が聞こえてくる
広大なナレーションに
なに息もが夢に包まれ
ただ ただ すべてを
あなたに見せてやりたい想いを
いっぱいに込めて
ウイスキーのふたを開けようとしている
夜の調べであります







10-1.jpg

ワタの旅と冒険-2(ヨーロッパ偏 1 アルプスへ )

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ワタの旅と冒険-1 


 ひと月後、僕は友らと国際空港に居た。ビールを飲みつつ、顔は紅潮していた。大韓航空機は完全に酔っ払ってしまった僕らを乗せ、飛び立つ。
 ほとんど、アル中に近い北村が突然立ち上り、天皇陛下の真似を始める。
「このたび、わたくしは~」
と、長々語れば乗客らがざわめきだす。喜んで子供が駆け寄れば、その子を抱き上げ、
「我が日本の未来は、この子らに~」
と、演説を始める。母親が慌てて連れに来ると今度は、
「ねえちゃん!氷、氷」
と、スチュワーデスを呼び、どうにかこうにかウィスキーを三本空にした僕らは、パリに降り立ち、次はビールへと乗り換えた。
 パリの街はカフェーが多い。ゾロゾロと街を歩いて行き誰か一人が、
「暑いなぁー。喉が渇くなぁー。」
と呟くと、数分後には皆でカフェーに座ってビールを飲んでいた。
 パリの街を飲み散らかし、リヨンからジュネーブへ、ジュネーブから日本人観光客バスツアーにうまいこと潜り込み、シャモニーへと入った。

77年アルプス005
シャモニー駅とモンブラン

 スイスに近い メートル、アルプス針峰郡に囲まれたこの街は、日本で言えば上高地である。
 モンブラン、ドリューと四千メートル級の山々の大パノラマに囲まれた花のある街。夕暮れに教会の鐘が街中に鳴り響けば針峰郡はすっかりガスに覆われ、ぐっと気温が下がる。

77年アルプス006
シャモニー針峯群

 夕食を求める四人の男らが歩いて行く。目標はスーパーマーケット、目的は飯である。
「おい、この肉は安い。10キロで八百円ぐらいだ」
「へぇー、此処は物価が安いんだ」
と、この先の生活を考え、気分が軽くなり、唾を飲み込み、急に気前も良くなる。
「とりあえず、今夜は焼肉といこうや!」
と、帰り道、明日返すからと、キャンプ場近くのマンホールの蓋を担いで帰り、僕らは盛大な焼肉パーティーを開いた。えらく油の凍った肉で、徐々に伸びる手が少なくなってくる。
「おい、遠慮せずに食えや」
「いや、もう、いい」
「俺もいい」
と、日頃、食欲の有り余る奴らの箸が進まない。
 翌日、スーパーへ行くと肉の有った所には、かすかに英語で“ドッグフード”と書かれてあり、横にブルドッグのニタニタしたポスターが貼られてあった。

 こうして、体調を整えた僕らは登はんを開始した。雪は少なく、晴天であった。岩は乾きフットワークも快適だ。

レム針峯の登攀

77年アルプス001
山頂にて筆者

 慣れないクラック(岩の割れ目)で苦労したドイツ人パーティーを追いぬき、ルートを追う。核心部で酒飲みの北村が落ちた。
「あぶない!」
と思った瞬間に
「ひゃー!」
と紅い顔が宙を舞った。
彼は足を強く打ち骨折した様だった。

頂上に着いた僕らは北村を庇いながら下降し、負傷した彼ともう一人がビヴァーク(野営)して、僕は同じ齢の山下と下降する事にした。食料と装備を調達する為である。
 雪渓から岩の重なったモレーンを下降するが、元気の良い僕は岩から岩へと飛び移っていた。すると、突然、ぐらっと岩が動き、順序良く並んでいた岩の規則が壊れ、足元の岩がすべて壊れ、岩雪崩の様に岩が流れ、流れる岩の上を身体が飛んだ。
 直径数メートルはあろう、岩の間にぐっと廻り込み僕は止ったが、上から見ていた山下は僕が死んだ、と思ったらしい。ヘルメットは被っていなかった。
 空を二、三度連続的に見た。腕が痺れ、とっさに今後の山 スケジュールが頭に浮び、喉が渇き、水が飲みたいと、何度か雪を口に入れた。
 しばらくして山下が下ってくると、
「大丈夫か!」
と、叫んだので、
「ああ、俺のピッケルを知らんか?腕をやられた。もう山へゆけん」
と、残念そうに呟くと、バンダナで痺れた右腕をくくり、下山を始めた。途中から腕が痛みだし、腫れてくるのが分った。

 もう、何時間も歩き通しである。辺りは真暗となり、音もなく、キャップライトの明りもとぼしくなってきた。
 二人とも疲れ果てて、幾度となくしゃがみ込んだ。しゃがむ束の間に夢を見た。それは、家へ帰っているところだったり、暖かい部屋で酒を飲んでいるところだったり、非常に楽しい夢ばかりであった。かなり長く眠った様に思われ、ふと、眼を覚して時計を見ると、ほんの数分であったりした。
 疲労と眠気と痛みから幻想を見るようになり、人が横切ったり、立っていたり、声が聞こえたりしたが、これは連れの山下もあるらしく、交互に尋ね合ったりした。
 そして、夜が明け始める頃、僕らは火が勢い良く燃えているのを見た。おっさんが焚き火をしていた。
「ボンジュール!」
おっさんが人懐っこい顔を向けた。下山である。
 こうして僕らは闇の中、標高二千メートルを下った。朝霧の立ち込めるシャモニーの街は美しく何もかもが輝いていた。



2011年3月15日火曜日

ワタの旅と冒険-1-プロローグ

 夜中、薄い空の下、砂浜よりカヌーをせり出し、南十字星を背に鏡の海へと漕ぎ出す。波は立たず、風も飛ばず、月と星の明りを受け、ひたすら孤島を目指す。

ワタの旅と表紙007-s

 パプアニューギニアに渡って半年は経つ。生ぬるい風が肌に馴染んでくる。ジャングルや街、原住民の部落と故郷(ふるさと)の様に詳しくなった。部落へ行けば友人も居る。

和田オルリー空港にて465p

 太陽が真上で輝き空気は乾いている。国営のバスに揺られ、パプア放送から流れる独特のメロディーを開き、ぼんやり緑の丘を見上げる。丘の上でおっさんがフラダンスを踊る。踊る姿がメロディーに合い、おっさんの傍にラジオが有る。
 僕はすっかり陽に焼け来月、帰るであろう故郷、そして飛び出す世界へと目を向けた。