このブログは一つの物語です。
僕らが海外登山の帰り、友人と飛行機の中で「いやぁ、俺りゃ二ヶ月間風呂に入っとらん」「俺は一ヶ月半だ」とか言っていたら、隣の席の髭を生やしたおっさんがピクッとこめかみあたりを震わせ鼻でくんくんと何かかいでいた。「まぁしかしたいしたこたぁねぇな。中野なんか高校の時、半年入らなかったって言ってたぜ。それも毎日、野球の練習をしてドロンコになってだぜ!」と言うと隣のおっさんは目をまん丸にして、僕の顔を見ていた。
中野は高校の時、野球部のキャプテンをしていた。土佐の田舎の小さな町の高校である。が、どんなに練習をしても、甲子園の県予選は必ず一回戦で負けていたという。そこで、これだけ毎日練習しているのだから、たまには勝つ喜びを味わってみたいと地元の女子高のソフトボール部に試合を申し込んだが、みごとに完敗した。それも二十対ゼロのイモ負けだったという。
「情けなかった・・・」と中野は言っていた。彼はこの頃、どうして練習の後風呂へ入らなかったのか?というと「毎日、練習で汗と泥にまみれるから、風呂に入って綺麗に洗ってもどうせ次の日に汚れるから一緒や、無駄や」と言う。よく分からん理屈である。身体は濡れタオルで拭いていたらしいが、教室は臭かったろう。女子高生は何も言わず耐えていたのか・・・?
この風呂に入らぬ中野も、別府の温泉となるとよく出かけた。よほど温泉が珍しかったのか?女の裸が珍しかったのか?そのあたりのことはさだかでないが・・・。奥別府に“芝石”という地名の温泉があった。市営の入浴場があり、無料ということもあって僕らはよく出かけた。前に小川が流れる静かな雰囲気のある所である。梅の樹があり、春にはピンク色の可愛い花を咲かせていた。ある日、この温泉に浸っていると湯気の向こうに見た顔がある、と思ったら船乗りの洋一が気持ち良さそうに浸かっていた。これは偶然だと僕らはビールを飲みだしたが、蒸し風呂に入って汗を流せばアルコールがぬけると言って、今度は焼酎を飲みだした。そして二人で蒸し風呂で汗を出しては焼酎を飲んで、ということを繰り返していたら二人とも分けが分からなくなって、洗面器も車の鍵も何処かへ投げ捨てて、裸のまま意識不明になって寝てしまったといういわくつきの温泉である。蒸し風呂に入ればアルコールがぬけるどころか、ますます酔いが廻ることを僕らは知らなかったのである。
この船乗りの洋一は、おとなしいが大変な酒飲みで、飲みだすと人が変わり、誰も彼に話しかけなくなる。中野一人がとり合って怒鳴られては気分悪くしていた。日頃は非常におとなしい男である。
彼と、北アルプスの登山基地である涸沢にテントを張り、「おい、便所に行こうや」と誘い合い、テント場から便所のある山小屋まで歩いて行くわけだが、この山小屋、桶の中に水を入れ、缶ビールをぷかぷか浮かばせてある。そこで洋一と僕はそれをじっーと眺め二人で顔を見合わせる。そして水の中の缶ビールをいとおしく握る、という具合になる。これが便所に行く間じゅう癖になって、登攀をせずに天気の良い昼間から、良い気持ちでブラブラすることになる。これじゃいかん!ということで、僕らはあの桶は見ない、という約束で顔をそむけて便所に通うようになった。
こうして、僕と洋一はこの紫石温泉でも、もう酒は飲まぬということを命とひきかえに誓ったのであった。
この紫石温泉、車の通る道路脇にちょっとした石垣があり、僕らはよく、すっ裸のままこの石垣を攀じ登った。特に中野が攀じ登る時は、男性の僕が見ても気味悪いものであった。
紫石温泉は男湯と女湯とに別れていたが、以前は混浴の温泉であった。それを偲んでか、女風呂に誰か入ると、カバッ、と中野が男湯から立ち上がりタオルを手に持ったまま前を隠さず女湯へさっそうと出かけた。女湯で「キャー」という声があがると、「えっ?此処は混浴じゃないんですか?」と中野のとぼけた声がしていた。
