2011年7月28日木曜日

14今どき破天荒な男たちの物語

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 



 僕らが海外登山の帰り、友人と飛行機の中で「いやぁ、俺りゃ二ヶ月間風呂に入っとらん」「俺は一ヶ月半だ」とか言っていたら、隣の席の髭を生やしたおっさんがピクッとこめかみあたりを震わせ鼻でくんくんと何かかいでいた。「まぁしかしたいしたこたぁねぇな。中野なんか高校の時、半年入らなかったって言ってたぜ。それも毎日、野球の練習をしてドロンコになってだぜ!」と言うと隣のおっさんは目をまん丸にして、僕の顔を見ていた。
 中野は高校の時、野球部のキャプテンをしていた。土佐の田舎の小さな町の高校である。が、どんなに練習をしても、甲子園の県予選は必ず一回戦で負けていたという。そこで、これだけ毎日練習しているのだから、たまには勝つ喜びを味わってみたいと地元の女子高のソフトボール部に試合を申し込んだが、みごとに完敗した。それも二十対ゼロのイモ負けだったという。
「情けなかった・・・」と中野は言っていた。彼はこの頃、どうして練習の後風呂へ入らなかったのか?というと「毎日、練習で汗と泥にまみれるから、風呂に入って綺麗に洗ってもどうせ次の日に汚れるから一緒や、無駄や」と言う。よく分からん理屈である。身体は濡れタオルで拭いていたらしいが、教室は臭かったろう。女子高生は何も言わず耐えていたのか・・・?

 この風呂に入らぬ中野も、別府の温泉となるとよく出かけた。よほど温泉が珍しかったのか?女の裸が珍しかったのか?そのあたりのことはさだかでないが・・・。奥別府に“芝石”という地名の温泉があった。市営の入浴場があり、無料ということもあって僕らはよく出かけた。前に小川が流れる静かな雰囲気のある所である。梅の樹があり、春にはピンク色の可愛い花を咲かせていた。ある日、この温泉に浸っていると湯気の向こうに見た顔がある、と思ったら船乗りの洋一が気持ち良さそうに浸かっていた。これは偶然だと僕らはビールを飲みだしたが、蒸し風呂に入って汗を流せばアルコールがぬけると言って、今度は焼酎を飲みだした。そして二人で蒸し風呂で汗を出しては焼酎を飲んで、ということを繰り返していたら二人とも分けが分からなくなって、洗面器も車の鍵も何処かへ投げ捨てて、裸のまま意識不明になって寝てしまったといういわくつきの温泉である。蒸し風呂に入ればアルコールがぬけるどころか、ますます酔いが廻ることを僕らは知らなかったのである。
 この船乗りの洋一は、おとなしいが大変な酒飲みで、飲みだすと人が変わり、誰も彼に話しかけなくなる。中野一人がとり合って怒鳴られては気分悪くしていた。日頃は非常におとなしい男である。
 彼と、北アルプスの登山基地である涸沢にテントを張り、「おい、便所に行こうや」と誘い合い、テント場から便所のある山小屋まで歩いて行くわけだが、この山小屋、桶の中に水を入れ、缶ビールをぷかぷか浮かばせてある。そこで洋一と僕はそれをじっーと眺め二人で顔を見合わせる。そして水の中の缶ビールをいとおしく握る、という具合になる。これが便所に行く間じゅう癖になって、登攀をせずに天気の良い昼間から、良い気持ちでブラブラすることになる。これじゃいかん!ということで、僕らはあの桶は見ない、という約束で顔をそむけて便所に通うようになった。


こうして、僕と洋一はこの紫石温泉でも、もう酒は飲まぬということを命とひきかえに誓ったのであった。
 この紫石温泉、車の通る道路脇にちょっとした石垣があり、僕らはよく、すっ裸のままこの石垣を攀じ登った。特に中野が攀じ登る時は、男性の僕が見ても気味悪いものであった。




紫石温泉は男湯と女湯とに別れていたが、以前は混浴の温泉であった。それを偲んでか、女風呂に誰か入ると、カバッ、と中野が男湯から立ち上がりタオルを手に持ったまま前を隠さず女湯へさっそうと出かけた。女湯で「キャー」という声があがると、「えっ?此処は混浴じゃないんですか?」と中野のとぼけた声がしていた。
 ある時、新婚であろう若い夫婦が男湯と女湯とに別々に入って来た。中野は案の定「若い女が入った!」と叫ぶと、ガバーと風呂から上がり女湯へ行こうとする。旦那が何をするのか?と思って一緒に立ち上がり、中野の後をついて行く。すぐに「キャー」という悲鳴とともに、旦那と中野の激しく言い争う声が聞こえてきた。僕らは知らん顔をして湯に浸かっていた。

