2012年1月15日日曜日

ワタの旅と冒険-22(花の都で)

このブログは一つの物語です。
初めての方は、1からお読み下さい。
ワタの旅と冒険-1

 落ち葉を踏みしめ踏みしめ、シャンゼリゼ通りを歩く。晩秋のパリ。しばらくの滞在となるので安いホテルを探すことにする。

シャンデリ通り

 ヨーロッパのホテルやレストランは星の数でランク付けされていた。超一流ホテルが五ツ星、一流が四ツ星、それから三ツ星、二ツ星、一ツ星となる。二ツ星あたりでは、ベッドのスプリングが古過ぎたり、エレベーターが出前箱みたいに狭かったりするが、僕は一ツ星で値段を交渉してみるが折り合わぬ。眠って意識不明になれば……という哲学が、どうしても頭から離れないのであった。
 ようやく、サンポール寺院の裏あたりの、わりと“街中”に黒人やアラブ人専用の安いホテルを見つけた。星はついていない。一ツ星以下というわけか。一泊、六百円位で、洋画のスパイ映画に出てくるような暗い螺旋階段を登ると、狭い独房のような部屋があった。小さな明り取りの窓が上の方についてはいるが、まあ、窓と呼べる感じではなかった。なにしろ煙草の煙が全然でないのだから。部屋の中にはベッドが一つ、それに洗面台がついていた。
 市場へ行ってチーズや果物を買って来て、腹が満ちたら、此処を拠点にパリの街を巡り歩いた。ときは十一月の終りである。この頃がいちばんいい。深秋の冷たいパリから観光客は皆、引き揚げているし、パリの住人は夏の長いバカンスで遊びすぎて、「しもうた!」と思ったりしながら一生懸命、仕事をしている。だから街はしみじみとして静かである。
 さっそく、ルーブルへ通いつめると、やはり日本人が多い。彼らは僕を認めると目を避けた。話しかけてもらいたくないらしいが、誰が話しかけるもんかい。また、日本人と思われてなかったかも知れない。
 メトロ(地下鉄)に乗ろうと地下道を歩いていると、大勢の人の流れの中から、小さく色の浅黒い東洋人が僕のあとをついて来た。人ごみの中、ぴったり僕の傍に寄り添ってニコニコしながら僕の顔を見上げていた。気味が悪いので、
「パアズン?(何か用か?)」
と尋ねると、
「ベトナム」
と、彼は嬉しそうに答えた。彼はパリの街に僕を見て同胞と思ったのだ。・・・失礼な奴だ。
「ノオ、ジャパニーズ(俺りゃ日本人じゃ)」
と答えると、彼はふいに裏切られたような目をして、大きく両手を上げて去って行った。

 パリを含めヨーロッパ地方はトイレは有料になっている。有料ならまだ良いが、トイレのない国もある。「トイレ!トイレ!」と言って公園に駆け込むが広い公園の中、トイレはない。幾ら探してもない。堪えきれず花壇の中にゴソゴソと入り込んで行くと、そこが公衆トイレになっていた。大都会の中、公園もなく、ビルが立ち並ぶ所で、やむをえず、ビルとビルの隙間一メートル位の所へ入り、しゃがみこむと眼の前を人や車が行き過ぎて行く。なかなかの快感である。
 さて、パリのトイレはというと、奇麗に掃除され、入口に金髪のおばさんが座っている。机の上の皿に各自、思い思いのコインを入れていくわけだが、おばさんが、よそを向いている隙に、そのコインを握り「ジャラジャラ」と皿へ落す。すると、振り向いたおばさんは
「メルシ!(あんがとう!)」
と、笑顔いっぱいに僕を見上げる。
「うむ」
と僕は満足そうに髭を撫でながらトイレを出る。
 ある時、あんまり足が臭いので石鹸を買ってきてトイレの洗面台に足を上げジャブジャブと洗っていると
「オゥーノオ!」
と、まん丸に太った赤ら顔のおばはんが両手を上げて叫びながら僕の腰のベルトをつかみ引っぱる。おばはんに引っぱられながらも、さらに、もう片方の足を上げジャブジャブと洗おうとすると、「こりゃ、いかん」と思ったか、おばはん、ベルトから手を離すと、今夜はモップを握ってきた。顔は真赤だ。
 足を洗い終えた僕は靴下を履くと、さっとトイレを駆け上る。むろん料金を払う暇はない。気持ちもない。後ろでフランス語で罵る声が聞こえていた。
 この頃になるとアラブの生活が身についたか、また旅の疲れか、多少いらだっていた。カフェーで金をよけい取られたような気がして店の中で日本語で文句を言う。親父も負けてはおらずフランス語で言い返す。ワイワイ言って、結局、親父が降りるが店を出る時にやはり、「ジャポネ……」と罵っていた。




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