このブログは一つの物語です。
ひと月後、僕は友らと国際空港に居た。ビールを飲みつつ、顔は紅潮していた。大韓航空機は完全に酔っ払ってしまった僕らを乗せ、飛び立つ。
ほとんど、アル中に近い北村が突然立ち上り、天皇陛下の真似を始める。
「このたび、わたくしは~」
と、長々語れば乗客らがざわめきだす。喜んで子供が駆け寄れば、その子を抱き上げ、
「我が日本の未来は、この子らに~」
と、演説を始める。母親が慌てて連れに来ると今度は、
「ねえちゃん!氷、氷」
と、スチュワーデスを呼び、どうにかこうにかウィスキーを三本空にした僕らは、パリに降り立ち、次はビールへと乗り換えた。
パリの街はカフェーが多い。ゾロゾロと街を歩いて行き誰か一人が、
「暑いなぁー。喉が渇くなぁー。」
と呟くと、数分後には皆でカフェーに座ってビールを飲んでいた。
パリの街を飲み散らかし、リヨンからジュネーブへ、ジュネーブから日本人観光客バスツアーにうまいこと潜り込み、シャモニーへと入った。
スイスに近い メートル、アルプス針峰郡に囲まれたこの街は、日本で言えば上高地である。
モンブラン、ドリューと四千メートル級の山々の大パノラマに囲まれた花のある街。夕暮れに教会の鐘が街中に鳴り響けば針峰郡はすっかりガスに覆われ、ぐっと気温が下がる。
夕食を求める四人の男らが歩いて行く。目標はスーパーマーケット、目的は飯である。
「おい、この肉は安い。10キロで八百円ぐらいだ」
「へぇー、此処は物価が安いんだ」
と、この先の生活を考え、気分が軽くなり、唾を飲み込み、急に気前も良くなる。
「とりあえず、今夜は焼肉といこうや!」
と、帰り道、明日返すからと、キャンプ場近くのマンホールの蓋を担いで帰り、僕らは盛大な焼肉パーティーを開いた。えらく油の凍った肉で、徐々に伸びる手が少なくなってくる。
「おい、遠慮せずに食えや」
「いや、もう、いい」
「俺もいい」
と、日頃、食欲の有り余る奴らの箸が進まない。
翌日、スーパーへ行くと肉の有った所には、かすかに英語で“ドッグフード”と書かれてあり、横にブルドッグのニタニタしたポスターが貼られてあった。
こうして、体調を整えた僕らは登はんを開始した。雪は少なく、晴天であった。岩は乾きフットワークも快適だ。
慣れないクラック(岩の割れ目)で苦労したドイツ人パーティーを追いぬき、ルートを追う。核心部で酒飲みの北村が落ちた。
「あぶない!」
と思った瞬間に
「ひゃー!」
と紅い顔が宙を舞った。
彼は足を強く打ち骨折した様だった。
頂上に着いた僕らは北村を庇いながら下降し、負傷した彼ともう一人がビヴァーク(野営)して、僕は同じ齢の山下と下降する事にした。食料と装備を調達する為である。
雪渓から岩の重なったモレーンを下降するが、元気の良い僕は岩から岩へと飛び移っていた。すると、突然、ぐらっと岩が動き、順序良く並んでいた岩の規則が壊れ、足元の岩がすべて壊れ、岩雪崩の様に岩が流れ、流れる岩の上を身体が飛んだ。
直径数メートルはあろう、岩の間にぐっと廻り込み僕は止ったが、上から見ていた山下は僕が死んだ、と思ったらしい。ヘルメットは被っていなかった。
空を二、三度連続的に見た。腕が痺れ、とっさに今後の山 スケジュールが頭に浮び、喉が渇き、水が飲みたいと、何度か雪を口に入れた。
しばらくして山下が下ってくると、
「大丈夫か!」
と、叫んだので、
「ああ、俺のピッケルを知らんか?腕をやられた。もう山へゆけん」
と、残念そうに呟くと、バンダナで痺れた右腕をくくり、下山を始めた。途中から腕が痛みだし、腫れてくるのが分った。
もう、何時間も歩き通しである。辺りは真暗となり、音もなく、キャップライトの明りもとぼしくなってきた。
二人とも疲れ果てて、幾度となくしゃがみ込んだ。しゃがむ束の間に夢を見た。それは、家へ帰っているところだったり、暖かい部屋で酒を飲んでいるところだったり、非常に楽しい夢ばかりであった。かなり長く眠った様に思われ、ふと、眼を覚して時計を見ると、ほんの数分であったりした。
疲労と眠気と痛みから幻想を見るようになり、人が横切ったり、立っていたり、声が聞こえたりしたが、これは連れの山下もあるらしく、交互に尋ね合ったりした。
そして、夜が明け始める頃、僕らは火が勢い良く燃えているのを見た。おっさんが焚き火をしていた。
「ボンジュール!」
おっさんが人懐っこい顔を向けた。下山である。
こうして僕らは闇の中、標高二千メートルを下った。朝霧の立ち込めるシャモニーの街は美しく何もかもが輝いていた。