 こうして、良い気持ちで山へ行っては温泉ばかりに浸かっていた中野であったが、あてにしていたアルジェリアの油管工事はあまりに犠牲者が出過ぎるというので、日本からは工事人夫を出さぬようにと日本政府からストップがかかった。希望に燃えていた中野は、がっかりすると同時に慌てて他の仕事を探しに職安へと走った。
 次に見つけてきたのは長距離トラックの運転手であった。月収三十万。これも、また職安で一番給与の高いものであった。彼は大型二種の免許を学生時代に取っていて、車を持っていないペーパードライバーなのに何故か?運転がうまかった。登山への行き帰りはよく彼に運転させたが、箸で弁当を食いながら、両肘をハンドルの輪っぱの中に突っ込んで、ハンドルを廻しながら運転するので「おい、危ないからよせ!」というが「大丈夫 大丈夫」と言ってきかない。ある時など、山奥のガードレールのない曲がりくねった渓谷の林道を、缶ビール片手に運転するので「何を考えてるのか!」と皆んなが取りあげた。
 こうして、長距離トラックの運ちゃんとなった彼は、北海道から鹿児島へと大型トラックを飛ばすことになる。そして何ヶ月かして、満足する金額を懐に入れ帰郷した中野は、僕らと冬山登山へ行くことになった。この時珍しく僕ら仲間が揃った。僕らクラブで同年代の仲間が揃うということは珍しいことである。僕らは二人の時は真面目に登るが、三人になるとふざけあってなかなか真面目に登らない。四人ともなると混乱した。この時運悪く四人が揃ったのである。僕と中野と歯科技工師の三郎と、船乗りの洋一である。案の定電車の中でワイワイやっていると、電車の中で顔見知りの他の山岳会の奴ら二人と会い、目的地が一緒だ
からということで同行することになった。正月であった。僕らは冬の岩壁を登りに来たのだが、この岩壁は非常に脆く、落石や雪崩れの危険があるので朝早く取り付かないと、登攀は無理であった。そんなことは百も承知であったが、登山、スキーヤーで賑わう人々の中を歩いていると「おい、正月ぐらいはパーとやって畳みで寝ろうや、皆んな揃うのも珍しいことだし」と三郎が言うので「そりゃいい、そりゃいい」と皆んなで民宿を探すとそこを一夜の宿とした。民宿の女中さんが「明朝の食事はどうしますか?」と尋ねるので、皆んなで「明日は三時に起きて山へ行くから飯はいい」と断り、その晩僕らは、箸で茶わんを叩いて大声で歌い夜中まで大宴会をした。
 翌朝、誰か一人がガバッと起き上るが、皆んないびきをかいて寝ているので安心して、また眠りこける。再び誰かが、ガバッと起き上がるが、また安心して眠りこけるということを繰り返し、結局僕らが布団から出たのは太陽が真上に近い昼頃であった。皆んな無言であった。
 僕が二日酔いの頭を押さえ、ぼゃあーと便所へ行っていると昨日の女中さんが「あらっ、早いわねぇ、もう山から帰って来たの?」と声をかけた。こうして、天候の良かった初日を逃すと、だんだん雲ゆきが怪しくなり、早く帰る用のあった船乗りの洋一は帰郷し、僕ら三人がこのスキー登山基地にテントを張って残ることになった。此処でスキーを覚えてやろうと思っていたのだ。スキーの方が登山よりよっぽどカッコイイし、ギャルもいる。スキーがさっそうと滑れるようになったらギャルとお友達になれる・・・・と、もともと運動神経の良い皆んなは淡い期待に胸を膨らませ、スキーなんぞたいしたこたぁねえ、と初めてスキー靴を履いたのであった。ところが、ところがである。思ったよりスキーは難しく、スキー板を付けると皆、どたんばたんと転びだした。「おかしいなぁ・・・・・?」、女、子供があんなに上手に滑れるのにどうして俺たちが滑れないんだぁ・・・?と皆んなは不思議そうに、さっそうと滑って行く女、子供を見ていた。
 中野と二人乗りのリフトに乗ってゲレンデへ上がろうとするが、リフトから降りる時、どうやって降りたらよいのか分からずおたおたする。そこで、さっ、とスキー板が地面に着く瞬間、僕は中野の身体をぐっとつかみバランスをとり、ようやく立って前へ進むことが出来た。中野は?と後ろを振り向くと「おっとっとっと」と言いながら、雪の穴の中へ消えて行った。「あんたひどい人やなぁ、わしを突き飛ばしたやろ!」と後で真剣に文句を言っていた。
 僕は少年の頃スケートを滑っていたのでなんとか転ばずに止まることが出来たが、三郎は、ザァーとスピードを出してコテッと転ぶと見事に足を捻挫してしまい「俺りゃ帰る!」と言って故郷へ帰って行った。ビッコをひきながらザックを担いでゆく哀れな三郎を見送ると、僕と中野は再びスキーに熱中した。
 スキー場は、さすがにギャルが多く中野はキョロキョロしながら「あっ!可愛い」とかしきりに言って振り向いていた。ほとんど平地のゲレンデへ行くと、女子大のツアーか何かで
ギャルが何百人もうわぁー、と居た。皆、色とりどりのファッションをした二十(はたち)ぐらいの娘ばかりである。この中にまぎれ込んだ僕らは、唖然として立ちすくんでいたが、さすがの中野も「うわぁー こう女ばかりやと気味悪いなぁ、うわぁー、気持ち悪い」と、顔をくしゃくしゃにしかめて言っていた。本当にこうも女ばかりだと気味悪いものだが、中野も汚いものを見るような顔をしなくても良さそうなものである。
 そうしてなんとかかんとか滑れるようになった僕は、食堂でビールを飲みながら、さっそうと滑る人達を見ては頭を傾げていた。かなり観察したので、今度はホームを変えてみようと再びリフトに乗り込むと、酔いが廻ってきたのか、リフトの上で腰を置き換えていると「あっ!」と言って、五、六メートル上のリフトから落ちてしまった。それを見た監視員が慌ててリフトを止めると、リフトに乗っていた人々が皆んな僕を見おろした。
 何が?どうなったか訳が分からず、雪の上に座り込んでキョトンとしている僕の傍らに中野がスーッとやってきて「あんた、カッコ悪いなぁ、皆んな見とるぜ!リフトから落っこちる奴なんかいないぜ、子供でも乗ってるんやぜ、恥かしいなぁ、ほんま!」と言って馬鹿にした。



