このブログは一つの物語です。
彼の言う通り、僕は何度か空を飛んだ事がある。一番長く飛んだのは十五メートルである。この時は、歯科技工師の三郎がパートナーだった。
この日も、山小屋で他の山岳会の連中と夜遅くまで飲み、明け方、気分の悪いのに登攀を開始した。幾度も通い慣れた簡単な岩場であった。十五メートル程の壁を登り終え、両手を離して歩きだしたとたん、ズルッ、と足が砂利で滑り、岩をつかむ暇もなく、身体が流れ宙を舞った。連続的に青い空とグレーの壁とが交互に見え、列車の窓から見るように景色が高速で流れた。簡単な壁だからハーケンは取ってなく、ザイルはフニャフニャと流れ、“死”が一瞬のうちに見えた。加速がついて息が、ぐっ、と詰まりそうになった時、「バーン!」と三郎の目の前に叩きつけられた。三郎は目をまん丸にしていた。僕らを見ていた他の山岳会の人らは、握り飯を握ったまま口を開けていた。
奇跡的に助かったのである。背中から落ちて、ザックがクッション代わりとなり、金属(かね)の水筒がぺっちゃんこになっていた。命の恩人である。
その後、ルートを創る時に、岩の割れ目に入れておいた登攀具が外れ、それに身体を預けていた僕は、コロコロと芋のように岩肌を転げていったことがあるが、その時はしっかりとハーケンで止まったが、あの“落ちる!”瞬間というものは実に気味悪いものである。また、落ちる時間は瞬間的なものだが非常に長く感ずるものである。
僕はベッドで寝ているが、片足がベッドから落ちる瞬間に、瞬間的に夢を見るのだろうか?夢の中で岩登りをしていて、「あっ!落ちる」と、ぱぁーと落ちてゆき、足が、すこん、とすくわれ、「はっ!」として目を覚ますと、ベッドの端に片足がぶらぶらしているということがよくある。
いずれにしても“落ちる”というのは、あまり気分の良いものでない。以前、オカルト好きの山下と二人でオートバイに跨って、宮崎の岩峰の、当時もっとも難しいとランクされるルートに挑みに行ったことがあるが、高度差五百メートルのこの大岩壁は屋根のようなオーバーハング(かぶさるように突き出ている岩壁)ばかりで、取り付きの遅かった僕らは暗くなってしまった。
彼の言う通り、僕は何度か空を飛んだ事がある。一番長く飛んだのは十五メートルである。この時は、歯科技工師の三郎がパートナーだった。
この日も、山小屋で他の山岳会の連中と夜遅くまで飲み、明け方、気分の悪いのに登攀を開始した。幾度も通い慣れた簡単な岩場であった。十五メートル程の壁を登り終え、両手を離して歩きだしたとたん、ズルッ、と足が砂利で滑り、岩をつかむ暇もなく、身体が流れ宙を舞った。連続的に青い空とグレーの壁とが交互に見え、列車の窓から見るように景色が高速で流れた。簡単な壁だからハーケンは取ってなく、ザイルはフニャフニャと流れ、“死”が一瞬のうちに見えた。加速がついて息が、ぐっ、と詰まりそうになった時、「バーン!」と三郎の目の前に叩きつけられた。三郎は目をまん丸にしていた。僕らを見ていた他の山岳会の人らは、握り飯を握ったまま口を開けていた。
奇跡的に助かったのである。背中から落ちて、ザックがクッション代わりとなり、金属(かね)の水筒がぺっちゃんこになっていた。命の恩人である。
その後、ルートを創る時に、岩の割れ目に入れておいた登攀具が外れ、それに身体を預けていた僕は、コロコロと芋のように岩肌を転げていったことがあるが、その時はしっかりとハーケンで止まったが、あの“落ちる!”瞬間というものは実に気味悪いものである。また、落ちる時間は瞬間的なものだが非常に長く感ずるものである。
僕はベッドで寝ているが、片足がベッドから落ちる瞬間に、瞬間的に夢を見るのだろうか?夢の中で岩登りをしていて、「あっ!落ちる」と、ぱぁーと落ちてゆき、足が、すこん、とすくわれ、「はっ!」として目を覚ますと、ベッドの端に片足がぶらぶらしているということがよくある。
いずれにしても“落ちる”というのは、あまり気分の良いものでない。以前、オカルト好きの山下と二人でオートバイに跨って、宮崎の岩峰の、当時もっとも難しいとランクされるルートに挑みに行ったことがあるが、高度差五百メートルのこの大岩壁は屋根のようなオーバーハング(かぶさるように突き出ている岩壁)ばかりで、取り付きの遅かった僕らは暗くなってしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