ある時、新婚であろう若い夫婦が男湯と女湯とに別々に入って来た。中野は案の定「若い女が入った!」と叫ぶと、ガバーと風呂から上がり女湯へ行こうとする。旦那が何をするのか?と思って一緒に立ち上がり、中野の後をついて行く。すぐに「キャー」という悲鳴とともに、旦那と中野の激しく言い争う声が聞こえてきた。僕らは知らん顔をして湯に浸かっていた。
こうして、良い気持ちで山へ行っては温泉ばかりに浸かっていた中野であったが、あてにしていたアルジェリアの油管工事はあまりに犠牲者が出過ぎるというので、日本からは工事人夫を出さぬようにと日本政府からストップがかかった。希望に燃えていた中野は、がっかりすると同時に慌てて他の仕事を探しに職安へと走った。
次に見つけてきたのは長距離トラックの運転手であった。月収三十万。これも、また職安で一番給与の高いものであった。彼は大型二種の免許を学生時代に取っていて、車を持っていないペーパードライバーなのに何故か?運転がうまかった。登山への行き帰りはよく彼に運転させたが、箸で弁当を食いながら、両肘をハンドルの輪っぱの中に突っ込んで、ハンドルを廻しながら運転するので「おい、危ないからよせ!」というが「大丈夫 大丈夫」と言ってきかない。ある時など、山奥のガードレールのない曲がりくねった渓谷の林道を、缶ビール片手に運転するので「何を考えてるのか!」と皆んなが取りあげた。
こうして、長距離トラックの運ちゃんとなった彼は、北海道から鹿児島へと大型トラックを飛ばすことになる。そして何ヶ月かして、満足する金額を懐に入れ帰郷した中野は、僕らと冬山登山へ行くことになった。この時珍しく僕ら仲間が揃った。僕らクラブで同年代の仲間が揃うということは珍しいことである。僕らは二人の時は真面目に登るが、三人になるとふざけあってなかなか真面目に登らない。四人ともなると混乱した。この時運悪く四人が揃ったのである。僕と中野と歯科技工師の三郎と、船乗りの洋一である。案の定電車の中でワイワイやっていると、電車の中で顔見知りの他の山岳会の奴ら二人と会い、目的地が一緒だ
からということで同行することになった。正月であった。僕らは冬の岩壁を登りに来たのだが、この岩壁は非常に脆く、落石や雪崩れの危険があるので朝早く取り付かないと、登攀は無理であった。そんなことは百も承知であったが、登山、スキーヤーで賑わう人々の中を歩いていると「おい、正月ぐらいはパーとやって畳みで寝ろうや、皆んな揃うのも珍しいことだし」と三郎が言うので「そりゃいい、そりゃいい」と皆んなで民宿を探すとそこを一夜の宿とした。民宿の女中さんが「明朝の食事はどうしますか?」と尋ねるので、皆んなで「明日は三時に起きて山へ行くから飯はいい」と断り、その晩僕らは、箸で茶わんを叩いて大声で歌い夜中まで大宴会をした。
翌朝、誰か一人がガバッと起き上るが、皆んないびきをかいて寝ているので安心して、また眠りこける。再び誰かが、ガバッと起き上がるが、また安心して眠りこけるということを繰り返し、結局僕らが布団から出たのは太陽が真上に近い昼頃であった。皆んな無言であった。
僕が二日酔いの頭を押さえ、ぼゃあーと便所へ行っていると昨日の女中さんが「あらっ、早いわねぇ、もう山から帰って来たの?」と声をかけた。こうして、天候の良かった初日を逃すと、だんだん雲ゆきが怪しくなり、早く帰る用のあった船乗りの洋一は帰郷し、僕ら三人がこのスキー登山基地にテントを張って残ることになった。此処でスキーを覚えてやろうと思っていたのだ。スキーの方が登山よりよっぽどカッコイイし、ギャルもいる。スキーがさっそうと滑れるようになったらギャルとお友達になれる・・・・と、もともと運動神経の良い皆んなは淡い期待に胸を膨らませ、スキーなんぞたいしたこたぁねえ、と初めてスキー靴を履いたのであった。ところが、ところがである。思ったよりスキーは難しく、スキー板を付けると皆、どたんばたんと転びだした。「おかしいなぁ・・・・・?」、女、子供があんなに上手に滑れるのにどうして俺たちが滑れないんだぁ・・・?と皆んなは不思議そうに、さっそうと滑って行く女、子供を見ていた。