 それから僕らは、こりゃいつまでも自己流で滑っていても一向にうまくならんと悟ると、中野とスキー学校の初心者コースに一日入門することにした。登山ズボンとシャツを着て、サングラスをした人相の悪い男二人が、十代のギャルに混じりゼッケンを付けて並んでいる。コーチもあまり相手にしてくれない。一人、ずんぐりとした男がいたが、わりとうまく滑れるので中野が「あれ?あいつはどんくさそうなのにうまいこと滑れるなぁ、あいつはほんまはどんくさいぜ!」と言っていたが、人のことはほっとけというものである。ひとつも上達しない僕らは、それでも二人でなんとかかんとか言いながら暗くなるまで滑った。そして、陽も暮れかかる頃、スキーヤー達はこれから暖ったかいロッジへと帰り、旨いものを食って、若い女の娘らと夜遅くまでキャーキャー言いながらアフタースキーを楽しむのに、僕らは暗くなった道をとぼとぼと山の方へ歩いて薄暗いテントへと向かった。「おい、今日は何くうか?」と言いながら、寒いテントの中でローソクの火を灯してぼそぼそと何かを食う。天候がくずれ、二日続けて雪ではなく雨が降った。おかげで僕らのテントはぐちゃぐちゃになり、寝袋も湿ったようであった。「おい、中野、俺はもうこういう生活は耐えられん。民宿へ行こう!民宿へ行って暖ったかい布団で寝ろう!」テント生活も二週間となっていた。テントの中は散らかって臭くなり、食料もなくなりかけていた。そこに雨で濡れそぼりさんざんなものとなっていた。「そうだなぁ・・・・」と中野も呟くので、僕らは暖かく明るい灯を目差してロッジへと向かった。ロッジの中へ入ると食堂で丁度スキーヤーが食事をとっていた。女の娘が多い。
僕らが中へ入ると、皆ギョッとして見た。山賊か何か?と思ったのだろう。そこで僕が店のおばさんに「あの・・・部屋開いてますか?」と尋ねると「ええ、開いてます」と言うので、ああバラ色の生活、暖かい部屋と御馳走、ギャルとの会話、と目の前がパアーと明るくなる。すると中野が横から「素泊まりは幾らですか?」と尋ねる。店の人がびっくりして、「えっ?素泊まりですか?」と聞き返すと「ええ、素泊まりです」と無表情に言う。その瞬間、下を向いて飯を食っていたスキーヤーの頭が一斉に上がり視線がぐっ、と僕らに来る。「うむ・・・」僕は恥かしさでいっぱいになり中野に「おい、素泊まりじゃなくてもいいじゃないか、こんな所に素泊まりなんかあるもんか」と小声でボソボソ言うと、中野はさも不満そうに大声で「でも、素泊まりの方が安いんやぜ!」と言う。僕は恥かしさと情けなさでいっぱいになり「もう、俺は泊まらん、お前一人で泊まれ!」と言い捨てて外へ出た。
腹が立つなぁ、ああ、恥かしい思いをした、と何処かに自分一人で泊まろうと思ったがそれも中野に悪い気がして、一人ロッジに泊まる男じゃない中野を外で待つが奴はなかなか出て来ない。「おかしいなぁ・・・?」としばらく待っていると、中野が何か下げてニコニコしながら戻って来た。
「やあ、お待たせ、お待たせ」とかなりの上機嫌である。「儲かった、儲かった」とも言っていた。「お前、手に何を持ってんだ?」と尋ねると、彼がさも嬉しそうに手を上げると、ビニール袋の中に大きい握り飯が十ほど入っていた。「何かそりゃ?」「貰ったんや」「誰にだ?」「店のおばさんにや」「何故店のおばさんが握り飯をくれるのか?」「『いやぁ、わしらは九州の大分から、山へ登ろうとはるばる出てきてもう二週間も此処に居るんや』て言うたら『そりゃ遠方からごくろうなこって』っておばさんが言ったから、『しかし、テントは濡れるし食べ物はなくなるし苦労しとる』と言うと、おばさんが『そりゃ、可哀そうに。この売店に並んでいるものでほしいものがあったら持って行きなさい』と言うから『握り飯が食いたい』と言ったらおばさんが『ちょっと待ってなさい』言うて厨房で握ってくれたんや」と言う。僕は呆れて一時(いっとき)ものが言えなかった。何と恥を知らぬ男か。「お前、武士は食わねど高楊枝という諺(ことわざ)を知らぬのか、お前には恥というものはないのか!」
 僕は中野に怒鳴りつけた。すると彼は僕の言った意味がよく理解出来ないのか、キョトンとしていた。何故?僕が怒ったか分からないようであった。僕はこの情けない男に(中野は情けないは思ってない)「お前、そんなに米の飯が食いたけりゃ俺が腹一杯食わせてやるわ!肉でも何でも食わせてやるわ!」と怒鳴って食堂へ入り、中野と、焼肉と飯を腹いっぱい食った。
 腹が膨れると僕も大分、気分が落ち着き雪明かりの中、中野とあのぐちょぐちょのテントへと向かった。
 中野は雨が入って崩れかけた握り飯を大事そうに抱えていた。僕はもう何も言わなかった。何故、こいつの為に俺が腹を立てなきゃならんのか、と自分で阿呆らしくなっていた。
 テントの中は最悪だった。僕のバラ色であったはずの夜も更け、寒く暗いテントの中に横たわっていると何かムシャムシャと音がする。何だろう?と思って横を向いて見ると、中野が寝袋の中から顔を出しテントの生地の方を向き、雨に濡れ、水滴の付いたビニール袋の中から潰れた握り飯の米を口に入れていた。
 僕は何も言わず寝袋の中に潜り込む。ふと、奴はおばさんの同情をかって、素泊まりどころかタダで泊まろうと思ったのでは・・・?という疑惑が浮かんだが、もうそういうことはどうでも良かった。僕は寒さと情けなさでなかなか寝つけなかった。空には天が割れるほど星が輝いていた。