ひと月後、僕は友らと国際空港に居た。ビールを飲みつつ、顔は紅潮していた。大韓航空機は完全に酔っ払ってしまった僕らを乗せ、飛び立つ。
ほとんど、アル中に近い北村が突然立ち上り、天皇陛下の真似を始める。
「このたび、わたくしは~」
と、長々語れば乗客らがざわめきだす。喜んで子供が駆け寄れば、その子を抱き上げ、
「我が日本の未来は、この子らに~」
と、演説を始める。母親が慌てて連れに来ると今度は、
「ねえちゃん!氷、氷」
と、スチュワーデスを呼び、どうにかこうにかウィスキーを三本空にした僕らは、パリに降り立ち、次はビールへと乗り換えた。
パリの街はカフェーが多い。ゾロゾロと街を歩いて行き誰か一人が、
「暑いなぁー。喉が渇くなぁー。」
と呟くと、数分後には皆でカフェーに座ってビールを飲んでいた。
パリの街を飲み散らかし、リヨンからジュネーブへ、ジュネーブから日本人観光客バスツアーにうまいこと潜り込み、シャモニーへと入った。
スイスに近い メートル、アルプス針峰郡に囲まれたこの街は、日本で言えば上高地である。
モンブラン、ドリューと四千メートル級の山々の大パノラマに囲まれた花のある街。夕暮れに教会の鐘が街中に鳴り響けば針峰郡はすっかりガスに覆われ、ぐっと気温が下がる。
夕食を求める四人の男らが歩いて行く。目標はスーパーマーケット、目的は飯である。
「おい、この肉は安い。10キロで八百円ぐらいだ」
「へぇー、此処は物価が安いんだ」
と、この先の生活を考え、気分が軽くなり、唾を飲み込み、急に気前も良くなる。
「とりあえず、今夜は焼肉といこうや!」
と、帰り道、明日返すからと、キャンプ場近くのマンホールの蓋を担いで帰り、僕らは盛大な焼肉パーティーを開いた。えらく油の凍った肉で、徐々に伸びる手が少なくなってくる。
「おい、遠慮せずに食えや」
「いや、もう、いい」
「俺もいい」
と、日頃、食欲の有り余る奴らの箸が進まない。
翌日、スーパーへ行くと肉の有った所には、かすかに英語で“ドッグフード”と書かれてあり、横にブルドッグのニタニタしたポスターが貼られてあった。
こうして、体調を整えた僕らは登はんを開始した。雪は少なく、晴天であった。岩は乾きフットワークも快適だ。
慣れないクラック(岩の割れ目)で苦労したドイツ人パーティーを追いぬき、ルートを追う。核心部で酒飲みの北村が落ちた。
「あぶない!」
と思った瞬間に
「ひゃー!」
と紅い顔が宙を舞った。
彼は足を強く打ち骨折した様だった。
頂上に着いた僕らは北村を庇いながら下降し、負傷した彼ともう一人がビヴァーク(野営)して、僕は同じ齢の山下と下降する事にした。食料と装備を調達する為である。
雪渓から岩の重なったモレーンを下降するが、元気の良い僕は岩から岩へと飛び移っていた。すると、突然、ぐらっと岩が動き、順序良く並んでいた岩の規則が壊れ、足元の岩がすべて壊れ、岩雪崩の様に岩が流れ、流れる岩の上を身体が飛んだ。
直径数メートルはあろう、岩の間にぐっと廻り込み僕は止ったが、上から見ていた山下は僕が死んだ、と思ったらしい。ヘルメットは被っていなかった。
空を二、三度連続的に見た。腕が痺れ、とっさに今後の山 スケジュールが頭に浮び、喉が渇き、水が飲みたいと、何度か雪を口に入れた。
しばらくして山下が下ってくると、
「大丈夫か!」
と、叫んだので、
「ああ、俺のピッケルを知らんか?腕をやられた。もう山へゆけん」
と、残念そうに呟くと、バンダナで痺れた右腕をくくり、下山を始めた。途中から腕が痛みだし、腫れてくるのが分った。
もう、何時間も歩き通しである。辺りは真暗となり、音もなく、キャップライトの明りもとぼしくなってきた。
二人とも疲れ果てて、幾度となくしゃがみ込んだ。しゃがむ束の間に夢を見た。それは、家へ帰っているところだったり、暖かい部屋で酒を飲んでいるところだったり、非常に楽しい夢ばかりであった。かなり長く眠った様に思われ、ふと、眼を覚して時計を見ると、ほんの数分であったりした。
疲労と眠気と痛みから幻想を見るようになり、人が横切ったり、立っていたり、声が聞こえたりしたが、これは連れの山下もあるらしく、交互に尋ね合ったりした。
そして、夜が明け始める頃、僕らは火が勢い良く燃えているのを見た。おっさんが焚き火をしていた。
「ボンジュール!」
おっさんが人懐っこい顔を向けた。下山である。
こうして僕らは闇の中、標高二千メートルを下った。朝霧の立ち込めるシャモニーの街は美しく何もかもが輝いていた。




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