中野と二人乗りのリフトに乗ってゲレンデへ上がろうとするが、リフトから降りる時、どうやって降りたらよいのか分からずおたおたする。そこで、さっ、とスキー板が地面に着く瞬間、僕は中野の身体をぐっとつかみバランスをとり、ようやく立って前へ進むことが出来た。中野は?と後ろを振り向くと「おっとっとっと」と言いながら、雪の穴の中へ消えて行った。「あんたひどい人やなぁ、わしを突き飛ばしたやろ!」と後で真剣に文句を言っていた。
僕は少年の頃スケートを滑っていたのでなんとか転ばずに止まることが出来たが、三郎は、ザァーとスピードを出してコテッと転ぶと見事に足を捻挫してしまい「俺りゃ帰る!」と言って故郷へ帰って行った。ビッコをひきながらザックを担いでゆく哀れな三郎を見送ると、僕と中野は再びスキーに熱中した。
スキー場は、さすがにギャルが多く中野はキョロキョロしながら「あっ!可愛い」とかしきりに言って振り向いていた。ほとんど平地のゲレンデへ行くと、女子大のツアーか何かで
ギャルが何百人もうわぁー、と居た。皆、色とりどりのファッションをした二十(はたち)ぐらいの娘ばかりである。この中にまぎれ込んだ僕らは、唖然として立ちすくんでいたが、さすがの中野も「うわぁー こう女ばかりやと気味悪いなぁ、うわぁー、気持ち悪い」と、顔をくしゃくしゃにしかめて言っていた。本当にこうも女ばかりだと気味悪いものだが、中野も汚いものを見るような顔をしなくても良さそうなものである。
そうしてなんとかかんとか滑れるようになった僕は、食堂でビールを飲みながら、さっそうと滑る人達を見ては頭を傾げていた。かなり観察したので、今度はホームを変えてみようと再びリフトに乗り込むと、酔いが廻ってきたのか、リフトの上で腰を置き換えていると「あっ!」と言って、五、六メートル上のリフトから落ちてしまった。それを見た監視員が慌ててリフトを止めると、リフトに乗っていた人々が皆んな僕を見おろした。
何が?どうなったか訳が分からず、雪の上に座り込んでキョトンとしている僕の傍らに中野がスーッとやってきて「あんた、カッコ悪いなぁ、皆んな見とるぜ!リフトから落っこちる奴なんかいないぜ、子供でも乗ってるんやぜ、恥かしいなぁ、ほんま!」と言って馬鹿にした。
それから僕らは、こりゃいつまでも自己流で滑っていても一向にうまくならんと悟ると、中野とスキー学校の初心者コースに一日入門することにした。登山ズボンとシャツを着て、サングラスをした人相の悪い男二人が、十代のギャルに混じりゼッケンを付けて並んでいる。コーチもあまり相手にしてくれない。一人、ずんぐりとした男がいたが、わりとうまく滑れるので中野が「あれ?あいつはどんくさそうなのにうまいこと滑れるなぁ、あいつはほんまはどんくさいぜ!」と言っていたが、人のことはほっとけというものである。ひとつも上達しない僕らは、それでも二人でなんとかかんとか言いながら暗くなるまで滑った。そして、陽も暮れかかる頃、スキーヤー達はこれから暖ったかいロッジへと帰り、旨いものを食って、若い女の娘らと夜遅くまでキャーキャー言いながらアフタースキーを楽しむのに、僕らは暗くなった道をとぼとぼと山の方へ歩いて薄暗いテントへと向かった。「おい、今日は何くうか?」と言いながら、寒いテントの中でローソクの火を灯してぼそぼそと何かを食う。天候がくずれ、二日続けて雪ではなく雨が降った。おかげで僕らのテントはぐちゃぐちゃになり、寝袋も湿ったようであった。「おい、中野、俺はもうこういう生活は耐えられん。民宿へ行こう!民宿へ行って暖ったかい布団で寝ろう!」テント生活も二週間となっていた。テントの中は散らかって臭くなり、食料もなくなりかけていた。そこに雨で濡れそぼりさんざんなものとなっていた。「そうだなぁ・・・・」と中野も呟くので、僕らは暖かく明るい灯を目差してロッジへと向かった。ロッジの中へ入ると食堂で丁度スキーヤーが食事をとっていた。女の娘が多い。