2011年7月20日水曜日

ワタの旅と冒険-12 (砂漠の果ての-2)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 この街の人間は働いて居る人がいないんじゃないか?と思う程、夕方になれば人がゾロゾロ出てくる。白いターバンを巻き、チャドリを着た男達、女は黒である。アラビア人の女は黒いベールで顔を隠している。旦那しか顔を見せられぬ、という回教の教えがあるからである。
 タンジールでアフリカ上陸第一歩の時、チャドリ姿の女らが大勢集まって水酌みをしていたので、これは良い被写体になる、とカメラを向けると、石がびゅうびゅう飛んできた。それでも逃げながら、シャッターを押し続けたが……大変である。
 この件以来、アラブでの写真の撮り方は被写体の距離と露出をあらかじめ目測しておき、素早く振り向きシャターを押すようにした。睨まれようが、どうしようが、今の僕の迫力のある格好に文句を言う奴は少ないはずだ。
 カスバは入りくんで迷路のようになっていて歩き廻ると幾度か同じ場所に出る。しばらく、ぐるぐる廻っていると道が放射線状になっている事に気づき、ようやく迷わず歩けるようになった。
 露店が立ち並び、人がワァワァ言っている。白人を含め外国人らしき者は見当らぬ、アラブ人の街である。子供らが、おもしろがってついて来る。此処の子供は午前、一、二時まで外で遊ぶが――――おまえら、勉強せんでええんかい?



 カスバを歩いていて、ふと、気がつくとベルトから紐でくくり、Gパンの後ろポケットに入れていた巾着がぶらぶらと腰から垂れ下がっている。さすがのアラブ人もポケットから財布を抜いた、と思ったら口をぎゅうと締めた巾着で、おまけに紐がついている、男の人相は悪いというので諦めたのだろう。しばらくして歩いていたら、また巾着がぶらぶらしている。泥棒の多い所だなぁ、さすが、アヂババの国だ。

 安ホテルの親父にさらに安くさせ、ひさしぶりに快適な部屋の住人となり、
「いやぁー、土管に比べりゃ、天国だぁー」
と、ふわふわのベットに横たわり、ふと、窓の外を見ると、隣のビルのベランダで若い娘がスリップ姿で編物をしていた。



