2011年3月21日月曜日

ワタの旅と冒険-3(ヨーロッパ偏 2 アルプスへ )

このブログは一つの物語です。

初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1 


 シャモニーホスピタルという、教会の様な病院で白いシーツに横たわり、手が腫れあがり毛糸の手袋がぬげないので、ハサミで毛糸を切ると、まん丸にふくらんだ真赤な手が出て来た。
 清楚そうなシスターが急に僕のズボンとパンツをサッと下げ、尻の中に異物を突っ込んだので、
「うっ!」
と、突然の事にあっけにとられ眼をくるくるさせていると、眼の前の山下もきょとんとして見ていた。坐薬の存在を知らなかったのである。

 こうして僕は一夜にして病人となり快適な入院生活を送るようになった。
 腫れた腕を眺めながら、半分ヤケクソで寝ていると、熊の様な髭を生やした若いドクターが三人、美形の女医が一人、ドカドカとやって来て僕のベッドに無動作に座るとフランス語でペラペラやりだした。全然分からないが、「オペレイション」という単語だけが耳に残った。-手術!腕の骨折といえばギブスを巻く位で手術をする、というのは聞いた事がない。もしや・・・・・・?腕を切断されるのでは?と、急に不安になり、紅く腫れた手をいとおしく、幾度も眺めていたが、翌日、全身麻酔から覚めた僕は右手が有る事を確かめると、久しぶりの感激をした。
 病院の食事は大変旨く、軽いホテル並であった。窓の外には、モンブランが雲をたたえうっすらと聳え、乳白色のガスがかかっていた。街は雨でしっとり濡れそぼり、光る舗道で子どもたちが遊んでいた。自転車で街を走る少女達。教会の鐘がカランカランと霧をわたる余韻を残して鳴り続ける。しつこく鳴るのだ。毎日がクリスマスみたいだ。

モンブラン和田001-465

 シスターと呼ばれるナースは非常にやさしく美しかった。何より感激したのは風呂に入れない僕を毎日、身体中洗ってくれることであった。身体中である。夕食を楽しみにしていた僕は、条件反射を起こすようになっていた。
 ある日、シスターが一通の手紙を持って来た。ひさしぶりに見る汚い日本語である。
「俺も此処に入院した。二〇三号に居る。足にギブスを巻かれて歩けん。悪いが、酒場でジョニ赤を二本買っちきてくれんか。
北村」
ナースが日本語が読めなくて良かった。フランスには酒屋はない。
 とにかく、スーパーへ行ってジョニ赤を買うことにした。外国では安い方の酒だ。彼の部屋へ行くと、二人部屋で年寄りの爺さんが点滴を受けていた。重症の様である。
「いやぁ、悪りぃ 悪りぃ。どうしても飲みたくなっちのう。さっそく一杯やろうや。」
と、僕らの宴会は盛り上り、「月が出た出た」と夜遅くまで歌った。隣の爺さんが「アワアワ」とうめいていた。
 おとなしくしていたところへ、一端はめを外すと止らない宴会を何度かすると、しまいに自分の部屋へ帰るのがめんどくさくなり、北村氏のベッドの下で寝る事にした。すると、朝、シスターが「ボンジュール!」と言ってベッドの下を覗き込み、朝食を運んでくれた。天使の笑顔である。馬鹿にして笑っていたかもしれないが、僕には天使の笑顔に見えた。下から見える顔、そして、透けて見えるパンティ。どういう訳か彼女らは色つきのパンティを履いていた。それで、北村と、「赤パンのねえちゃんは可愛い」とか、「青パンのねえちゃんは幾つぐらいだ」とか話していた。そして彼女らを呼ぶ時も「赤パンのねえちゃ~ん」と呼ぶと振り向くから不思議である。

 アルコールのカロリーのせいか、僕らはエネルギーを持てあますようになり、病院の中をうろうろと熊の様に歩き廻った。それを見かねてか、僕らが外出を申し込むと病院長は一発で“OK”を出した。
 こうして、腕をくくった長髪の髭の男と、片足にギブスを巻いた、やはり長髪で髭づらの男二人はぎくしゃくしながら、ロープウェイへと向かった。
 シャモニーには観光用にモンブラン近くのエ・ギュード・ミディーまでロープウェイが走っている。日本人観光客が、このロープウェイに乗ってミディの頂上へ上ったのを、モンブランへ登って来た、というあれである。


79年アルプス003
エ・ギュード・ミディーからの眺望。
バレ・ブランシュと呼ばれる氷河の上をイタリア側までロープウェイが延びている。


 駅にはやはり日本からの団体さんが居て、僕らを訝しそうに見ていた。
 頂上付近のロープウェイの中で日本人団体のエージェントが
「頂上では絶対、大声で笑ってはいけません」
と、言っていたので、
「北さん、大声で笑ったらいかんらしいぜ」
と、言ってから、ハッハッハッと大声で笑ったら頭がフラッとした。空気が稀薄なのだ。
 スカッと透き通る青空の下、針のようなシャモニー針峰郡は何処までも連なっていた。白い峰々は遠くイタリア側まで波のように伸び、太陽に近い鋭い光線で峰々の雪面べったりとパール色に輝いていた。
 僕は氷のトンネルをぬけると、足の悪い北村氏を置いて、ミディ南壁の赤い岩壁を見ようと雪で氷りついた細ぼった稜線を、ズックを履いて歩いて行った。すると、向うから、ザイルをつなぎ重装備でやって来る外人クライマーらと擦れ違ったが、後ろの方で、「クレージージャポネ」と話している声が聞こえた。


79年アルプス002
エ・ギュード・ミディー南壁
写真の下から3分の1の所に登攀者の姿が見える

 幾日かして、北村氏の帰国の日が近づくと、彼はギブスを巻いたまま、病院を出た。もと白であった灰色のTシャツにボロボロのGパン、右足の石膏の下に木の板を付け杖を突き、歩くたびに紅い顔が傾き、見送る僕の前からなかなか彼の姿は小さくならなかった。
 後で聞いた話では大韓航空では帰路、韓国に一日寄るが、その時彼はあの姿あの足で女を買いに行ったらしい。
「その足で、どうやってやったんかい?」
と、鋭い質問を浴びせる友人もいた。
 ちなみに彼は学生の折、山へ行く時、駅で送れて走って来る友人を乗せようと、デッキからホームに片足を出して踏んばり、押さえつけようとする駅員を振りきり、しばらく列車を止めた事のある男である。
 平和な療養生活に戻った僕の所へ山下らパーティーがアイガーへ登る為、グリンデルワルトへ旅立つ事を告げに来た。テントを撤収する、二週間したら帰る、という事で、僕の病室へ無用の装備を置いていった。
 抜糸が終わっても、とりたてて行くあても、テントもない僕は病院に居続け、汚い格好をして、シャモニーの街をブラブラしたり高原へ遊びに行ったりしていた。



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