僕らが中へ入ると、皆ギョッとして見た。山賊か何か?と思ったのだろう。そこで僕が店のおばさんに「あの・・・部屋開いてますか?」と尋ねると「ええ、開いてます」と言うので、ああバラ色の生活、暖かい部屋と御馳走、ギャルとの会話、と目の前がパアーと明るくなる。すると中野が横から「素泊まりは幾らですか?」と尋ねる。店の人がびっくりして、「えっ?素泊まりですか?」と聞き返すと「ええ、素泊まりです」と無表情に言う。その瞬間、下を向いて飯を食っていたスキーヤーの頭が一斉に上がり視線がぐっ、と僕らに来る。「うむ・・・」僕は恥かしさでいっぱいになり中野に「おい、素泊まりじゃなくてもいいじゃないか、こんな所に素泊まりなんかあるもんか」と小声でボソボソ言うと、中野はさも不満そうに大声で「でも、素泊まりの方が安いんやぜ!」と言う。僕は恥かしさと情けなさでいっぱいになり「もう、俺は泊まらん、お前一人で泊まれ!」と言い捨てて外へ出た。
腹が立つなぁ、ああ、恥かしい思いをした、と何処かに自分一人で泊まろうと思ったがそれも中野に悪い気がして、一人ロッジに泊まる男じゃない中野を外で待つが奴はなかなか出て来ない。「おかしいなぁ・・・?」としばらく待っていると、中野が何か下げてニコニコしながら戻って来た。
「やあ、お待たせ、お待たせ」とかなりの上機嫌である。「儲かった、儲かった」とも言っていた。「お前、手に何を持ってんだ?」と尋ねると、彼がさも嬉しそうに手を上げると、ビニール袋の中に大きい握り飯が十ほど入っていた。「何かそりゃ?」「貰ったんや」「誰にだ?」「店のおばさんにや」「何故店のおばさんが握り飯をくれるのか?」「『いやぁ、わしらは九州の大分から、山へ登ろうとはるばる出てきてもう二週間も此処に居るんや』て言うたら『そりゃ遠方からごくろうなこって』っておばさんが言ったから、『しかし、テントは濡れるし食べ物はなくなるし苦労しとる』と言うと、おばさんが『そりゃ、可哀そうに。この売店に並んでいるものでほしいものがあったら持って行きなさい』と言うから『握り飯が食いたい』と言ったらおばさんが『ちょっと待ってなさい』言うて厨房で握ってくれたんや」と言う。僕は呆れて一時(いっとき)ものが言えなかった。何と恥を知らぬ男か。「お前、武士は食わねど高楊枝という諺(ことわざ)を知らぬのか、お前には恥というものはないのか!」
僕は中野に怒鳴りつけた。すると彼は僕の言った意味がよく理解出来ないのか、キョトンとしていた。何故?僕が怒ったか分からないようであった。僕はこの情けない男に(中野は情けないは思ってない)「お前、そんなに米の飯が食いたけりゃ俺が腹一杯食わせてやるわ!肉でも何でも食わせてやるわ!」と怒鳴って食堂へ入り、中野と、焼肉と飯を腹いっぱい食った。
腹が膨れると僕も大分、気分が落ち着き雪明かりの中、中野とあのぐちょぐちょのテントへと向かった。
中野は雨が入って崩れかけた握り飯を大事そうに抱えていた。僕はもう何も言わなかった。何故、こいつの為に俺が腹を立てなきゃならんのか、と自分で阿呆らしくなっていた。
テントの中は最悪だった。僕のバラ色であったはずの夜も更け、寒く暗いテントの中に横たわっていると何かムシャムシャと音がする。何だろう?と思って横を向いて見ると、中野が寝袋の中から顔を出しテントの生地の方を向き、雨に濡れ、水滴の付いたビニール袋の中から潰れた握り飯の米を口に入れていた。
僕は何も言わず寝袋の中に潜り込む。ふと、奴はおばさんの同情をかって、素泊まりどころかタダで泊まろうと思ったのでは・・・?という疑惑が浮かんだが、もうそういうことはどうでも良かった。僕は寒さと情けなさでなかなか寝つけなかった。空には天が割れるほど星が輝いていた。