「いやぁ、こりゃ、また最高だぁー」
と、ますます機嫌が良くなると、僕の忘れかけていた性欲がむらむらと蘇ってきた。カサブランガといえば、遊ぶ場所があるはずだ。それに此処は物価が安い。「よし、今夜だ!」と、故郷の街にカサブランガというギラギラした看板の店があったのを思い出し、カスバか何処かにギラギラの店があろう、と独身男の悲しい妄想はどんどん、広がってゆき、期待に胸を膨らませていった。
 風呂上り快ち良い風に吹かれカスバを歩くが歩けど歩けど、ギラギラの店は無く、白い建物ばかりである。しょうがないので行きずりの男に「あれ」は何処にある。あろうはずだい「あれ」と尋ねると、アラブ人にしては珍しく親切に案内してくれる、という。
 狭い露路へ入り、まさしく迷路のような道をぬけ、白い建物の前へ立ち、狭い入口の木戸をトントンと叩くと、ギィーと扉が開いた。な、なんと、そこには広い部屋にダーバーンを巻いた男達がズラリと何十人も並んでいた。列が幾つもあり、丁度、宝くじを買うように幾つもの列が左右へ蛇のように伸びていた。列の先頭を見ると、薄汚いカーテンが張ってあるので、覗いてみると、女が蛙のような格好をして天井をみつめていた。その傍で男がズボンを脱ごうとしていた。
「うわぁ、トイレみたいだなぁ・・・」
と、急にアラビアンナイトのロマンチックな夢が消え果てて、「こりゃあかんわ」と、そこを出た。が、気分は壊したものの、今夜の決意は固く、さらに夜のカスバをさまようと、イスラムの寺院のような白い建物を背に黒いチャドリを着た娘が立っていた。顔はベールで隠していたが、眼が奇麗である。
「ひょっとしたら・・・・・・・?」
と、引き返し、なにげない顔をして再び彼女の前を通ると、彼女が指で手招いていた。
「やっぱり・・・・・・」
露路をぬけ入口の狭い建物の中へ入ると、さらに奥に部屋があった。眼の奇麗な娘だ、とついて来たが、黒い覆面を取ると、鼻と口が異様に大きくアンバランスな顔立ちをしていた。眼だけでは人の顔は分からぬものである。


前のページ この物語のトップページ 次のページ

2011年7月19日火曜日

ワタの旅と冒険-11 (砂漠の果ての-1)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 海峡は蒼く澄みきっていた。これが地中海の水か、とキラキラ光る海をデッキに片足を掛けて眺める。
 六時間程で海峡を渡りきり、再びヨーロッパかアラビア、アフリカか分からぬ街、タンジールへと降り立った。しかしながら、黒人やアラブ人の数が多い、白人は斑らである。アフリカは幾度か馴染みがあるが、どう見てもアラビアの光景である。


 やはり、たかりかポン引きか、わけの分からぬ奴が「フレンド、フレンド」と言っては付きまとってくる。そこでマドリッドで買った飛び出しナイフを彼の眼の前で「バシッ」と出すと、男は「フィー!」と口から無声音を発して、目の前から立ち去って行く。こりゃ便利がいいや、いろいろ言わずに済む、と小さいナイフを首から下げるようにした。これで変な連中も寄りつきまい、これからは治安の悪い土地である。金はドル札を腰に巻いていた。パスポートも一緒である。この腰巻きを取られたら終いだ。肌に着けているから、これを奪われる時は格闘して負けた時である。
 モロッコは皮製品が安いからと、馬皮のカーボイハットを買い、皮の腕輪も付けると、とうとう山賊かなにか、訳のわからぬ格好になってしまった。
通りを歩いていると、向うのカフェーでアメリカ人らしい金持ちの夫婦が指を指して笑っていた。何を言っているのか分からないが、完全に馬鹿にした笑い方であった。頭にきた僕は、そのカフェーに入ると彼らの隣に座り、メニューの高い順から注文した。次から次と御馳走やらワインが運ばれてくると、隣の夫婦は目を白黒させて驚いていたが、やがて席を立つとカフェーから出て行った。
「だまぁみやがれ、俺りゃ乞食じゃねえぞ!」
と、腹の虫はおさまったが、腹に入りきれなかった。おかげで一週間分の食費を使ってしまうことになってしまった。

 タンジールからフランス製の立派な汽車に乗り込むと、一路、カサブランカへと向う。相向いのアラビア人二人がしきりに煙草をすすめるが、絶食を機会に禁煙した僕は、
「ノォ、スモーク」
と断ると不思議そうな顔をした。アラビア人は酒は飲まぬが、煙草はほとんどの人が吸うのである。今度は僕の首から下るナイフを指さして人指し指を立てて横に振る。
「それはいかん!」
という意味らしい。僕が
「ビスケットを食うか?」
と、差し出すと、また人差し指を横に振り、夕陽を指さして、あれが沈むまで口に物を入れてはいけない、とジェスチャーする。回教従は一年に二ヶ月程、肉体を清める為、太陽が昇っている間中、絶食をするが、丁度、今がその時期であるらしい。
 窓の外には「飯を食ったらいかんぞ!いかんぞ!」と夕陽が輝き荒野の地平線へ沈んでいこうとしていた。
 カサブランカに着き、モロッコの物価としては汽車賃が高過ぎるなぁ?と不思議に思いカサブランカの駅員に尋ねてみると、なんとタンジールの駅員から二倍もの料金を取られていた。恐ろしい国である。さすが、アヂハバの国だ。「うむ、こりゃ油断出来んなぁ。」と気を引き締め、それからは、値段を聞いて物を買ったり食ったりするようにした。価格を値切るのは後進国廻りで慣れているが、アラブ人との交渉は初めてであった。さすがに高くふっかける。大抵、倍は高い、価格のついてないものもある。「ハウマッチ(いくらかい?)」と言うと、僕の靴からズボン、服、顔と身体中、なめ廻して見て「幾ら」と言う。馬鹿にした話だ。言い値の三分の一位を言い、「ノォ」と断られると、帰る真似をする。すると、必ず背中で「オッケーオッケー」と叫びながら、おっさんがニコニコ顔で追いかけてくる。
 安い小物を土産に買おう、と三十分程いろいろ冷かして値切りに値切り、さすがのアラブ人も「せこい、東洋人やなぁー」と呆れて
「いいから、持って行け!」
と投げ捨てるように手を振ると
「それじゃ、これを三十個貰おう」
「それはないぜ、マスター」








