2011年12月16日金曜日

ワタの旅と冒険-20(けぶる街並-1)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1

 スカンジナビア半島を一廻りする格好でバルト海を眺め、フィンランドに渡り、ひたすらグレーの空と黄色い針葉樹を眺めながら南下する。風が冷たい。
 コペンハーゲン。古く赤茶けた街並みは街路樹の葉を落とし、淋しい夕暮れを演出していた。歴史の街、深く音の響く石畳のある街。北方の欧州人は固く暗い。気候のせいであろうか南方のスペイン、フランス人とは異なった雰囲気があった。民族の違いであろうか、この辺りの人々には知性と文化性とを感じた。黒いシルクハットを被り、髭を蓄えて道ゆく人々は皆、学者か芸術家のように見えた。

デンマーク門塀

 フランスからドイツに入った時、ガキの顔を見てスラブ民族とゲルマン民族の違いを“ハタ”と感じた。顔が違うのだ。フランス人のガキは太っちょが多く何かボーとした感じがあり、遊ぶ事しか考えてないようであったが、ドイツ人のガキは目や口がキリッと締まり唇が薄く目が精悍である。冗談ばかりと冗談が通じない顔立ちであった。これじゃパリはナチに一日で占領されるのも無理はない。民族性の違いだ、と思った。

 ヴェルッブルブ、アウスブルク、フェッセンとヨーロッパの最も美しいとされるロマンチック街道を花に囲まれ雲に包まれ、青々とした草原の中を通りライン川を行く遊覧船の中、ビールを飲みつつ日光浴をする。陽射しが眩しくゆるやかな風が誘う。何もかもが光に包まれ、うっとりと遊覧船の手すりにもたれかかる。平和な一日だ。公園で子供らが鉄棒をしている。落ち着いた豊かな国、自由な国、それがドイツの印象であった。そういえばヨーロッパを旅しているバックパッカーはドイツ人が多く、彼らは非常にラフな格好をしたインテリゲンチャーであった。また、女の娘らが非常にチャーミングで自由人を思わせる日本女性にはないラフさ、カッコ良さがあった。
 フランクフルトの、百人は入る大ビアホールで泡の盛り上ったジョッキを片手に楽しんでいると、血管の浮き上った赤ら顔の、いかにも元気そうなおっさんが傍へ寄って来て
「お前は、日本人か?昔、日本人と組んで戦争をしたが、あの時きゃイタ公(イタリア人)が居たから負けたが、今度はイタ公抜きでやろうや!」
と、僕に意気巻いていたが、このおっさんイタリア人に何か恨みでもあるのか、イタリア人の悪口ばかり言っていた。確かにイタリア人はヨーロッパでは評判が悪く、欧州人に加えられてない。バックパッカー仲間でも評判は悪く、何でも盗む奴ら、と恐れられている。駅の混雑する中で順番を待って並んで立っていると背中に担いでいるザックをビリビリと切り開き、中の品物を盗んでゆくという。また、イタリアで買い物をすると、お金の代りに、お釣りの分だけアメ玉をくれ、それにイタリア貨幣は三種類もあって、土地によっては通用しないものもあり、それも、ひどいデフレで煙草を買うのに、ぶ厚い紙幣を幾つも用意しなければならない、という。
 このおっさんもビジネス上、イタリア人と何かトラブルでもあったのだろうか、僕にビールをおごり、しきりにイタリア人の悪口を言っていた。そして、昔、あそこまで戦った日本人は偉い、としきりに僕の頭を撫でながら感慨にむせっていた。

 フランクフルトのビアホールに漬かった後、森とクラシックの故郷、サルツブルクへと旅立つ。河と森と紅茶けた瓦はしっとりと濡れ、霧雨の中、僕を魅惑し続けた。
 橋の上、河の辺(ほと)りに立つと何処からか美しいメロディが聞こえてくるようであった。古来の天才たちを生んだのは、この環境であることは間違いなかった。確かに調和のとれた、また精神を落ち着かせる静かな佇みであった。
 後、再び北上するが、ヨーロッパの高いホテル代を避けるため、移動は深夜にて車中で眠るようにした。これも国が遠ければよいが、あまり国境が近寄り過ぎると、一番眠い頃に起こされることになる。国境に差し掛かると、ザァーと黒いコートを着た検査官が乗り込み、「パスポート」「パスポート」と、黒い皮手袋を差し出す。後、荷のチェックをしていくが、僕のザックは汚いのであまり触りたがらなかった。日本人の若い旅行者と同席していたが、車中、偉そうな事ばかり言っていた奴が国境が近づくにつれオタオタしだし、
「俺りゃ ブラックリストに載っているかもしれん。どうしよう。どうしよう」
とか言って何処かへ行ってしまった。




0 件のコメント:

コメントを投稿