僕らが海外登山の帰り、友人と飛行機の中で「いやぁ、俺りゃ二ヶ月間風呂に入っとらん」「俺は一ヶ月半だ」とか言っていたら、隣の席の髭を生やしたおっさんがピクッとこめかみあたりを震わせ鼻でくんくんと何かかいでいた。「まぁしかしたいしたこたぁねぇな。中野なんか高校の時、半年入らなかったって言ってたぜ。それも毎日、野球の練習をしてドロンコになってだぜ!」と言うと隣のおっさんは目をまん丸にして、僕の顔を見ていた。
中野は高校の時、野球部のキャプテンをしていた。土佐の田舎の小さな町の高校である。が、どんなに練習をしても、甲子園の県予選は必ず一回戦で負けていたという。そこで、これだけ毎日練習しているのだから、たまには勝つ喜びを味わってみたいと地元の女子高のソフトボール部に試合を申し込んだが、みごとに完敗した。それも二十対ゼロのイモ負けだったという。
「情けなかった・・・」と中野は言っていた。彼はこの頃、どうして練習の後風呂へ入らなかったのか?というと「毎日、練習で汗と泥にまみれるから、風呂に入って綺麗に洗ってもどうせ次の日に汚れるから一緒や、無駄や」と言う。よく分からん理屈である。身体は濡れタオルで拭いていたらしいが、教室は臭かったろう。女子高生は何も言わず耐えていたのか・・・?
この風呂に入らぬ中野も、別府の温泉となるとよく出かけた。よほど温泉が珍しかったのか?女の裸が珍しかったのか?そのあたりのことはさだかでないが・・・。奥別府に“芝石”という地名の温泉があった。市営の入浴場があり、無料ということもあって僕らはよく出かけた。前に小川が流れる静かな雰囲気のある所である。梅の樹があり、春にはピンク色の可愛い花を咲かせていた。ある日、この温泉に浸っていると湯気の向こうに見た顔がある、と思ったら船乗りの洋一が気持ち良さそうに浸かっていた。これは偶然だと僕らはビールを飲みだしたが、蒸し風呂に入って汗を流せばアルコールがぬけると言って、今度は焼酎を飲みだした。そして二人で蒸し風呂で汗を出しては焼酎を飲んで、ということを繰り返していたら二人とも分けが分からなくなって、洗面器も車の鍵も何処かへ投げ捨てて、裸のまま意識不明になって寝てしまったといういわくつきの温泉である。蒸し風呂に入ればアルコールがぬけるどころか、ますます酔いが廻ることを僕らは知らなかったのである。
この船乗りの洋一は、おとなしいが大変な酒飲みで、飲みだすと人が変わり、誰も彼に話しかけなくなる。中野一人がとり合って怒鳴られては気分悪くしていた。日頃は非常におとなしい男である。
彼と、北アルプスの登山基地である涸沢にテントを張り、「おい、便所に行こうや」と誘い合い、テント場から便所のある山小屋まで歩いて行くわけだが、この山小屋、桶の中に水を入れ、缶ビールをぷかぷか浮かばせてある。そこで洋一と僕はそれをじっーと眺め二人で顔を見合わせる。そして水の中の缶ビールをいとおしく握る、という具合になる。これが便所に行く間じゅう癖になって、登攀をせずに天気の良い昼間から、良い気持ちでブラブラすることになる。これじゃいかん!ということで、僕らはあの桶は見ない、という約束で顔をそむけて便所に通うようになった。
こうして、僕と洋一はこの紫石温泉でも、もう酒は飲まぬということを命とひきかえに誓ったのであった。
この紫石温泉、車の通る道路脇にちょっとした石垣があり、僕らはよく、すっ裸のままこの石垣を攀じ登った。特に中野が攀じ登る時は、男性の僕が見ても気味悪いものであった。
紫石温泉は男湯と女湯とに別れていたが、以前は混浴の温泉であった。それを偲んでか、女風呂に誰か入ると、カバッ、と中野が男湯から立ち上がりタオルを手に持ったまま前を隠さず女湯へさっそうと出かけた。女湯で「キャー」という声があがると、「えっ?此処は混浴じゃないんですか?」と中野のとぼけた声がしていた。