2011年7月18日月曜日

ワタの旅と冒険-10 (南下-2)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 再び列車に飛び乗るとジブラルタル海峡の港町、ヨーロッパ最南端のカジスへと降り立つ。ヨーロッパとアラブ、アフリカの文化をごっちゃにしたこの街は様々な建物が立ち並び、人々も民族十色である。ジブラルタルを渡る白い船は豪華客船であった。出港は明朝だ。
 岩壁をブラブラしていると、海に向って座って、長いパンをむしゃむしゃ食っている日本人らしい男を見つけた。髪はぼうぼう髭も僕と同じ位生えていて、もと白であろうTシャツは完全に灰色になていた。
「あんた、日本人かえー?」
と、声をかけると、向うも僕と同じ質問をする眼をして、僕を見上げた。
 彼はシベリア鉄道経由でヨーロッパに入ったらしい。
「いやぁーずっと野宿で寒かった」
と言っていた。
「モスクワが特に寒かった」
とも言っていたが、モスクワは寒かろう。
 彼は登山用のザックを持っていたので声をかけたのだが、登山家ではないらしい。しかし、アフリカに渡ってキリマンジャロに登るとも言っていた。-よく分らない。登山家だったらヨーロッパアルプスに目がくらむはずだがアルプスには行ってない、と言う。金がほとんどないので、街を避けて旅行してきたらしい。むろん、日本へ帰る旅費などはない。
 夕方になり暗くなって来たので、待ち合い室で寝ろうと思ったが、鍵がかかって立ち入り禁止である。
「弱ったなぁー」
と思っていると、彼がニコニコして岩壁の向う岸を指さした。土管が積み重ねてあった。
「あれがいい。あれは最高や、今まで何度か寝た事があるが、あれば暖ったかい」
と、称賛する。あれだけ土管を誉る男も珍しい。
 しょうがないので我々は土管ホテルへ向うことにした。岩壁をずうーっと回り込み対壁行くと辺りは大分暗くなっていた。土管を束ねた傍の土面の上になにかあるような気がして良く見てみると、土面の上に毛布をきちっと敷き、その上に若い男女二人がきれいに二列に並び、毛布をきちっと羽織って空を向いて寝ていた。
「うむ・・・・」
思わず感心してしまう。毛布に皺がない程、ぴしっと着て並んで寝ているが、その几帳面さで土の上に寝ているところが凄い。月が輝いていた。

 翌日、ジブラルタルを渡る船に乗ろうと、順番を待って並んでいると、この男、長い五十センチはあろうフランスパンをしっかりと握り、時折思い出したように齧っていた。口でぐにゃぐにゃと噛んで、しばらくしてまた齧る。それも少量をである。
「あんた、めんどくさい食い方をするなぁ」
と言うと、
「こうして食べると喉が乾かないんやぁ」
と言う。ヨーロッパでは生水は買わなければならない。それに衛生上、問題がある。僕がヨーロッパへ渡って昼間からビールを飲みアル中予備軍みたいになってしまったのも、その事による。
 それで、少しづつ口に入れ唾で溶かしながら食べれば水代は助かる。パンは安いし腐らない。なんと、この五〇センチのフランスパンを五日程かけて食う、という。これで数ヶ月生きている、という。水なし、おかずなしでだ、たいした根性。
 旅行中は、なるたけ現地の旨い物を食い散らかしてやろう、と思っていた僕は、この托鉢僧の様な奴と早く別れよう、と思った。同一行動をして一人だけ旨いものを食う訳にはいくまい。





モ ズ

空や湖や霧に恵まれ
春を呼び冬を惜しみ
とんぼやばったが飛び
月が丸く山が蒼く
柿やら案やらよく実る
温暖な気候で
土は肥え
澄んだ川が流れ
岩魚やら鮠(はや)やらよく泳ぎ
飲めば透き通る味がする
水を酌み米をとぎ
葱(ねぎ)やら豆やらよく炊いて
ふかふかとした晩餐
煙を上げ風呂を薪で沸かし
星を眺めては歌うたう
犬も鳴かず虫も居ず
ふろうーふろうーと
モズの声だけが染み通り
藁ぶさの
ささやかな
ささやかな小屋の縁台に座って
酒を飲む