ある時、新婚であろう若い夫婦が男湯と女湯とに別々に入って来た。中野は案の定「若い女が入った!」と叫ぶと、ガバーと風呂から上がり女湯へ行こうとする。旦那が何をするのか?と思って一緒に立ち上がり、中野の後をついて行く。すぐに「キャー」という悲鳴とともに、旦那と中野の激しく言い争う声が聞こえてきた。僕らは知らん顔をして湯に浸かっていた。
こうして、良い気持ちで山へ行っては温泉ばかりに浸かっていた中野であったが、あてにしていたアルジェリアの油管工事はあまりに犠牲者が出過ぎるというので、日本からは工事人夫を出さぬようにと日本政府からストップがかかった。希望に燃えていた中野は、がっかりすると同時に慌てて他の仕事を探しに職安へと走った。
次に見つけてきたのは長距離トラックの運転手であった。月収三十万。これも、また職安で一番給与の高いものであった。彼は大型二種の免許を学生時代に取っていて、車を持っていないペーパードライバーなのに何故か?運転がうまかった。登山への行き帰りはよく彼に運転させたが、箸で弁当を食いながら、両肘をハンドルの輪っぱの中に突っ込んで、ハンドルを廻しながら運転するので「おい、危ないからよせ!」というが「大丈夫 大丈夫」と言ってきかない。ある時など、山奥のガードレールのない曲がりくねった渓谷の林道を、缶ビール片手に運転するので「何を考えてるのか!」と皆んなが取りあげた。
こうして、長距離トラックの運ちゃんとなった彼は、北海道から鹿児島へと大型トラックを飛ばすことになる。そして何ヶ月かして、満足する金額を懐に入れ帰郷した中野は、僕らと冬山登山へ行くことになった。この時珍しく僕ら仲間が揃った。僕らクラブで同年代の仲間が揃うということは珍しいことである。僕らは二人の時は真面目に登るが、三人になるとふざけあってなかなか真面目に登らない。四人ともなると混乱した。この時運悪く四人が揃ったのである。僕と中野と歯科技工師の三郎と、船乗りの洋一である。案の定電車の中でワイワイやっていると、電車の中で顔見知りの他の山岳会の奴ら二人と会い、目的地が一緒だ
からということで同行することになった。正月であった。僕らは冬の岩壁を登りに来たのだが、この岩壁は非常に脆く、落石や雪崩れの危険があるので朝早く取り付かないと、登攀は無理であった。そんなことは百も承知であったが、登山、スキーヤーで賑わう人々の中を歩いていると「おい、正月ぐらいはパーとやって畳みで寝ろうや、皆んな揃うのも珍しいことだし」と三郎が言うので「そりゃいい、そりゃいい」と皆んなで民宿を探すとそこを一夜の宿とした。民宿の女中さんが「明朝の食事はどうしますか?」と尋ねるので、皆んなで「明日は三時に起きて山へ行くから飯はいい」と断り、その晩僕らは、箸で茶わんを叩いて大声で歌い夜中まで大宴会をした。
翌朝、誰か一人がガバッと起き上るが、皆んないびきをかいて寝ているので安心して、また眠りこける。再び誰かが、ガバッと起き上がるが、また安心して眠りこけるということを繰り返し、結局僕らが布団から出たのは太陽が真上に近い昼頃であった。皆んな無言であった。
僕が二日酔いの頭を押さえ、ぼゃあーと便所へ行っていると昨日の女中さんが「あらっ、早いわねぇ、もう山から帰って来たの?」と声をかけた。こうして、天候の良かった初日を逃すと、だんだん雲ゆきが怪しくなり、早く帰る用のあった船乗りの洋一は帰郷し、僕ら三人がこのスキー登山基地にテントを張って残ることになった。此処でスキーを覚えてやろうと思っていたのだ。スキーの方が登山よりよっぽどカッコイイし、ギャルもいる。スキーがさっそうと滑れるようになったらギャルとお友達になれる・・・・と、もともと運動神経の良い皆んなは淡い期待に胸を膨らませ、スキーなんぞたいしたこたぁねえ、と初めてスキー靴を履いたのであった。ところが、ところがである。思ったよりスキーは難しく、スキー板を付けると皆、どたんばたんと転びだした。「おかしいなぁ・・・・・?」、女、子供があんなに上手に滑れるのにどうして俺たちが滑れないんだぁ・・・?と皆んなは不思議そうに、さっそうと滑って行く女、子供を見ていた。
中野と二人乗りのリフトに乗ってゲレンデへ上がろうとするが、リフトから降りる時、どうやって降りたらよいのか分からずおたおたする。そこで、さっ、とスキー板が地面に着く瞬間、僕は中野の身体をぐっとつかみバランスをとり、ようやく立って前へ進むことが出来た。中野は?と後ろを振り向くと「おっとっとっと」と言いながら、雪の穴の中へ消えて行った。「あんたひどい人やなぁ、わしを突き飛ばしたやろ!」と後で真剣に文句を言っていた。
僕は少年の頃スケートを滑っていたのでなんとか転ばずに止まることが出来たが、三郎は、ザァーとスピードを出してコテッと転ぶと見事に足を捻挫してしまい「俺りゃ帰る!」と言って故郷へ帰って行った。ビッコをひきながらザックを担いでゆく哀れな三郎を見送ると、僕と中野は再びスキーに熱中した。
スキー場は、さすがにギャルが多く中野はキョロキョロしながら「あっ!可愛い」とかしきりに言って振り向いていた。ほとんど平地のゲレンデへ行くと、女子大のツアーか何かで
ギャルが何百人もうわぁー、と居た。皆、色とりどりのファッションをした二十(はたち)ぐらいの娘ばかりである。この中にまぎれ込んだ僕らは、唖然として立ちすくんでいたが、さすがの中野も「うわぁー こう女ばかりやと気味悪いなぁ、うわぁー、気持ち悪い」と、顔をくしゃくしゃにしかめて言っていた。本当にこうも女ばかりだと気味悪いものだが、中野も汚いものを見るような顔をしなくても良さそうなものである。
そうしてなんとかかんとか滑れるようになった僕は、食堂でビールを飲みながら、さっそうと滑る人達を見ては頭を傾げていた。かなり観察したので、今度はホームを変えてみようと再びリフトに乗り込むと、酔いが廻ってきたのか、リフトの上で腰を置き換えていると「あっ!」と言って、五、六メートル上のリフトから落ちてしまった。それを見た監視員が慌ててリフトを止めると、リフトに乗っていた人々が皆んな僕を見おろした。
何が?どうなったか訳が分からず、雪の上に座り込んでキョトンとしている僕の傍らに中野がスーッとやってきて「あんた、カッコ悪いなぁ、皆んな見とるぜ!リフトから落っこちる奴なんかいないぜ、子供でも乗ってるんやぜ、恥かしいなぁ、ほんま!」と言って馬鹿にした。
それから僕らは、こりゃいつまでも自己流で滑っていても一向にうまくならんと悟ると、中野とスキー学校の初心者コースに一日入門することにした。登山ズボンとシャツを着て、サングラスをした人相の悪い男二人が、十代のギャルに混じりゼッケンを付けて並んでいる。コーチもあまり相手にしてくれない。一人、ずんぐりとした男がいたが、わりとうまく滑れるので中野が「あれ?あいつはどんくさそうなのにうまいこと滑れるなぁ、あいつはほんまはどんくさいぜ!」と言っていたが、人のことはほっとけというものである。ひとつも上達しない僕らは、それでも二人でなんとかかんとか言いながら暗くなるまで滑った。そして、陽も暮れかかる頃、スキーヤー達はこれから暖ったかいロッジへと帰り、旨いものを食って、若い女の娘らと夜遅くまでキャーキャー言いながらアフタースキーを楽しむのに、僕らは暗くなった道をとぼとぼと山の方へ歩いて薄暗いテントへと向かった。「おい、今日は何くうか?」と言いながら、寒いテントの中でローソクの火を灯してぼそぼそと何かを食う。天候がくずれ、二日続けて雪ではなく雨が降った。おかげで僕らのテントはぐちゃぐちゃになり、寝袋も湿ったようであった。「おい、中野、俺はもうこういう生活は耐えられん。民宿へ行こう!民宿へ行って暖ったかい布団で寝ろう!」テント生活も二週間となっていた。テントの中は散らかって臭くなり、食料もなくなりかけていた。そこに雨で濡れそぼりさんざんなものとなっていた。「そうだなぁ・・・・」と中野も呟くので、僕らは暖かく明るい灯を目差してロッジへと向かった。ロッジの中へ入ると食堂で丁度スキーヤーが食事をとっていた。女の娘が多い。