2011年7月17日日曜日

13今どき破天荒な男たちの物語 (風呂は道連れ)

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
今どき破天荒な男たちの物語の1 


 中野は女の娘と擦れ違うとすぐ「かわいいなぁー」とか言って振り向き、銭湯へ行けば必ず女湯を覗いた。銭湯へ行くと女湯の壁をよじ登り「あっ 目が合った!」などと言ってまた覗く。そのうち女湯の方から若い娘の声で「さっきから分かってるのよ、いいかげんにしてよ!」と声がかかる。それでも覗こうとする根性である。とうとう僕らは風呂上り、若い娘らに待ちぶせされ睨まれた。女の娘らは厚かましい男の顔を見てやろうと思ったのであろうが、おかげで僕は非常に恥かしい思いをする。この銭湯は地区の共同浴場で、僕が毎日通っている温泉であったのだ。
中野の住む隣り街には温泉はなく、本当の銭湯であった。ある日、中野と一緒にこの街中の銭湯へ行くが、彼はタオル一枚しか持たず、僕にもタオルだけでよいと言う。「俺は髪を洗いたいし身体も洗いたいんだ。シャンプーと石鹸は?」と僕が言うと「うちにはそんなものはない。でも、わしはいつも洗ってるぜ、まあ見てな」と彼は自信ありげに言うので、僕は何も言わずに彼の後をついて行った。どうするんだろう?と思っていたが銭湯に入ると中野が大きな声で「あっ!シャンプー忘れた」と叫び、隣のおっさんに「すんません、ちょっとシャンプー貸してもらえますかぁ?」と言うので、おっさんもしょうがなしに貸してくれる。そのシャンプーの容器を彼はギュッと両手で力一杯絞ると、シャンプーを手の平にどぼどぼと充分過ぎる量を取ると僕に手渡す。そして「な、わしは嘘をつかんやろう」と、また自慢げに言う。僕は何も言えず黙ってシャンプーを受け取るとなにか急に情けない気持ちになる。隣でまた中野が「あの・・・リンスも・・・」と言っている。彼はこの街で何年間もこういう生活をしてきたのだろうか?よくも同じ人に借りないものだと、下町の人の、人の良さに感服してしまった。むろん中野が何日おきに風呂に入っていたかはさだかではないが・・・・?





2011年7月7日木曜日

ワタの旅と冒険-9 (南下-1)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


 こうして彼らと別れた僕は一人ポルトガルへと旅立ちマドリッドから一気にリスボンへと入った。
 ポルトガルはざわざわとした東南アジアを思わせる雰囲気を持ったとしてもヨーロッパとは思えぬ国であった。街も埃がいっぱいで混雑していた。煙草屋で煙草を買うと、おばさんが「ヤポネスキー?」と言った。今まで「ヤポン」とか、「ハポネ」とか言われた事があったが、「ヤポネスキー?」と改めて呼ばれると自分がこの長ったらしい発音を持つ人種だとしみじみ思うと、「こりゃ、えらく遠くまで来てしもうたなぁー」と一人感慨にふけった。
 太平洋を望む小城の丘は美しかった。南洋を思わせる、ヤシのような葉の間に沈む夕陽は、奥深い大西洋を黄金色に染めていった。海に突き出た真白い小城も徐々に徐々にと金色に染まっていった。ひさしぶりに海に沈む夕陽を眺めた僕はエキゾチックなリスボンの丘を後にして、ジブラルタル海峡を目ざして、夜行列車へと乗り込んだ。

太陽の国009

太陽の国004

太陽の国003

 混雑する列車の中、真夜、突然、吐き気をもよおし上から下と体中の水分をしっかり出しきってしまい微熱が出るような気がした。「こりゃいかん」と早朝、慌てて途中下車してセビリアの街へ降り立ち、めったに乗らないタクシーに乗り込むと「ポスピタル」を連発した。
 大病院であった。待ち合い室でしばらく待たされた後、名前を叫ばれ採血などいろんな検査を済ませ、レントゲン室に入ると、巨大なレントゲンが有った。おかしな事に「パンツを脱げ」と言う。今までレントゲンを取る時下着は脱いだ事はなく、下着はフィルムには写らない、と思っていたので、「こりゃ、いいだろう?」と指さすが、「ノン、ノン」と言う。しかたなく、生まれたまんまの姿となって銭湯へ行った時みたいに前を押さえていたら、今度は手を上げろ、と言う。結局、キリストが十字架にぶら下った様な格好になり、
「ハイ チーズ」「ガシャン!」
 彼らは下着がレントゲンに写るとでも思っているのだろうか?
 また、しばらく待たされた後、再び名を呼ばれドアを開けると何かの面接のように長テーブルにずらーと五人程、医師が並んでいた。思わず緊張してしまう。
「キャンー スピーク イングリシュー?」
「イエス」
と答えると、イスパニア語でベラベラを話しかけてきた。何を考えとんのか・・・?全然分からん言葉である。首を傾しげると紙に魚の絵を画いて「これ、食ったかぁ?」と、指さす。「イエス」と答えると、今度は貝の絵を画いて見せる。「ノオ」。エビの絵を画いて差し出すと、「イエス」。皆、頭を見合わせ、「ウムウム」と頷く。
 今度は上着を脱いで横になれ、と言う。若い女医さんが立ち上り、僕の腹をさわる。美人だ。おもわず腹が固くなる。すると、盲腸の所を押さえて「此処が痛いやろうー」と僕の顔をみつめる。別に悪くない所を切られては堪らないので「ノン」「ノン」と慌てて手を振る。後、彼らはベラベラと相談した後、「オッケー」と言って僕を部屋から出した。
 何分か待って、薬局へ行き、薬を貰うように言われオレンジ色の子供が飲むようなシロップの水薬を貰い、会計はと受付へ行って海外旅行保険証を出そうとするが、「ノンノン」と言って手を振る。
 結局、無料であった。国の保険がそういうふうになっているのか、僕が外国人で姿、格好が身すぼらしいので、無料であったのか、その辺のところは不明である。
 僕は某大手保険会社の海外旅行保険というのに入っていたから、診料はすべて無料であった。大体、この保険は旅行用で危険な登山等は特別増しとなるのだが………シャモニー病院の入院、手術費もこの保険を使った。後、日本に帰って保険会社から自宅へ電話があり、
「どうなさいましたか?」
と尋ねてきたので、
「道を歩いていて転んだ」
と言えば
「そうですかぁ」
で済んだ。大儲けの保険会社の事だ、これぐらいは勘弁してもらおう。
 僕はこれからの長い旅行計画を考えて、時々行っている絶食をする事にした。これで治るはずだ。期間は五日間とした。




2011年7月3日日曜日

ワタの旅と冒険-8 (太陽の国-3)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1


マドリッドの美術館はルーブルに比べ味のある作品が多い。
中世隋一といわれる宮殿には数多くの美術品が並べられ、それは美しいものであった。
僕の隣で、花を一杯飾った帽子を被ったアメリカ人のおばさんが、「ビューティフル」を連発していた。肘に抱えた藤のバスケットから、にくったらしい顔をした白い犬が顔を出していた。
「オウー!ビューティフル」
と、部屋に入るたびにそのおばさんは叫び、僕の肩をつかみながら「ビューティフル」と幾度も叫んでいた。最初は愛想笑いをしていたが、仕舞いにはめんどくさくおばさんから離れようとするが、とにかく僕を探しては「ビューティフル」を連発する。
 宮殿を出て中庭で大きく息をしていると、丘の上から、おばさんが「ジャパニーズ、ジャパニーズ」と叫ぶので、「何だろう?」と、ふうふう坂を登って行くと、おばさんは丘の上からマドリッドの街並みを指さして、
「ビューティフル」
 僕は「はぁー」とため息をつく。
 うっすらとした紅い屋根が立ち並ぶ街並みは確かに美しかった。色彩が鮮やかで、茶色っぽい建物が夕陽に浮かび独特の雰囲気をかもしだしていた。
「キョウト イズ ビューティフル ツウ」
と、おばさんが呟いた。そうか、このおばさんが僕をつかまえては「ビューティフル」を連発するのは、京都で味わった感慨のお返しに、日本人である僕に美しいものを見せたかったのか、それにしても感激の多い少女のようなおばさんである。僕はこのおばさんを“ビューティフルおばさん”と名づけた。
「おーい 何処へ行っとった?」
「いやぁービューティフルおばさんにつかまってまいったぜ」
「なんかい、そりゃ?」
 僕らはこの美しい宮殿で記念写真を取る事にした。すると、
「和田さん、和田さん、日本に帰ったらこういう人が居たといって友だちに話すから記念写真を取らせてくれないか」
と一人が言うと、もう一人が
「そりゃ 話が見えるようだなぁ」
と言った。

太陽の国008

太陽の国006

太陽の国007



2011年7月2日土曜日

ヴ イ バ ー ク

ヴ イ バ ー ク

やみくもに落ちてこようとする
石に向って
  喝!
絶壁は今日も僕らを遮り
困難という字をしっかり描いて
立ちはだかる
垂直の亀裂は氷が詰まり
挿し入れる人の手を
拒む。
気流はガスを呼び
視界を遮る。
もう何日、
この岩棚に座って居る。
カジカジの手袋は凍って石。
零下で金属がくっ付き合う。


足元は数百メートルの空間。

  僕に翼があったなら
  地獄の底から飛びぬけて
  恋人の待つ暖かい部屋で
  ワインを飲み
  淡い髪から漂う薫りに
  酔いしれる。

なんの感情も無く
雪が吹き込む。
恐ろしい静寂。
夢を見る瞼が凍る。
翼をつけたエンゼルが
あらわれるのを
じっと、待ち。

今も雪が、石が、
音もなく容赦なく
落ちてくる。