僕らが中へ入ると、皆ギョッとして見た。山賊か何か?と思ったのだろう。そこで僕が店のおばさんに「あの・・・部屋開いてますか?」と尋ねると「ええ、開いてます」と言うので、ああバラ色の生活、暖かい部屋と御馳走、ギャルとの会話、と目の前がパアーと明るくなる。すると中野が横から「素泊まりは幾らですか?」と尋ねる。店の人がびっくりして、「えっ?素泊まりですか?」と聞き返すと「ええ、素泊まりです」と無表情に言う。その瞬間、下を向いて飯を食っていたスキーヤーの頭が一斉に上がり視線がぐっ、と僕らに来る。「うむ・・・」僕は恥かしさでいっぱいになり中野に「おい、素泊まりじゃなくてもいいじゃないか、こんな所に素泊まりなんかあるもんか」と小声でボソボソ言うと、中野はさも不満そうに大声で「でも、素泊まりの方が安いんやぜ!」と言う。僕は恥かしさと情けなさでいっぱいになり「もう、俺は泊まらん、お前一人で泊まれ!」と言い捨てて外へ出た。
腹が立つなぁ、ああ、恥かしい思いをした、と何処かに自分一人で泊まろうと思ったがそれも中野に悪い気がして、一人ロッジに泊まる男じゃない中野を外で待つが奴はなかなか出て来ない。「おかしいなぁ・・・?」としばらく待っていると、中野が何か下げてニコニコしながら戻って来た。
「やあ、お待たせ、お待たせ」とかなりの上機嫌である。「儲かった、儲かった」とも言っていた。「お前、手に何を持ってんだ?」と尋ねると、彼がさも嬉しそうに手を上げると、ビニール袋の中に大きい握り飯が十ほど入っていた。「何かそりゃ?」「貰ったんや」「誰にだ?」「店のおばさんにや」「何故店のおばさんが握り飯をくれるのか?」「『いやぁ、わしらは九州の大分から、山へ登ろうとはるばる出てきてもう二週間も此処に居るんや』て言うたら『そりゃ遠方からごくろうなこって』っておばさんが言ったから、『しかし、テントは濡れるし食べ物はなくなるし苦労しとる』と言うと、おばさんが『そりゃ、可哀そうに。この売店に並んでいるものでほしいものがあったら持って行きなさい』と言うから『握り飯が食いたい』と言ったらおばさんが『ちょっと待ってなさい』言うて厨房で握ってくれたんや」と言う。僕は呆れて一時(いっとき)ものが言えなかった。何と恥を知らぬ男か。「お前、武士は食わねど高楊枝という諺(ことわざ)を知らぬのか、お前には恥というものはないのか!」
僕は中野に怒鳴りつけた。すると彼は僕の言った意味がよく理解出来ないのか、キョトンとしていた。何故?僕が怒ったか分からないようであった。僕はこの情けない男に(中野は情けないは思ってない)「お前、そんなに米の飯が食いたけりゃ俺が腹一杯食わせてやるわ!肉でも何でも食わせてやるわ!」と怒鳴って食堂へ入り、中野と、焼肉と飯を腹いっぱい食った。
腹が膨れると僕も大分、気分が落ち着き雪明かりの中、中野とあのぐちょぐちょのテントへと向かった。
中野は雨が入って崩れかけた握り飯を大事そうに抱えていた。僕はもう何も言わなかった。何故、こいつの為に俺が腹を立てなきゃならんのか、と自分で阿呆らしくなっていた。
テントの中は最悪だった。僕のバラ色であったはずの夜も更け、寒く暗いテントの中に横たわっていると何かムシャムシャと音がする。何だろう?と思って横を向いて見ると、中野が寝袋の中から顔を出しテントの生地の方を向き、雨に濡れ、水滴の付いたビニール袋の中から潰れた握り飯の米を口に入れていた。
僕は何も言わず寝袋の中に潜り込む。ふと、奴はおばさんの同情をかって、素泊まりどころかタダで泊まろうと思ったのでは・・・?という疑惑が浮かんだが、もうそういうことはどうでも良かった。僕は寒さと情けなさでなかなか寝つけなかった。空には天が割れるほど星が輝いていた。














